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【向日市】国史跡になった物集女城跡記念の企画展が始まっています。1月11日には凄いメンバーのシンポも

harru地域ニュースサイト号外NETライター(長岡京市 など)

都である京都へ、南西から入る際の重要地点に位置するかつての乙訓(おとくに)地域、現在の長岡京市、向日市、大山崎町は、中世には、京都市西京区の一部と合わせて西岡(にしのおか)と呼ばれ、中小路氏、鶏冠井氏、野田氏、物集女氏、神足氏、革嶋氏、寺戸氏など西岡36人衆といわれる室町幕府の御被官衆によって支配されていました。(HOTSUUさん談)

その内の一つで、中世城館を代表する遺跡である物集女(もずめ)城跡が、2024(令和6)年10月に国の史跡となりました。明けて2025(令和7)年は、西岡における物集女氏最後の当主となった宗入(そうにゅう)が、織田信長配下として西岡の支配者となった細川藤孝の家臣松井康之に謀殺された勝龍寺事変から、ちょうど450年目にあたります。

向日市文化資料館で開催中の企画展「中世の乙訓・西岡と物集女氏・物集女城」を2024年11月19日に、京都西山郷土史研究家のHOTSUUさんとともに訪れました。展示は、令和7年(2025年)1月13日(月・祝)まで開催されています。

同館の玉城玲子館長が案内してくださいました。玉城館長によると、今回の展示は、軍忠状や東寺百合文書、革嶋家文書、松井家文書など古文書を中心に展示してあるとのこと。今井用水など農業用水の管理を通じて、戦国時代には、地域の土豪たちが一つの惣国を築くまでに成長していった様子が伺えるといいます。

見どころはやはり、大本山清浄華院で発見された聖聚院という寺院を建立した物集女宗入の像だそうです。天正3年10月、時の城主物集女宗入は細川藤孝の家臣松井康之によって勝龍寺城下に誘き出され、暗殺されてしまいました。細川藤孝は西岡の諸勢力に対し安堵を行い、御礼を求めましたが、宗入は「先祖代々の地を宛がいされる覚えはない」として拒否したといわれます。

物集女宗入は土豪としての誇りを貫いて織田信長に抗して戦った人物ということになります。期間中は清浄華院から借り受け、こちらに展示されています。小さな像ですが、400年前のものとは思えないほど美しく輝いています。

向日市文化資料館提供
向日市文化資料館提供

さて、1月11日(土)には「物集女城跡国史跡記念シンポジウム」が永守重信市民会館ホールで開催されます。HOTSUUさんによると、「西岡地域の土豪たちは、藤孝に従って丹後にともなったもの、百姓とし生きる道を選んだもの、本能寺の変で散った者など様々でしたが、それぞれが土豪としての誇りを貫いたロマンがありますね。大師匠とも言うべき、中井均先生や仁木宏先生はじめ超豪華な京都西山研究の第1人者が集結する、めったにない凄いシンポジウムですので、ぜひご参加ください」と話されていました。

向日市文化資料館提供 登壇の先生方
向日市文化資料館提供 登壇の先生方

興味のある方は、参加申し込みが11月30日までですので、お急ぎください!

向日市文化資料館 京都府向日市寺戸町南垣内40-1 075-931-1182

地域ニュースサイト号外NETライター(長岡京市 など)

京都府長岡京市で小さなパン屋を開いています。山登りが好きで、人生の目標は「日本百名山に登ること」。少しずつおいしい食べ物を準備しながら登る日を夢見て、よりみちをしている毎日です。よりみちばかりで目的地にたどりつきませんが、それも味がある!いろんな人と出会い、地域を愛し、つながりをつくっていくのを見ているのが好きです。竹の街京都から発信します。

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