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台湾の領有権は誰の手の中にあるのか?

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
台湾古地図(写真:イメージマート)

 中国は「台湾は中国の不可分の領土である」と主張するが、その根拠は中国が国連に加盟する際の国連決議にあるだけで、実際に中国が台湾を領有したことはない。では、誰が領有してきたのかを考察してみよう。

 「中華民国」(台湾)の憲法を分析すると、とんでもない「中華民族の掟」が見えてきた。

◆太古の昔からの台湾領有権に関して

 今年8月10日に中国政府は「台湾問題と新時代の中国統一事業」という「台湾白書」を発布した。

 そこには「台湾は古代から中国に属しており」という書き出しがあり、西暦230年、三国時代に著された『臨海水土志』という本に最も古い記録があるとのこと。続いて隋王朝(581年-618年)政府は、当時「流求」と呼ばれていた台湾に3回、軍隊を派遣したという。宋・元時代以降、中国の歴代中央政府は澎湖と台湾の統治を開始し行政管轄を実施した。

 1624年にオランダの入植者が台湾南部を占領したものの、1662年には民族の英雄・鄭成功がオランダの入植者を追放し、台湾を奪還することに成功した。清朝政府は徐々に台湾に行政機構を拡大し、1684年に福建省の管轄下における台湾府を設立した。1885年に台湾を行省に改称し、当時20番目の行省とした。

 1894 年 7 月、日本が日清戦争を発動し、翌年 4 月、敗北した清政府に台湾と澎湖諸島を割譲させた。1945 年9月、日本が降伏条項に調印。

 「台湾白書」には、同年10月5日、「中国政府は台湾に対する主権の行使を復活すると発表し、かつ台北で中国戦区台湾省の降伏式典を挙行した。このように、国際的な法的効力を持つ一連の文書を通して、中国は法律的にも事実上台湾を取り戻した」とあるが、ここにある「中国政府」とは「中華民国」政府のことであって、決して現在の中国共産党が統治する大陸の「中国(中華人民共和国)」(=共産中国)のことではない。すなわち、大陸側の共産中国が台湾を占有したことは、この時点まではないことを、まず頭に入れておきたい。

◆中華人民共和国(共産中国)誕生以降の台湾に関する領有権

 では「台湾白書」にある、中華人民共和国(共産中国)誕生以降の領有権に関する経緯と中国側の主張を見てみよう。

 1.1949年10月1日、中華人民共和国中央人民政府が成立を宣言し、中華民国政府に代わって、中国全体を代表する唯一の法的な政府となった。 これは、国際法の主体である中国が変わらず、中国の主権と固有の領土境界が変わらず、中華人民共和国政府が台湾に対する主権を含む中国の主権を完全に享受し、行使するという条件の下での政権交代だ。中国の内戦の継続と外力の干渉により、台湾海峡の両側は長期にわたる政治的対立の特別な状態に陥った。しかし、中国の主権と領土は決して分割されておらず、決して許されることはない。中国の領土の一部としての台湾の地位はこれまでも、これからも変わらない。(筆者注:「台湾白書」には、このように書いてあるが、それは共産中国の立場からの「解釈」であって、客観的領有とは無関係だ。)

 2.1971 年 10 月、第 26 回国連総会は 第2758号を決議し、「中華人民共和国の全ての権利を回復し、その政府こそが、国連における唯一の合法的な中国の代表であり、蒋介石が代表する国連およびそれに関連する全ての組織における議席は完全に駆逐されなければならない」と決定した。この決議は政治上も法律上も、手続き上も、台湾を含めた中国の代表権問題を徹底的に解決しただけでなく、さらに国連における中国の「議席」は「一つ」であり、「二つの中国」も「一中一台」問題も存在しないことを明確にした。

 3.国連総会決議第 2758 号は、「一つの中国」の原則を体現する政治文書であり、国際慣行はその法的有効性を十分に確認しており、曲解することは許されない。(中略)近年、アメリカが率いる個別の国の一部の勢力は、「台湾独立」分離主義勢力と結託して、当該国連決議(第2758号)は「台湾の代表権の問題を処理していない」(=台湾の地位は決定されていない)という誤った主張をしている。

 それは中国の一部としての台湾の地位を変更し、「2つの中国」、「1中1台(一つの中国、一つの台湾)」を作成して、「台湾を以て中国を制する」という政治的目的を達成するための試みだ。

 4.「一つの中国」の原則は、国際社会の普遍的コンセンサス(総意)であり、国際関係の基本的規範を遵守する意義を持っている。現在、米国を含む181カ国が一つの中国の原則に基づいて中国と国交を樹立している。(概略引用はここまで。)

 このように共産中国が主張する「台湾は中国の不可分の領土である」とする根拠は、ひとえに国連決議第 2758 号に求めていることがわかる。

 これを9月30日のコラム<日中国交正常化50年の失敗と懲(こ)りない日本>で用いた時系列の中に書き込んでみよう(赤文字)。

拙著『チャイナ・ギャップ』のp106-107にある時系列に筆者が赤で加筆
拙著『チャイナ・ギャップ』のp106-107にある時系列に筆者が赤で加筆

 上記時系列表から明らかなように、アメリカのニクソン(元大統領)が、自分の大統領再選のためにキッシンジャー(元国務長官)を遣わせて忍者外交をさせていなければ、成立していなかった国連第2758号決議にのみ、共産中国が主張する「台湾は中国の不可分の領土」の根拠があるだけで、こんにちに至るまで共産中国が実際に台湾を領有したことはない。

 ちなみに、2005 年 3 月14日には、全人代(全国人民代表大会)で「反国家分裂法」を制定している。これは台湾が政府として独立を宣言しようとしたときには、「武力」によって「国家の分裂」を阻止することと決議した法律である。

◆「中華民国」(台湾)の憲法では、どのように規定しているのか?

 では、実際に台湾を統治している「中華民国」(台湾)は、どのように領有権を位置付けているのか、現行の「中華民国」憲法を見てみよう。

 蒋介石率いる「中華民国」政府は、1945年の日本の降伏宣言を受けて、台湾に台湾省行政長官公署を設置し、同年10月25日に、「中華民国」の陸軍大将・陳儀が行政長官に任命されて台湾に赴き、台湾本島と澎湖諸島の中華民国への編入(台湾光復)を宣言した。この時点で、台湾は正式に蒋介石「中華民国」政府が領有することとなった。

 蒋介石自身も、1946年10月25日に台北市中山堂で挙行された台湾光復1周年記念式典参加のために台湾に行っている。

 1949年10月1日の中華人民共和国誕生に伴い、国共内戦に敗れた蒋介石は台湾へと逃れて「中華民国」政府を継続させた。あらゆる点から見て、「中華民国」はまちがいなく台湾を実際上、領有し続けているのである。

 さらに「中華民国」憲法や行政院新聞局などの関連文書には、2005年まで中国大陸全土を含む領土が「中華民国」の領土であると定義されており、2002年まではモンゴル共和国までが「中華民国」の領土として位置づけられていたくらいだ。

 現在ではそれらの条文は適用を停止しているだけで、削除はされていない。

 「中華民国」憲法の修改正(増修)ページを詳細に見てみると、そこには「統一前の必要に応じて(一時的に)関連条文の適用停止をする(のみである)」という旨の断り書きがある。

 蒋介石は、「いつかは中国の大陸全土をわが手に」と考え、「反攻大陸」という言葉を用いて、大陸奪還を目指していた。さすがに2006年以降は非現実的であるとして適用されていないが、しかし国共内戦に敗れて台湾に逃亡するまでの間に「中華民国」が大陸で運営したことのある「国民大会」の枠組みを、今も残しているのだ。すなわち、

  もし共産中国が旧ソ連のように崩壊して民主化した暁には、

  「中華民国」(台湾)が、いつでも「中華民国」(中国全土)を統治し、

  国家運営の骨格であった「国民大会」を復活させる用意があることを、

  「中華民国」憲法に潜ませている

のである。

 2012年3月、馬英九政権の時代に、凍結状態にある「国民大会」に関する関連法律を「廃止」すべきだという提案が台湾団結連盟よって提出されたが、立法院はそれを退けている。

◆中華民族の掟――今も捨ててない大陸奪還の可能性

 『三国志演義(中国語では三国演義)』には、「天下大勢、分久必合、合久必分」(天下の大勢、分かれて久しければ必ず合し、合して久しければ必ず分かつ)という言葉がある。その「久しい期間」は戦略的で、数百年単位であるかもしれない。

 毛沢東は「台湾統一は百年待っても構わない」と言ったが、「中華民族」の「時間の流れ方」は百年単位だ。

 拙著『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』を最初に書いた時に、中国の時間の流れ方は尺度が違うと痛感したことがある。

 1948年、餓死体が敷き詰められた「チャーズ」の門を守衛し、筆者の父に断腸の思いの決断を迫ったのは朝鮮人八路(中国共産党軍)の正体を追いかけている内に、彼らは1950年から始まった朝鮮戦争で金日成によって戦場の最前線に送られ粛清されたことを、1980年代初期になって知った。残虐極まりない行動をした朝鮮人八路は消されてしまっていたのだ。

 中国の時間の流れ方は、常に戦略的である。

 台湾の領有権問題を考察すると、「中華民族の時間の流れ方」と「戦略性」を思い知らされる。

 国連決議第第2758号には毛沢東の執念が込められ、毛沢東の戦略が世界の動きを今も縛っている。

 共産中国の台湾領有権主張の根拠は、毛沢東の亡霊のような形で国際秩序となっているが、片や蒋介石の執念もまた、中国の民主化を待つ形で「中華民国」憲法の中で、まだ亡霊のような形でうごめいているのだ。

 日本が天安門事件後の対中経済制裁を解除して、中国の民主化の唯一のチャンスをもぎ取ってしまったことが、どれほど罪深いかが、この考察からもご理解いただけるのではないだろうか。

 「中華民国」憲法は、その瞬間を待っていたのだ。

 その唯一のチャンスを日本は奪った。

 筆者が執拗にその事実を問い続けるのは、おそらく、「チャーズ」の生存者だからこそ見えてくる「中華民族の掟」を、餓死体の上で野宿するという実体験を通して骨の髄まで実感しているからだと思う。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』(11月1日出版、ビジネス社)、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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