なぜマスコミ幹部は首相との会食をやめないのか?―現役記者ら500人以上がメディア改革求める
黒川弘務前検事長と産経新聞、朝日新聞の記者らが賭け麻雀をしていたことへ批判が高まる等、マスメディアに対する人々の不信感は、かつてない程高まっている。それでなくでも、記者クラブ制度の閉鎖性やメディア幹部と首相の会食などの権力との癒着は、批判を浴び続けてきた。ネット上では「マスゴミ」と揶揄され、マスメディア不要論まで叫ばれる始末だ。
こうした中、有志のメディア関係者による「ジャーナリズム信頼回復のための提言」チームが、ジャーナリズムの再建、信頼回復のための提言をまとめ、今月10日付で、日本新聞協会に加盟する新聞・通信・放送129社の編集局長・報道局長に送付した(関連情報)。
また、この提言をもとに、今月18日には、現役のメディア人や研究者、市民活動家をゲストに報道のあり方を問うオンラインイベント「ジャーナリズムがやるべき6つのこと」が開催され、筆者も議論に加わった(関連情報)。
本稿では、18日のイベントでの論議を踏まえながら、日本の報道の再建のための私見を述べたい。
◯現役記者達がメディア改革を提言
「ジャーナリズム信頼回復のための6つの提言」は、新聞労連委員長で朝日新聞記者の南彰氏、時事通信記者の中村進午氏、京都新聞東京編集部長・編集委員の日比野敏陽氏ら、現役の記者達がメディアOB/研究者達と共にまとめた。その全文は、本記事の末尾に転載しているが、この提言の中でも、筆者がとりわけ重要だと考えるのは「報道機関は権力と一線を画し、一丸となって、あらゆる公的機関にさらなる情報公開の徹底を求める」という部分だ。
18日の議論の後、筆者は、改めてメディア不信の本質はなんだろう、と考えてみたが、一言で言えば、現在の大手メディアは、多くの市民から「私達のためのメディアではない」と思われている、ということだろう。権力やスポンサーにベタベタせず、本当に市民によりそっていれば「マスゴミ」と罵られないはずなのだ。
18日の論議でも、「賭け麻雀」に象徴されるネタ元である政治家や官僚から情報を得るため、記者が「癒着」と見られるような過剰に「親密な関係」をつくることの是非が問われ、黒川氏と麻雀していた記者らに対し、「よくそこまで食い込んだ」と評価する向きすらあったことが問題提起された。一般の市民の感覚からはかけ離れた感覚であるが、横並びの報道から一つ頭を抜きん出るため、ネタ元にいかに接近し、信頼関係をつくれるかは、現在のマスメディアにおいて記者の評価基準となっている。だから、記者達にはネタ元と会食や麻雀、ゴルフ、場合によっては風俗といったものを共にすることは珍しくないのだという(動画参照)。
◯なぜ、メディア幹部は首相との会食をやめないのか?
ただ、筆者が記者達の麻雀等より許し難いと感じるのは、メディア上層部が頻繁に安倍晋三首相など政権中枢の面々と会食を行っていることだ。上層部がそういう感覚だから、記者達だって、本来、緊張関係も必要な取材相手と馴れ合うことになる。しかも、「桜を見る会」をめぐって政権への批判が高まっていた矢先にもが安倍首相と会食していたのだから呆れるしかない。
メディア上層部の安倍首相との会食は「首相動静」等により一般の人々も知ることとなり、ツイッター等ネット上では批判が相次いだ。これについて、朝日新聞は今年2月14日付の記事「首相と会食、権力との距離は 記者ら、飲食ともにする『懇談』」の中で、首相とメディア幹部の会食に対して批判的な読者や識者の意見を紹介する一方、「独善に陥らず適正な批判をするには直接取材が不可欠だ。権力者が何を考えているのか記事ににじませようと考えている」という曽我・編集委員のコメントも紹介した。また、同記事の中で、朝日新聞の円満亮太・政治部次長は、以下のように語っている。
◯呆れた「特権階級」の奢り
つまり、取材の一環だから仕方ない、取り込まれることはない、というものだが、フリーランスの筆者から言わせれば、これこそ「特権階級の奢り」そのものである。マスメディア上層部だからこそ首相と会食できるのであって、言い換えれば首相から利用価値があると思われているから会食できるのだ。そうした非公開の場で重要な情報がもたらされるのであれば、しかも話された内容がオフレコで記事化できないのなら、政府の情報発信のあり方として、著しくフェアネスに欠ける。会食等の非公式な場で、「権力者にご意見をうかがう」というマスメディアの慣習こそが、権力者を甘やかし、会見等の公式な場での説明責任を軽んじさせることになっていないか。例えば、首相会見でマスメディアの記者達は更問い(質問への回答が不十分である場合に、さらに質問を重ねて追及すること)すら、ろくにせず、事実上、安倍首相の言いっぱなしを許しているのに「取り込まれることはない」と胸を張られても、失笑するしかない。更問いをしないという昨今の風潮は「会見時間が限られているから、記者も躊躇する」との意見もあるが(関連情報)、主権者たる人々の「知る権利」を保障し、政府としての説明責任を果たす場である会見は、最重要の公務だ。本来であれば、メディア上層部と会食する時間があるくらいなら、首相は会見に十分な時間を確保すべきであるし、またメディア側もそれを強く求めるべきなのだ。しかも、首相動静をみると会見の後に比較的早い時間に私邸に帰り、来客もなしというパターンも少なくない。「時間が限られている」というのは口実とならない。結局のところ、安倍首相は公式な場での説明責任を軽んじているし、それをメディア側も助長しているのである。
◯「密着取材」で、自主規制
政治家や官僚への非公式な場での取材偏重と、そのための「仲良しクラブ」的な馴れ合いが、人々の「知る権利」のために役立っているのならまだしも、どうも報道における自主規制につながっているのでは、と疑わざるを得ない話が筆者の耳にも入ってくる。例えば、とある民放キー局関係者から聞いたことであるが、番組の中で政権に批判的な内容があると、真っ先に怒鳴り込んで来るのが同じ局の政治部長なのだという。また、2016年に国連「表現の自由」特別報告者のデビット・ケイ氏が日本のメディア関係者に聴取した際、ケイ氏が当惑したのは、「(権力側の直接の圧力というよりも)メディア側の自主規制が深刻」という訴えの多さだった。官房長官会見における東京新聞の望月衣塑子記者への質問制限及び、それを内閣記者会が黙認しているのも、「仲良しクラブ」的な会見の空気に馴染まない異分子を排除する傾向があるからだろう。
◯メディア全否定も危険
ただ、悪しきマスメディアの慣習や奢りを批判していくことは必要であるものの、一方で「マスゴミ」という言葉に象徴されるマスメディア全否定も危険である。現在の社会で流通する情報のほとんどが、新聞やテレビ、雑誌等の既存メディアが発信しているもの(ネットの情報もそのソースは既存メディアの報道がほとんどだ)。まっとうな読者・視聴者の多くがマスメディアを見放し、マスメディアが衰退していけば、いよいよ世に出回る情報は全て「大本営発表」となり、政権に都合悪いことは現在以上に隠蔽されるようになる。それは主権在民の民主主義社会が機能しなくなることに等しい。だからこそ、マスメディアの健全化が極めて重要であり、今回、73人もの現役のマスメディア関係者(研究者やOBをふくめれば141人)が実名で「ジャーナリズム信頼回復のための6つの提言」への賛意を示したことは非常に有意義かつ大いに評価されるべきことだろう。現在のマスメディアのあり方について、その構造的な問題の改善・改革を訴えるマスメディア関係者がいることが可視化され、それが一大勢力となった時に、日本のメディアのあり方も変革されていくのかもしれない。実際、「ジャーナリズム信頼回復のための6つの提言」には、その後、500人以上のメディア関係者が賛同*し、その熱い思いを吐露している。
*賛同は現在も募集中。
こうした健全なジャーナリズム精神を持ち、その責務を果たそうとしている良心的な記者達を孤立させない上で、重要なのが、やはり読者・視聴者のサポートだ。「ジャーナリズム信頼回復のための6つの提言」のような動きを、市民もまた支えていくことが必要なのである。十羽一絡げに「マスゴミ」と全否定し、マスメディアの健全化の芽を無視することは、結局のところ、民主主義社会全体の不利益となる。筆者は一介のフリーランスにすぎないが、立場を超えて「ジャーナリズム信頼回復のための6つの提言」を掲げる有志のメディア関係者らの動きを注視していきたい。
(了)
「ジャーナリズム信頼回復のための6つの提言」全文
https://note.com/journalism2020/n/n3b4c1e0648e0
●報道機関は権力と一線を画し、一丸となって、あらゆる公的機関にさらなる情報公開の徹底を求める。具体的には、市民の知る権利の保障の一環として開かれている記者会見など、公の場で責任ある発言をするよう求め、公文書の保存と公開の徹底化を図るよう要請する。市民やフリーランス記者に開かれ、外部によって検証可能な報道を増やすべく、組織の壁を超えて改善を目指す。
●各報道機関は、社会からの信頼を取り戻すため、取材・編集手法に関する報道倫理のガイドラインを制定し、公開する。その際、記者が萎縮して裏取り取材を控えたり、調査報道の企画を躊躇したりしないよう、社会的な信頼と困難な取材を両立できるようにしっかり説明を尽くす。また、組織の不正をただすために声を上げた内部通報者や情報提供者が決して不利益を被らない社会の実現を目指す。
●各報道機関は、社会から真に要請されているジャーナリズムの実現のために、当局取材に集中している現状の人員配置、およびその他取材全般に関わるリソースの配分を見直す。
●記者は、取材源を匿名にする場合は、匿名使用の必要性について上記ガイドラインを参照する。とくに、権力者を安易に匿名化する一方、立場の弱い市民らには実名を求めるような二重基準は認められないことに十分留意する。
●現在批判されている取材慣行は、長時間労働の常態化につながっている。この労働環境は、日本人男性中心の均質的な企業文化から生まれ、女性をはじめ多様な立場の人たちの活躍を妨げてきた。こうした反省の上に立ち、報道機関はもとより、メディア産業全体が、様々な属性や経歴の人を起用し、多様性ある言論・表現空間の実現を目指す。
●これらの施策について、過去の報道の検証も踏まえた記者教育ならびに多様性を尊重する倫理研修を強化すると共に、読者・視聴者や外部識者との意見交換の場を増やすことによって報道機関の説明責任を果たす。