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「君はどうしたい?」と若手の意見を聞いてくれるマネジャーなのに、どうして嫌われてしまうのか

曽和利光人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長
「はい、はい、はい、はい!」「じゃあ、君」「えーと、わかりません」(写真:アフロ)

■リクルートのマネジャーは楽だった?

私が新卒で入ったリクルートでは、多くのマネジャーの口癖は「お前はどうしたいの?」という言葉でした。若手がマネジャーや先輩に「この案件、どうしたらいいですかね……」と相談に行くと、第一声は必ずと言ってよいほどこれでした。

あまりに毎回同じ問いをされるものですから、そのうち若手もあきらめて自分で考えるようになり、「こうしたいのですが、いいでしょうか」と最初から持ちかけてくるようになり、マネジャーは「そうか、じゃあ、やってみろ」と言う。若手は自分から言いだしたものだから、頑張ってやらざるをえなくなるという流れです。

■任せられることでやる気が出る若手

リクルートのマネジャーはそう言っておけばいいので楽だなあと若手の頃は冗談で言っていました(先輩方、すみません)。若手のほうも、そんなマネジメントで育つと、どんな案件に対しても「意見」を持つように自然になっていきます。

リクルートは、最前線の社員が自律的にいろいろ考えて、ある意味勝手に工夫をしてよいような仕事が多い業界の会社だったため、「『こうしたい」と思ったらやらせてもらえ」というこのマネジメントの流れはうまくいっていました。

そして、若手社員は権限移譲をしてもらえることでやる気になっていくという良循環が生まれていました。

■「自分がどう思うかは捨てよ」の衝撃

私もその流れに乗ってしばらく順調に機嫌よく仕事をしていたのですが、30歳になったとき、はじめてコンサルティングの仕事に携わった際に衝撃的な言葉を聞きました。

当時の上司から、その師匠筋にあたる超大物コンサルタントの方の「コンサルタント三カ条」のようなものをいただき、そのひとつ目に「自分がどう思うかは捨てよ」と書いてあったのです。

つまり、「どう思うか」などという曖昧な感想や意見や好みではなく、現実を見据えて、絶対不動の「事実」から思考をスタートし、そこから「論理的に」考えて、「どうすべきか」を提案せよ、ということです。

■どうしても「意見」を入れてしまう癖が抜けない

「お前はどう思うか」を問われる毎日から、「意見などいらない。ファクトとロジックだけで話せ」と言われる日々が始まりました。これはなかなか厳しい「変化」でした。

何を書いても言っても、これまでの癖で「自分はこう思う」が入ってしまうのです。

今でこそ事実と意見を分けることはある程度できるようになりましたが、当時30歳というコンサルティングの仕事を始めるにはかなりギリギリな年齢であった私は、慣れるのに半年以上はかかったように思います。

コンサルティングの提案書などを書いても、毎度真っ赤に修正されて返ってきました。いい年の大人が文章ひとつ書けないことに情けなく思ったのを覚えています。

■「事実」が先か、「意見」が先か

さて。「事実」に反していれば実現はしないでしょうし、「意見」がなければありきたりな差別化できない方策しか出ず、ビジネスの競争には勝てません。だから結局は「事実」から推論できることも、創造的な「意見」も、どちらも重要なことだと思います。

問題は、若い人がその両方を身につけていくのに際して、どちらから始めるべきかということかもしれません。

私の場合は「意見」を出すことを要請されることから始まり、あとで「事実」だけで物事を考えることを要請されるという順番でした。それは、その時々に担当した仕事がそれぞれを必要としたからその順番になったので、結果、良かったと思っています。

■「事実」からのスタートが適切ではないか

ただ、私は、「どう思う?」からスタートするよりも、事実を客観的に見据えていくほうから訓練したほうが、もう少しスムーズにいったのではないかと思っています。というのも、今の若者は学生時代に「君はどうしたいの?」と何度もいろいろな機会に問われており、むしろ「意見過多」の状態になっていると思うからです。

実際、若手と仕事をするときに何かの対象(市場や組織や商品など)について「どう思う?」と聞くといろいろ出てきますが、「どうしてそう思った?」と聞くと根拠がなく、要は「そう思ったから、そう思った」という思いつきの状態であることが多々あります。ですから、もっと客観的に物事をみる訓練が必要ではないかと思うのです。

■権限移譲がないのに「意見」を聞かれても

もうひとつの理由は、リクルートのように「意見」を言ったらすぐやらせてくれるというのであれば、それでもいいと思いますが、なかなかそんな会社はないのではないかと思うのです。

自分の「意見」を実行できるのであれば、すぐに「事実」に直面するため、変な「意見」を言っていれば修正されます。しかし、「意見」を聞いても、「いい意見だ」「つまらない」とか評価されるだけで、やらせてもくれないのであれば、納得感もないし、意見を磨くこともできません。それなら「意見」を聞くだけかわいそうです。

だから、多くの若手は「どうしたい?」と上司に問われても、「やらせてくれないくせに」と疑うわけです。そうであれば、若手は最初に「自分はどう思うかは捨てよ」の洗礼を受けるほうが、合理的で納得性が高いのではないかと思うのです。

OCENASにて若手のマネジメントについて連載しています。ぜひこちらもご覧ください。

人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長

愛知県豊田市生まれ、関西育ち。灘高等学校、京都大学教育学部教育心理学科。在学中は関西の大手進学塾にて数学講師。卒業後、リクルート、ライフネット生命などで採用や人事の責任者を務める。その後、人事コンサルティング会社人材研究所を設立。日系大手企業から外資系企業、メガベンチャー、老舗企業、中小・スタートアップ、官公庁等、多くの組織に向けて人事や採用についてのコンサルティングや研修、講演、執筆活動を行っている。著書に「人事と採用のセオリー」「人と組織のマネジメントバイアス」「できる人事とダメ人事の習慣」「コミュ障のための面接マニュアル」「悪人の作った会社はなぜ伸びるのか?」他。

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