欧州の移民危機:「人道主義」と「緊縮」のミスマッチ
ここのところ、英国で朝から晩まで流れているのは移民および難民危機のニュースである。
トルコの浜辺に打ち上げられた3歳の少年の遺体の画像が大きな話題になり、1973年にピューリツァー賞を獲ったベトナム戦争で逃げまとう少女の写真「戦争の恐怖」と比較され、21世紀版の「世界を変える画像」などと言われている。
このマグニチュードを鑑みて、キャメロン首相も態度をやや軟化し「難民をもっと受け入れます」(数千人だけど)みたいなことを言っているが、メディアの大騒ぎは別にして、街角では「ガンガン難民を受け入れろ」みたいなことを言っている人は少数派に思える。
わたしの居住するブライトンが輩出したみどりの党MP(国会議員)キャロライン・ルーカスが、ガーディアン紙に「英国はキャメロン首相の提案より遥かに多い数の難民を受け入れるべき」という彼女らしい記事を書いたが、わたしが興味を覚えたのは、記事そのものよりも、読者コメントだ。
一応書いておくが、これらのコメントがついたガーディアン紙は左派の新聞と呼ばれている。これが右派のデイリー・メールになると、記事自体がこうなる。
デイリー・メール電子版には、いかにも同紙読者らしい「ブラボー」「誰かがこう言うのを待っていた」などのコメントが踊っている。
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わたしの周囲の人々は識者とかではなく地べた労働者ばかりだが、トルコで亡くなった少年の写真を見て心を痛めた人は多くとも、テレビで涙ぐんでいる著名人のように「我が家に難民を受け入れる」と熱くなっている人はいない。
リアクションが全体的に世知辛いのだ。
それはこの国が現在「緊縮」政権下だからだ。これが例えばブレアの公共投資拡大のアゲアゲ政治の時代であれば、地べた民の反応も違っていただろう。
そもそも緊縮じたいが非人道的な政策であり、生活保護を切られて餓死する人々が現れ、若者には職がない、フードバンクに並ぶ人の数が前代未聞などと国内で報道されているときに、「浜辺に打ち上げられた少年を殺したのは我々だ」などといきなりヒューマニティーを持ち出されても、下側の人々のこころはハードになっている。緊縮は福祉、住居、医療、教育といった人間が最低限の生活を営む上で必要な分野への投資を減らす政策だ。すでにケント州では、単身でやって来る未成年移民が急増し、いったん入国すれば彼らには英国の法が適用されるので、彼らを受け入れる里親や施設を見つけるために福祉課がパンク寸前で、州内の被虐待児や保護を必要とする子供たちのケアができなくなっているとして、予算が足りないと訴えている。緊縮で人材を減らされた公共サービスには、突然仕事量が増えても対処できない。こんな状態で助けを求める人々が大移動してきたら。という不安は下層の人々ほど大きい。
が、これはUKだけではないだろう。
欧州を目指す移民・難民の大移動と、欧州の緊縮策とは、タイミング的にミスマッチなのだ。
緊縮に疲れたヨーロッパでは「もっとヒューマンな政治」を求める左派の動きが台頭してきている。が、だからといって、今日あすにでも緊縮が終わるわけではない。英国だって、反緊縮派のジェレミー・コービンが出て来たとは言え、あと5年は保守党政権が続くのだ。
それがいい悪いは置いといて、キャメロン首相の難民受容への慎重さと、彼の緊縮策とは完全に路線が一致している。この一致をずらして、いきなり心優しい政治を始めれば、国内でも非人道的な政策は続けられなくなる。彼が言う「英国は頭とハートの両方で行動する」とはそういうことだろう。
実際、この前代未聞と言われる移民・難民の流入を受け入れ、彼ら一人一人に住居を与え、生活費や仕事や教育や医療を提供し、まだ現地にいる彼らの一族を呼び寄せさせる行為を本気でやるつもりなら、緊縮財政は持続不可能になる。
メルケル首相が「人道主義は欧州の普遍的価値観」と言うとき、欧州が行っている緊縮はその普遍的価値観と根本的に矛盾している。