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鼎談・ヘイトスピーチと「在日特権」の妄想と虚構1

藤井誠二ノンフィクションライター

フリージャーナリストの安田浩一氏が取材・執筆した「在日特権を許さない市民の会(在特会)」についてのルポ(のちに『ネットと愛国』として単行本化を軸に議論を展開しました。弁護士・李春熙(リー・チュニ)さんは、在特会が引き起こした京都初級学校に対するヘイトスピーチや嫌がらせ事件(のちに学校側が在特会に対して起こした損害賠償等訴訟で学校側が勝訴 http://togetter.com/li/574176 )を、被害者である学校側の代理人として活動しています。両氏と、排外主義・差別感情をむき出しにして活動する「ネット右翼」なるものについて考察してみました。

(この鼎談は昨年(2010年)11月23日に放送した、藤井誠二が構成・司会をつとめるインターネット放送「ニコ生ノンフィクション論」での議論に修正・加筆をおこなったものです。その後、 藤井誠二公式メルマガ『事件の放物線』(2011年6月13日号)として「ネット右翼とは正体とはなんなのか」と題して配信したものです)

【目次】─────────────────────────────────

■今までとは違う「コード進行」の排外主義が出てきた

■「在特会」のいう「特権」をどう考えるのか?

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■今までとは違う「コード進行」の排外主義が出てきた■

藤井:

こんにちは。ノンフィクションライターの藤井誠二です。ニコ生ノンフィクション論の第三弾をお送りします。講談社から『g2』(vol.6)というノンフィクション雑誌に『在特会の正体』というルポを書いた安田浩一さんが今日はゲストに来てくださっています。安田さん、今日はよろしくお願いします。

安田:

よろしくお願いします。

藤井:

「在特会」というものについては後程、安田さんの取材報告もお聞きして、詳しくはお話をしていただきますけれども、もう一人のゲスト、弁護士の李春熙さんです。よろしくお願いします。

李:

李春熙(リー・チュニ)です。よろしくお願いします。

藤井:

私事なんですけど、李さんと私、学校の先輩と後輩同士なんです。

李:

藤井さんが、だいぶ上の先輩なんですけど。

藤井:

高校が同じですね。歳は15年以上違うんですけれど。今は弁護士をされています。当時会ったときはまだ大学生でしたね。

李:

あの時は大学生でした。

藤井:

今は立派におなりになって。(笑) 今日はよろしくお願いします。

李:

お願いします。

藤井:

この『g2』に『在特会の正体』というルポが載っています。これは「在日特権を許さない市民の会」の略称が「在特会」という名前なんですけれど、これ多分知ってる人は知ってますね。この在特会の存在をこのニコニコ動画で知った人が多い。まあ、YouTuでも流れてますが、そこでこの動画を見て彼らが展開している…彼らは行動する保守と自称してるわけですけれど…外国人の一言で言うと排斥運動や、ヘイトスピーチと言われる排斥的な言動を繰り返しているを知っていく人が多いそうです。一応かれらは市民団体であるということですが、今日タイトルには「ネット右翼」と付けてますけれど、いわゆる通称ネット右翼が街へ出てきたというか、実社会で行動を起こしている人々のことを指しますが、安田さんはその取材をされてきた。

安田:

ここ数年興味と関心を持って取材対象としてきたのは事実です。

藤井:

そもそもこの在特会という、ネトウヨといえばそうなのですが、一つの団体の名前ですが、この団体の取材をしようと思ったきっかけというのはなんだったんですか。

安田:

在特会に関しては団体としての興味というよりも、いわゆるネットウヨクの象徴的な団体として私は取り挙げてみたわけですけれどね。藤井さんもそうだったかもしれないけども、僕なんか、1990年代からいわばこの業界に入って仕事している中で…

藤井:

ちなみに安田さんと僕はほぼ同い年ですね。

安田:

そうなんです。同じように週刊誌記者としてやってきたわけですね。そうした中で、当然ながら右翼民族派との接触もあるわけですし、そういう人を取材する機会も非常に多かった。ただやっぱり今世紀に入ってから、そうした右翼民族派の人たちとは別に、なんだかコード進行が違う人々が出てきた。

藤井:

コード進行が違う文言というのはどういうことですか。

安田:

例えばですね、右翼民族派というのはある種立場の違いを越えて、たとえばレイシズムに関しては批判的な観点を持っているということを広く共有していたわけですね。ところが昨今のネット右翼にはそれが無くなってきた。露骨に特定の民族を叩く、差別する、あるいはそれは排斥する。という言葉がいわば流通するようになってきた。それは従来僕らが知っていた右翼民族派のコード進行とは全く違うものだった。

藤井:

僕がまず右翼の取材始めたのは、日教組の集会だった。日教組の全国集会に取材に行くと街宣車が全国から何百台も結集してて、そこで「日教組、出ていけー!」みたいに街宣を派手にやってるわけで、それがいわゆる街宣右翼ですね。割と僕らにはそういうイメージありますよね。東京だったら10年ぐらい前に三多摩地区のほうで、高校の卒業式の「日の丸・君が代」に対する教師や高校生たちの反対運動があって、それに対しても日本中から街宣右翼が集まって怒鳴り散らしていく、そういったのが僕らが知っている街宣右翼のコード進行だったんですよね。

安田:

非常に分かりやすかったし、「この人は街宣右翼かどうか」ってのが、目にするだけで判断できた。

藤井:

戦闘服を着て、天皇を賛美するという、そんな感じでしたよね。

安田:

ええ、そうです。で、僕らは差別や排外主義だけは受け入れられないということを最大公約数として、立場の違い、あるいは立ち位置の違いというものは当然、理解した上で右翼民族とは話ができる、つまり会話が通じた部分っていうのはあったわけですね。ところがまあ、今世紀始めくらいからネット右翼と呼ばれる方々がネット上に散見されるようになった。まず、彼らとのコミュニケーションが非常に難しい。彼らの多くはネットでしか表現できない、あるいは表現しない、ネットに限定された表現しかできない。リアルな社会でうまくコミュニケーションできなくなってくる。そういったディスコミュニケーションの中で、どうやって彼らと会話をしたらいいのか、あるいは交流したらいいのか、ということは僕は常々考えてきたわけです。

僕はここ数年、外国人労働者の問題を集中的に取り組んでいます。、怪しげな中国人ブローカーや日本人の怪しげな業者なども取材しているわけですが、そうした人々とは別に、一般の日本人を取材している過程でも、どこか薄ら寒い印象を受けることがある。たとえば外国人労働者の集住地域と呼ばれてる地域で取材していると、そこに住む方々から、レイシズムとは言わないまでも、ぼんやりとした外国人に対する怖れ、いわば薄っぺらなゼノフォビアって言ってもいいのかな。そういったものを非常に強く感じるようになってきた。で、僕は在特会というのを非常に特殊な勢力だとは思っていなくて、いわばそうした人々の気持ちを、あるいは言葉を代弁するような団体としての側面も僕は認めているわけです。

藤井:

僕も90年代の最初に浜松で外国人労働者の取材をしたときに…南米系の方がブラジル人とか多くて…そこでブラジル人女性が宝石店に入ったら警察に通報された事件があった。彼女が万引きすると思ったと店が通報した。それが当時大問題になって、彼女は地元の弁護士に頼んで「差別撤廃条約」を盾にしてその宝石店を訴えたんです。「ニューヨーク・タイムズ」を含めて世界中から取材が来たことがあって、僕もその裁判取材を契機にして、浜松で起きた「外国人差別事件」を取材してまわり、ブラジル人が釣竿店に来たら通報されたとか、ブラジル人がおもちゃ屋さんに入ったら追い出されたとか、僕はそれを一件一件取材したんです。地元のバス会社なんかブラジル人が乗ってくると、ブラジル人が乗ってるから気をつけろっていうアナウンスをするバスの運転手がいたりとかした。そういう地域の中での、思想的なものではない、何か皮膚感覚で排他主義的なものが出てきている風潮は90年代から確かにありました。

安田:

そうですね。イデオロギーとは全く違った文脈で語られるべきだと思います、それはまさに皮膚感覚による外国人への恐怖みたいなものでしょうか。もちろん実害を受けた人もいるでしょうけれど、単なる外国人嫌い、あるいは外国人が増えてきたことに対する脅威、畏れ、そういったものは当然あると思うんですよね。

藤井:

最初は外国人住民がゴミ出しのルールを守ってないとか、そういうところから始まっちゃってることが多いんですよね。

安田:

例えば旧住宅公団(現UR)が建設した団地なんかにもそういう問題多いわけですよ。在特会の関連団体の方々もやっている運動だけども、埼玉県のある団地に中国人が増えてきたと。これは脅威であると。彼らはこの団地を侵略しようとしているのであると。だから追い出さなければならないというロジックが当然出てくるわけですし、でもこれは何も目新しい主張ではなくて、例えば日系ブラジル人の多い愛知県内には、住民の半数以上がブラジル人、あるいはブラジル人を中心とする日系南米人が占めている団地なんていくらでもあるわけです。そこでは以前から、日本人住民との間で深刻な対立がいっぱい起きてるわけです。まあ、話が横道に逸れますけども、その対立を紐解いて調べていくとですね、もちろん日本人と外国人の対立というのはあるんだけれども、これは世代間対立に結局帰結するケースも多いわけですよ。だから、郊外の団地というものが言うなれば限界集落化しているっていう現状が先ずあるわけですね。

藤井:

愛知県豊田の保見団地なんかでは、まさに日本人は老人が多くて、新しい世代はブラジル人という構造でした。

安田:

そういうことなんですね。日本人住民は圧倒的に高齢者が多い。この限界集落化した団地という存在の中に新住民として入ってくるのは働き盛りの外国人です。そうすると20代、30代、40代と比較的活発に体が動く外国人と、それからその土地にいわば腰を落ち着けてらっしゃる高齢者の間での世代間で対立というのは当然考えられる。それが日本人と外国人の対立という図式に置き換えられてしまう。これは非常に不幸なことだと私は思っているわけです。ただ、依然としてそういう背景があるにせよ、そこからいわば漏れでてきた文言がですね、外国人は怖い、外国人はルールを守らない、外国人は何をするか分からない、といったものなんですね。そういった文言がじわじわと市民社会の中に浸透していく。これに関して、もちろん僕のなかに反発もあったけれど、もう少し内実を見てみたい。そういう文言を直接的に口にしてる人たちに会って話をしたい、聞きたい、という希望はずっと持ってたわけです。

藤井:

そういう伏線は僕も実感として分かるんですが、その中でも「在日特権を許さない市民の会」に対象を絞り込んでいったのはどういうことでしょう?

安田:

簡単に言ってしまえば最大勢力だからです。まあ、内実は別としましても、会員数が約一万人近くいらっしゃるわけで、当然ながら影響力も大きい。それから、ネットを見ない人においてもね、在日特権を許さない市民の会に関して関心を持っている人が増えてきた。昨年だけでも、延べ10人を越える逮捕者を出す、そういった事件の当事者だということ、社会的影響力が大きいということですね。

■「在特会」のいう「特権」をどう考えるのか?■

藤井:

在特会のホームページがあるので、彼らの主張については是非そちらを見ていただければ分かりやすいと思うんですけれど、取材者として安田さんがこの団体を取材して、どういうことを目的に、どういう活動をしている団体だと言えますか?

安田:

ちょっと慎重な物言いをしたいと思っているのは、この在特会という組織そのものが、いわゆる組織としてきちんと機能してるのかどうかという、この点に関して根本的な疑問を持ってるんですね。新左翼党派であるとか、様々な政治諸党派と決定的に違うのは、一万人と言われている会員が日常的に顔を合わせているわけではありませんし、その中で活発な議論がなされているという形跡も見当たらない。例えばそれはミクシィであったり、ネット上の様々な議論を経ている訳ですけども、その中で政治的な最大公約数を見出すという作業は外側からは非常に難しい。見えてこないんですね。内部ではもちろん一生懸命されてる方はいるかもしれないけども。外から見て非常に分かりにくい。そういう団体であるということは事実だと思うんです。であるからして、誰もが在特会に参加できますし、そのハードルの低さ故にですね、多くのシンパシーを集めてる。それだけに影響力を発揮しやすいっていうことは間違いないと思いますが、組織の実態はつかみにくい。

藤井:

「在日特権を許さない市民の会」という団体名にもあるように、この「在日特権」という言葉、僕はこの団体が出てきて初めて目にするんですけど、安田さんが取材をされて、ホームページにも彼らが主張する在日特権って書いてあると思うんですけど、どういうことを言っているんですか。

安田:

特権というのは特定の身分、地位の人が持つ優越した権利のことですよね。

僕らから見て「羨ましいな」って思えるようなことを本来特権と言うべきであろうはずなのに、彼らは、日本社会のマイノリティであり、さまざまな差別を受けてきた在日コリアンに対して、敢えて「特権」という言葉を使っている。在日コリアンはこの日本社会において、さまざまな特権を有しているというわけです。たとえば生活保護を優先的に受けることができるとか、通名使用が認められている、あるいはマスコミは在日が支配してるとか。

詳しくは李春熙先生に伺うとしましてね、僕がこうした主張を繰り返す在特会を取材して感じるのは、会員間に共通する独特の匂いとでも言いますか。もちろん個々はそれぞれ違う。決め付けるようなことは言いたくないんですけれども、おおよそふんわりと流れてくる匂いというのが当然あるわけです。その一つが、被害者意識。

藤井:

被害者意識?

安田:

そうです。これ、メディアはね、どうしても彼らの加害者性というものに着目しがちですが、彼ら自身は自らをけっして加害者の立場には置かない。自分たちが被害者だということを一生懸命に訴求しているわけです。

藤井:

なるほど。その「被害者性」についてはとても意外な見方ですけども、これについてはまた後で議論しましょう。二点目はなんですか?

安田:

反エリート主義です。三番目は実際ちょっと重なるんですが、いわば反権威主義というのかな。

藤井:

なるほど。それはこの団体というかグループの本質的な分析に関わることなので、それはまたちょっと後半に話しましょう。そこで李さんに聞きます。この「在日特権」とは一体何なんですか。在日コリアンであったり在日中国人であったり、在日外国人のことを指すわけですけど、この場合の在日特権って彼らが主張するものは何なんですか。

李:

私自身は弁護士で法律家なので、基本的には個別に発生する事件の範囲内で排外主義の問題に色々関わっています。具体的な在特会の社会的実態等については、むしろ安田さんの今回のルポで学ばせてもらった部分が多いんです。

藤井:

順番前後しますが、李春熙弁護士は、京都初級学校に対して在特会が起こした「襲撃事件」、学校に彼らが集まって学校に対してひどいヘイトスピーチを浴びせかけて、通っている子どもたちを震え上がらせるような犯罪的行為をした事件にも関わってらっしゃる。朝鮮学校が起こした裁判ですね。

李:

私自身が、直接在特会のことをリアルに認識したのは、今回の京都の朝鮮学校の事件です。これは昨年(2009年)12月4日に、在特会の関西支部を名乗る人たちが朝鮮学校に押しかけて、その前で街宣活動を行った。彼らが何を理由にしたかというと、京都の朝鮮学校が、朝鮮学校の前に公園があるんですけども、その公園を勝手に占拠して自分たちのもののように使っていると。

藤井:

初級学校だから小学校の子供たちですね。

李:

はい。実際その学校は小さい学校なので運動場は無いんですね。前の公園を、市側と協議して使っていたんですけども、そのことに着目して、これはとんでもないという理由で街宣活動をおこなったその街宣活動の態様が非常にひどかったんですね。朝鮮学校の子どもはスパイの子どもだと、あるいは朝鮮人はキムチ臭いとか、ゴキブリだとか。要するに聞くに耐えない言葉をですね…

藤井:

ゴキブリって言ったの?

李:

言いました。私も動画を見て、細かく覚えられないぐらい…。

藤井:

ひどいな。この動画はニコニコ動画に上がっているんですね。

李:

はっきり言ってこのニコニコ動画がある意味では牙城になってますよね。(苦笑)

藤井:

コミュニティもある。

李:

そのニコニコ動画(生放送)に私が出るのも非常に面白いことなんですけども、面白いというか許されることなのかも分かりませんけれど。今裁判にもなっているので後程、話もしますけども、これはなんというか違法性を帯びる段階に達してきたな、というふうに初めてリアリティを感じました。今京都の方で民事の裁判が続いています。そういう形で関わるようになっていったんですけども、先ほどの在日特権の話に戻ると、先程の朝鮮学校の例でいくと、要は運動場を勝手に使ってるんだと、これはとんでもないと、日本人の権利を侵害しているかのようなことを言うわけなんですね。私が思うのは、彼らが本当に在日特権の事を問題にしたくて言っているのではないように思います。なんというか、安田さんが先ほどおっしゃられた被害者意識というのかな、何かを先ずぶつける対象が必要だから、その言い訳として在日特権ということを持ち出しているかのように、私としてはすごく感じらるんですね。

藤井:

彼らが在日特権とはたとえば「特別永住権」のことを言ってますね。

安田:

そうですね。特別永住者という制度・資格そのものが、特権であると言ってる。

李:

特権というのは、本来、誰かと比べての特権だということだと思います。で、少なくとも日本人と比べての特権はそれはないですよね。そうすると一般の外国人と比べて、特権があるということになる。その象徴的なものが特別永住だと彼らは言ってますよね。特別永住が何かと言うとですね、正確に言うと、入管特例法という法律があるんですね。法律の正式名称を言うと、日本国との平和条約に基づき、日本の国籍を離脱をした者等の出入国管理に関する特例法ということで、要は植民地時代の精算としてね、植民地支配の結果日本に在留するようになった在日コリアンの在留の地位を保障しようと。そういう法律なわけです。それに基づいて、特別永住という永住資格が在日コリアンに与えられているということになります。これが彼らは一般の外国人と違う、つまり退去強制事由も非常に限定されているし、安定した在留資格があるということで特権だと言うんですけれども、僕からすれば特権でもなんでもなくて、それは在日コリアンが日本に住むようになった歴史的経緯に鑑みれば当然の権利だし、義務なわけですよね。そこに対する認識が無いから、どうしても特権という言葉が出てきてしまうというふうに感じられるんですね。

藤井:

生活保護が受けやすいとも在特会は叫んでいる?

安田:

在日だと生活保護すぐ受けられる、みたいなね。彼らの主張で一番多かったのが、「在日だとね、生活保護受けられやすいんですよ」という発言。

李:

ひとつ言えるのは、在日コリアンに生活困窮者が多いということは考慮すべきだろうと。難民条約に日本が加入したあとは、生活保護とかそういう社会保障の問題に関しては、内外人平等ということで、住んでいる以上は当然社会福祉を受けるべきだと。これが大原則なんですね。ですから、在日も生活保護を受けなければいけない人は受けてるし。で、たまたまそう言った方々が多く住んでる場所では、多く受けてるってことがあるかも知れません。それは平等に適応されているということだけで、特権では無い。また、彼らの言い分の特徴的なことは、個別の不正事例を一般化する傾向があると思いますね。

例えば、生活保護を不正に受給をしている、それはいると思います。でもそれは在日だけではなくて、当然日本人にもいるだろうし。ただ在日に何人かも不正事例があったからといって当然その属性に属する人全体に対して攻撃を向けると、これが特徴的な論法じゃないかなと。あらゆるところでそういったことを感じてしまう。

藤井:

なるほど。他になんか特権と言われているのは?

安田:

今の生活保護の問題に絡んで言えば、役所のケースワーカーであるとか、生活保護担当者なんかも取材したんですけれどもね、あくまでも一般論ですけども、在日コリアンであることで生活保護を優先的に受けられるのか、あるいは日本人と比べて指定要件が緩やかなのかと質問すると、誰もが「はあ?」って顔するわけですよ。「ありえない、そんなことは絶対に」と。もちろん個別の事例というのはあるかも知れないけども、一般的には先ずあり得ないわけですよね。で、実際厚生労働省の記録によると、たしかにその、例えば10万人あたりの受給者の数というのは、日本人よりも外国人、外国籍の住民の方が多いのは事実です。これは間違い無い。

実際に多いわけですよ。そこにはやっぱり様々な歴史的背景や環境っていうものを充分考える必要があると思うわけですね。特に在日コリアンでいうと、どんな人が生活保護受けてるかっていうと、圧倒的に単身の高齢者ですよね。

無年金であった人々、そういう人々は結局生保に頼らざるを得ないという現状は存在するわけです。その単身高齢者の中で受給率が高いのは事実でしょうけれども、それをもってして果たして特権と言えるのか。つまり特権とされてる民族がそもそも生活保護を受けなきゃならない現状に置かれているという事自体が、特権を剥奪されている証拠でもあるわけですね。ましてやその特権という文言から連想される優越的な地位というものはとてもじゃないけど、見出すことはできません。

藤井:

彼らの主張の中では、それは在日コリアンだけに特権があるというふうに言ってますね。

李:

先程も言ったように社会保障については内外人平等ですから、在日コリアンに限らず、日本人であってもその他の外国人であってもそれは平等に適応される問題です。しかし、今回の彼らの主張を見るかぎりは、焦点的に絞っているのは在日コリアンで、在日コリアンは他の外国人に比べて特権があるという言い方をしてるんじゃないでしょうか。

権利というのは人として絶対あるわけだから、それは在日の権利もあるだろうし、日本人の取った権利もあるだろうし、他の方に比べて比較的にその経緯から認められている権利もあるでしょうし、それをなにも一包めにして特権、特権というのは、記号としての特権という言い方にしかすぎないようには思いますね。

(続く)

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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