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モスクワのテロ事件、なぜアメリカは対立するロシアに事前通告したのか

山田敏弘国際情勢アナリスト/国際ジャーナリスト
銃撃テロがあったコンサートホール(写真:ロイター/アフロ)

2024年3月22日、首都モスクワの北西にあるクラスノゴルスク市で、6000人ほどが集まっていたコンサートホールでテロ銃撃事件が発生。さらに火災も起き、少なくとも137人が死亡したと報じられている。

【3月27日更新】共同通信は、「ロシアのムラシコ保健相は27日、モスクワ郊外のコンサートホールで22日に起きた銃乱射テロで入院していた負傷者1人が新たに死亡したと明らかにした。タス通信が伝えた。死者は140人になった」と報じています。

イスラム系の過激派組織IS(イスラム国)が犯行声明を出しており、当局はすぐに実行犯とされる4人を逮捕している。ウラジーミル・プーチン大統領は、ウクライナがこのテロに協力した可能性があると批判を続けている。

今回のテロを実行したのは、イスラム国の関連組織で過激なテロを続けている「イスラム国ホラサン州(ISIS-K)」という組織だ。

イスラム国ホラサン州(ISIS-K)とは?

イスラム国ホラサン州(ISIS-K)は、2014年にパキスタンのタリバンから分離したイスラム国の関連組織として活動を始めている。メンバーは、アフガニスタンやパキスタンにいるイスラム原理主義組織タリバンで不満を抱えていた人たちで、テロ組織が活動を喧伝するために行う斬首などの残虐な行為を実施しながらテロ活動を展開している。2016年1月の段階で、米政府はISIS-Kをテロ組織に指定している。

ISIS-Kは、アフガニスタンに拠点を置いている。「ホラサン州」とは、歴史的に、アフガニスタンやイランなど中央アジアの一部を含む地域のことを指し、この地域を拠点に活動していることを主張する。ちなみに、呼び方はいくつもあり、「ISIS-K」「ISIL-K」「IS-K」などがあるが、世界的には「ISIS-K」「ISIL-K」と呼ぶのが一般的だ。

IS(イスラム国)との関係は、独自での活動を許されているが、イスラム国を名乗ることを許され、資金やリソースの提供を受けていると見られる。

2021年8月、タリバンがアフガニスタンの支配権を握ってから、ISIS-Kは、タリバンや、アフガニスタン国内のシーア派に対する攻撃を強化している。一方のタリバン政権は、ISIS-Kとの戦いにも力を入れている。米NGO「武力紛争発生地・事件データプロジェクト」(ACLED)のデータによると、2022年1月以降、ISIS-Kによるテロ攻撃は減少しているという。

ところが、これまでアフガニスタンを中心に数多くのテロ事件を実施してきた同組織は、2024年に入ってその活動範囲を広げつつある。

コンサートホールで銃撃テロを起こしたと見られるISIS-Kの容疑者
コンサートホールで銃撃テロを起こしたと見られるISIS-Kの容疑者写真:ロイター/アフロ

例えば、2024年1月には、イランで開催された、2020年にアメリカによって暗殺されたイラン革命防衛隊のカセム・ソレイマニ司令官の追悼イベントを爆破テロで襲い、100人以上を殺害している。そして今回のロシアでのテロ攻撃である。

イスラム国は、サイバー空間上でも国境を超えて、寄付を受け取り、賛同者を集めている。無料メッセージングアプリTelegramを使い、シークレットチャットのモードでやりとりをしていることも判明している。

動きを活性化させているISIS-Kは、今後おそらく今回のロシアのように国際的なターゲットを狙う可能性がある。

アメリカはテロをなぜ敵対するロシアに伝えたのか

実は、今回のテロが起きる前から、在ロシアのアメリカ大使館が、イスラム国によるテロ攻撃の計画があるとして、ロシア当局に共有していた。というのも、アメリカでは、情報活動などでテロ事件の計画を事前に知った際にはその当事国に通知する義務が定められている。

今回も、コンサートなどの大規模な集会がテロの標的になる可能性があるとして、かなりピンポイントな情報を入手していた。そしてロシアに暮らすアメリカ人に被害が及ばないよう、ロシア政府に注意を呼び掛け、無実の人が犠牲にならないよう働きかけを行った。

そもそもなぜ敵対しているロシアに、アメリカはテロ情報を提供することになっているのか。すでに述べた一般市民が巻き込まれないようにすることに加えて、アメリカの情報関係者によれば、こんな事情があるという。

「情報機関が入手する情報の8割近くは海外で動く協力者(エージェント)などが収集する。諜報員や協力者は外国政府関係者だけでなく、世界中の情報機関、警察、治安当局、軍事機関に所属する人たちから情報を得る。外交官や軍事アタッシェ、学者による資料などから入手できる情報もある。だからこそ、テロや暗殺などの情報をつかめば、当事国についての好き嫌いや、ライバルか否かにかかわらず、その情報は共有するのです」

米国家情報長官室を訪問するバイデン米大統領
米国家情報長官室を訪問するバイデン米大統領写真:ロイター/アフロ

米政府の「Duty to Warn」規定によれば、「意図的な殺害や重大な身体的損傷、または誘拐について差し迫った脅威を知った場合は、米国人および非米国人に警告することが求められる」とある。つまり、テロの脅威に限らず、誘拐などでも情報提供する必要がある。アメリカに18あるスパイ組織をまとめてインテリジェンス・コミュニティ(IC)と呼ぶが、例えば、ICが日本に迫っているテロの脅威をつかんだ場合は、通告してくることになる。

米政府はもともと「Duty to Warn」を長く実践してきたが、2015年に当時のCIA(米中央情報局)のジェームズ・クラッパー長官が、インテリジェンス・コミュニティ(IC)指令191で、公式な決まりとして制定している。ただ通告しなくてもいい例外もあり、例えばターゲットが明らかにテロリストなどの場合や、「米政府関係者、情報源、方法、諜報活動、または防衛工作を不当に危険にさらす」場合も脅威を知らせなくてもいい。

こうした背景で、今回のロシアにおけるテロの通告が行われたのである。

ところが、今回、テロが起きる可能性についてアメリカがロシア側に伝えると、プーチンは残念ながら、欧米側が「ロシア社会の不安定化させる」ための「脅迫」しようとしていると一蹴した。

プーチンはそこまで周囲の声に疑心暗鬼になり、冷静な判断ができなくなっているということだろう。西側諸国との価値観のずれも大きくなっているようだ。

国際情勢アナリスト/国際ジャーナリスト

国際情勢アナリスト、国際ジャーナリスト、日本大学客員研究員。講談社、ロイター通信社、ニューズウィーク日本版、MIT(マサチューセッツ工科大学)フルブライトフェローを経てフリーに。最新刊は『プーチンと習近平 独裁者のサイバー戦争』(文春新書)。著書に『モンスター 暗躍する次のアルカイダ』、『ハリウッド検視ファイル トーマス野口の遺言』、『ゼロデイ 米中露サイバー戦争が世界を破壊する』、『CIAスパイ養成官』、『サイバー戦争の今』、『世界のスパイから喰いモノにされる日本』、『死体格差 異状死17万人の衝撃』。 *連絡先:official.yamada@protonmail.com

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