Yahoo!ニュース

「言葉遣いが悪い」と取引先に注意される若者にどう対処するか

曽和利光人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長
「ほんっと、申し訳ないっす」(写真:アフロ)

■言葉は変わるもの

いろんな考え方の人がいると思いますが、私は、言葉は生き物であり、時代によってスタンダードはどんどん変わっていって良いと考えています。

誤って用いられた読み方や意味のほうが広く行き渡って、一般的になった言葉も多々ありますが、それを「言葉の劣化」とみるのではなく、「変化」と捉える。元々言葉はコミュニケーションの道具なわけで、そう考えると、多くの人に通じる言葉がその時代のスタンダード、と考えて良いのではないでしょうか。

極端な言い方ですが、一人称の多いことで有名な日本語は、時代によってどんどんそれが変化しています。昔は自分のことを「拙者」とか「小生」という人がいましたが、今では少数派でしょう。「私」と言う人を失礼だと思う人もいません。また、「さぼる」は日本語として定着していますが、元々はフランス語の「sabotage(サボタージュ)」から来ている言葉です。しかし、これも今では「若者言葉だ」「乱れている」と言う人はいません。

■「悪い」のではなく「合っていない」

さて、このようなことを前提として主張したいのは、若手の言葉遣いを頭から「悪い」と決めつけないほうが良いのではないかということです。表題のように「言葉遣いが悪い」と取引先の偉い人から言われるのは、おそらくその偉い人に敬意を払った言葉遣いをしていないということなのでしょう。しかし、彼らは彼らの言語世界の中で、相手に対して敬意を払っているつもりかもしれません。

ただ、相手には通用していない、合っていない。通じなければ意味はないという考え方もありますが、コミュニケーションは発信側と受信側があり、どちらがどちらに合わせるべきかというのは、その時々によって違います。それを「あちらが正しくて、君たちは間違っている、悪い」としてしまっては、若者は納得いきません。「はい、わかりました」と一応返事だけはしても、最近の言葉の変化についていけない頭の固いおじさんの戯言と腹の中では思ったまま、溝は深まるばかりです。

■言葉を合わせろという傲慢さ

以前、某国の大統領が日本人記者の英語での質問に対して、「何を言っているのかわからない(I can’t understand you.)」と一笑に付して、「それは失礼ではないか」という声が多く上がりました。似たような議論ではないかと思います(逆に「英語力の低い記者のほうが問題だ」という意見もありましたが……)。

今や英語は世界語であり、英語を母語としない人も一生懸命勉強をして、英語を話そうとしています。それに対して英語が母語であるという圧倒的に優位な立場の人が歩み寄ることなく、「あなたの言葉はわからんな」と突き放す。なまっていようが、少々言葉遣いがおかしかろうが、表現方法よりもその内容が大事であり、注意深く聞けば意味がわかるなら、そうすれば良いのではないかということです。

我々中高年世代は若い人よりは偉くなっていることも多い。そしてその立場から「俺たちの言葉に合わせろ」と言うのは少しばかり傲慢かもしれません。

■言葉ではなく、メッセージを聞く

正直、中高年世代である私も、若者言葉を聞いていて、つい腹が立つことはあります。ただ、後でよくよく考えてみると、敬語がない発言の意図は親近感の表れであったり、婉曲表現のないストレートなネガティブ発言は、怒らずに受け止めてくれるという信頼の証であったりという、別なメッセージ(伝えたい思い)が見えてきます。もし、表現方法だけで怒って注意をしていたら、それらのメッセージはどこかに消えてしまいます。

もちろん、メッセージ自体がダメなら注意すべきです。重要なのは、お世話になっている取引先の人を軽んじる思いを持っているのかどうかということです。「お客様に対して失礼な言葉遣いをしたらしいね」ではなく、「君はお客様に対してどんな風な思いを持っているのか」と聞くべきです。

そして、もしお客様を軽んじているなら、そのことを叱責すべきでしょう。もし、メッセージはおかしくなければ、そこはきちんと認めてあげて、ただ、相手に合わせた言葉遣いをしないと、せっかくの正しいメッセージが伝わらないよと諭してあげるべきでしょう。

■世界は単純化していくのだから

グローバル化が進展し、世の中がどんどん多様化する時代において、ハイコンテクストな社会、つまり多くの共通基盤を持った人で構成する社会や組織は徐々に少なくなります。ハイコンテクストな社会では、微細な言葉遣いや服装、振る舞いなどがメッセージを多分に含みます。例えば、ネクタイをして場に臨むことが「礼儀」を表すことになります。

しかし、ネクタイにそういう意味を感じる共通基盤のないローコンテクストな社会においては、暑い最中に汗をかきながらネクタイをしている姿を見て、「なぜ、あの人は暑いのに滑稽な姿をしているのだろう(バカだな)」と思うかもしれません。

そして、おそらく世界はどんどんそんなローコンテクストな世の中になっていきます。単純化していくのです。ファッションがどんどんドレスダウンしていくように、言葉においても細やかな表現よりも、ファクトとロジックと数字、言い方よりも中身だと、シンプル化していくのです。

この流れの中、いつまでも中高年世代の言語コンテクストにこだわっていては、「瑣末(さまつ)なことにこだわり、本質を見ない人」という烙印を押されてしまうかもしれません。

OCEANSにて、若者のマネジメントについての連載をしています。こちらもぜひご覧ください。

人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長

愛知県豊田市生まれ、関西育ち。灘高等学校、京都大学教育学部教育心理学科。在学中は関西の大手進学塾にて数学講師。卒業後、リクルート、ライフネット生命などで採用や人事の責任者を務める。その後、人事コンサルティング会社人材研究所を設立。日系大手企業から外資系企業、メガベンチャー、老舗企業、中小・スタートアップ、官公庁等、多くの組織に向けて人事や採用についてのコンサルティングや研修、講演、執筆活動を行っている。著書に「人事と採用のセオリー」「人と組織のマネジメントバイアス」「できる人事とダメ人事の習慣」「コミュ障のための面接マニュアル」「悪人の作った会社はなぜ伸びるのか?」他。

曽和利光の最近の記事