ひとりのブラジル人女性が問うた日本の「共生社会」(下)
ひとりのブラジル人女性が問うた日本の「共生社会」
━━人種差別撤廃条約武器に、浜松市の宝石店で起きた「差別事件」を闘った記録(下)
1998年に静岡県浜松市で起きた、ブラジル人女性の宝石店入店拒否事件。差別被害を受けたアナ・ボルツさんは、日本にこうした差別を禁止する法律がないことにまず驚いた。自ら弁護士にはたらきかけ、人種差別撤廃条約(日本は1995年に加入)を武器に宝石店との法廷闘争にのぞんだ。私がその民事裁判と、当時の浜松でのブラジル人差別の実態を取材してまわった記録がこの短編ノンフィクションだ。
いま国会では「人種差別撤廃法案」が審議されているが、この20年間、条約が求めている国内法の整備がなされてこなかったことは日本政府の怠慢以外の何ものでもない。国内法の不備を国際条約の適用で補いアナ・ボルツさんの主張を全面的に認めた当時の判決は、画期的だったがきわめてまれなケースだ。人種差別撤廃法が成立すればより多くの被害者が救済されるだろう。また差別防止への施策づくりや啓蒙活動にもつながっていくだろう。日本が、「差別をゆるさない国」にようやく脱皮する機会を逃すべきではない。
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目次
■「日本社会」は判決をどう受け止めたか■
■一万人のブラジル人が住む企業城下町■
■慰謝料狙いでわざとやったにちがいない■
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■「日本社会」は判決をどう受け止めたか■
この国際条約を私人間に適用した日本初の画期的判決を、浜松市の「日本社会」はどのように受け止めたのだろうか。ボルツさんは、証拠として浜松市内で同胞から聞き取った「差別事件」をリストにして裁判所に提出している。私は「加害者」と指摘された(リスト中では仮名)、主だった当該の店や会社を訪問してみた。
まず、浜松市北田町にあるT釣具店。リストには次のような「被害情報」がある。
〔一九八八年。四十一歳の事業家(九年六ヶ月前に来店)が妻と一緒に入店。リールの種類について尋ねたところ、店主が国籍を尋ねたので「ブラジル人だ」と答えると、「ブラジル人には商品を売らない」と言った。二人は「どうしてですか」と聞くと、店員は怒鳴りながらリールを棚に返し、出ていくように言った。長い間、口論したあと、二人はその場を去った。
⇒一九九七年。四十六歳の工員(八年前に来日)が二人の友だちと店に入り、ポルトガル語で話をしていると店主が「日本語はわかりますか」と聞いてきた。微笑みながら「はい」と答えると、「何も買わないなら店を出てください」と言った。買うつもりでいた商品を棚に返して店を出た。〕
〔一九九八年六月。ブラジル人の新聞記者が店に入ったところ店主が「日本語はわかりますか」と聞いた。「ゆっくり話せばわかります」と答え、記者が「この店は外国は歓迎されないのか、本当なのか」と尋ねたところ、店主は「そのことについては話さない」と言った。記者が「私はブラジル人です」と言うと、店主は「アウト」と怒鳴り、日本語で同じことを繰り返した。彼女は新聞記者だと名乗ったが、店主はドアを指しながら話すことを断った。〕
私はこの釣具店に行き、店主に裁判資料に出ていることや、外国人差別を告発するNGOホームページでも名指しされていることを伝えた。店主は私との会話をいったん拒絶したが、粘ると、「差別なんか、まったくそんな気持ちはないよ。出ていけとかアウトとか怒鳴ったこともない」と、唐突にしゃべりだした。名指しで批判されていることについては「べつにかまわないな」と意を介さなかった。
店内のいたるところに注意書きが貼ってある。商品を見るときには勝手に開けず店に断ってください、ショーケース内の高額商品は買わないときは出しません……すべて日本語で書かれている。
「ただ、私が日本語がわかりますか?と尋ねて、わからないと、日本語がわかる人と来てください、と言ったことは何度かある。それが誤解されたのかもしれないね。うちは鈴木自動車に勤めているブラジル人が何人も買い物にきてくれますよ。ただし、ポルトガル語がわかる日本人といっしょにね。日本語さえ通じれば、日本人でも外国人でも歓迎だ。釣り具はデリケートな商品なんだ。日本語がきちんと通じないと説明できない。あなた、日本人だから、わかるよねえ」
―アナ・ボルツさんの判決をどう思いますか。
「うちは差別なんかしていないのだから、関係ないね。商品を勝手に開けて触ったりするマナーが悪い客は日本人、外人関係なく対応するし、日本語が通じない客についてはこれまでどおりやっていきますよ」
次は市内三方原町にあるおもちゃ屋。「差別事件リスト」には次のようにある。
〔一九九八年三月。七年前に来日した三十四歳の女性。学校で使うためのおもちゃ(レゴ)を買うため、子供二人(十歳と十一歳)を連れて三方原町にあるAというおもちゃ屋に行った。子供たちがおもちゃを選んでいる間、彼女は用事があってその場を離れた。三十分ほどして帰ってくると、店の外で子供が悲しそうな顔をして待っていた。何も言わないのでレジで代金を払い、帰りのクルマの中で事情を聞くと、『店の人が保護者といっしょでなければ店に出入りしてはいけない』と店を追い出された。彼女は憤慨して店に戻り、他に保護者なしで来ている子供たちを見て、『どういうことなのか』と説明を要求した。〕
倉庫を改装したような天井の高い店舗内はゆうに五十坪はあり、店の仕切るのはオーナー夫婦の二名だけ。店長の夫は当時の状況をよく覚えていた。
「そのブラジル人の子は日本人の子二名といつも店に来ていました。その数日前に、店の外でミニ四駆の走行会を開催したとき、店のクルマの部分がなくなったことがありました。後日、その部品がブラジル人のクルマについているのを見て、きっとあの子が盗ったんだろうと思っていました。あの日は閉店間際で、万引きなどの防止や学校から(子どもを早く家に帰すように)言われているので、いつも店にいる全員に外に出てもらっています。その子だけをそうしたわけじゃないし、その時間帯は彼ら以外に誰もいなかったはずですよ」
―その子が盗んだと思い込んでいたのですね。
「はい。その部品は他の店で買ったかもしれないのに、私に先入観があったことは確かですし、態度に出てしまっていたかもしれません。そのことを正直に母親に伝えたら、とても怒っていました。ただし、私は外国人だからという理由で差別したつもりはないのですが」
―(アナボルツさんの)判決についてはどう思いますか。
「コミュニケーションの行き違いや誤解によって生まれたと思います。うちにもありえることです。だから、うちでは事件にならないうちに、店を出ていってもらうように早めに対応していたつもりでした。でも、それが差別ととられてしまったのですね。だったら、万引き事件などが起きて、警察や親を呼ぶともっと大きなトラブルになりかねませんね。しかし、私たちが注意をするだけでも差別ととられるかもしれないので、態度には気をつけたいと思います」
こう店長は私の質問に答えたあと、「宝石屋さんの賠償金は百五十万ですか。(商品を)盗られたほうがましかもしれませんね」と苦笑した。
判決のあと、こんな事件がボルツさんの身近で起きた。
「私と一緒に仕事をしている女性は、日本に十年間住んでいて、金髪・青い目。日本人と結婚しており、息子さんも日本人。ある日、彼女がバスの中でバスカードを逆向きに入れてしまい、運転手にとても無礼な口調で怒鳴られ、彼女は泣きながら仕事場に来たことがありました。同僚のひとりがそのバス会社に電話し、何があったのかたずねたのです。すると向こうは狼狽し、会社の部長さんか誰かが一時間もしないうちに仕事場に謝りにきて、これはけっして人種差別ではありませんと言う。私たちは『そんなことはわかっています。これはただマナーの悪い運転手の問題で、私たちはその人たちを人種差別だと責めているわけではけっしてありません』と言いました。私たちはただ、運転手をもっとちゃんと研修してくださいと頼んだだけなのに・・・・・・」
触らぬ「差別」に祟りなし、というべきか。外国人から抗議されたらすぐに謝ってしまえ、というバス会社の発想が見える。じつはこのバス会社(E鉄バス)は、ボルツさんが作成した「差別リスト」に登場する。
それは一九九六年十月の出来事で、来日五年目のブラジル人女性が浜松駅前から新橋町方面に行く十一番のバスに乗車、席が二つ空いていたのでそこに座ろうとしたところ、バスの運転手が車内アナウンスで「外国人が乗っています。みなさん、鞄に気をつけてください」と流したのである。彼女は驚きとショックで抗議をする気力も失せてしまい、乗車していること自体が怖くなり、泣きながら次の停留所で降りた。そのブラジル人女性は、ふたたび恥をかくのが怖くて二度とバスに乗れなくなってしまうという精神的な後遺症を患うことになってしまう。露骨で悪質な差別事件だ。
このバス会社は事件が報道されるなどしたあと、浜松市の要請により、社長の指示で事実調査をおこなったという。その結果は「そのようなことはありえなかった。これからもありえないように徹底していく」との返事だったという。
E鉄バスは私の取材に対しても前途のように答えたが、即答ではなかった。最初は「お答えできる者がいない」「(過去のことなので)わからない」という返事を繰り返し、私の取材から逃げようとした。最終的には「車内アナウンスの件は、現場の管理者を通じて約千人のドライバーにあたったが確認できなかった。しかし、そのようなことがないよう、教育をしていきたいと思っていますし、それを守れないドライバーに対しては始末書や査定書で対処します。アナさんから抗議があったドライバーは他のお客様からも苦情のあった言葉づかいの悪い者です。申し訳なく思っています。」(営業課)と平身低頭だった。
■一万人のブラジル人が住む企業城下町■
夜、浜松市内の繁華街を歩くと、ポルトガル語がとびかっている。浜松市の人口は約五十八万人。スズキ、本田技研、ヤマハなどの大企業があるいわば企業城下町だが、一九九〇年に千四百人程度だったブラジル人は約一万人に増加した。(一九九九年現在)。
その人口は市町村単位では全国一である。いくつもの自動車産業を下支えしているのはかれらニューカマーの外国人の労働力だ。
現在、全国には約二十四万人のブラジル人がいる。一九九〇年の入国管理法の改正で、日系二世と三世に「定住者」としての長期滞在が認められたからだ。最近では、定住から永住志向に切り換える人々も増えてきた。かれらは日本社会の一角を形成するエスニック・マイノリティであり、身近な隣人といえる。
ボルツさんが法廷で勝利した夏、浜松市中田島の海岸では毎週末の深夜から朝方にかけて、静岡県内外からブラジル人やペルー人が集まり、カーニバルを催していた。その数、常に二千~三千人。海外に乗り入れるクルマの数も数百台にのぼった。かれらは防砂林の海側にPAを設置、大音量のサンバを歌い、踊った。日本のなんの変哲もない片田舎に突如異国が出現したようなものだった。
近くには団地があり、早々に苦情が地元警察や議員や自治会などをとおし、浜松市役所に寄せられた。市役所国際室のスタッフは主催者側と話し合い、スピーカーを海にむけることや駐車方法など、話し合いの末、いくつかの合意をとりつけた。
「イベントは熱気があって楽しかったですよ。でも、一方で苦情もある。ですから、対話という形で行政は介入していきたいと思っています。私人間同士の問題に役所が制限を加えることはできませんが、差別をしてはならないことは当然なので、例えば不動産をめぐるトラブルなど個別の事例にも介入していきたいと思っていますし、差別を受けたという被害があれば、そういう声を積極的に吸い上げていきたい。差別がないように啓蒙活動を続けていくしかないと思っています。私たちはアナ・ボルツさんの裁判を重く受けとめています」(国際室)
S貿易のある有楽街や市内各所でさまざまな職種の店や地域住民に、アナ・ボルツさんの判決について意見を拾ってみた。
有楽街の老舗喫茶店の初老店主は、「S貿易はやりすぎだが、ブラジルの人たちとのカルチャーギャップをどう埋めたらいいのかわからないな。仲良くやりたいが、トラブルが起きると差別だと言われるのが嫌ですね」と言い、スーパーに買い物に来ていた某団地の四十代の主婦は、「ゴミだしを注意しても、言葉がうまく伝わっていないのか守ってくれないんです。それに、深夜の音楽がうるさい。こちらは注意しているだけなのに、差別だと受けとられたら困りますね」と戸惑いをみせた。
来日するブラジル人が必ずといっていいほど最初に直面する日本社会とのトラブルは、住居の賃貸問題だ。民間の住居を借りる場合、何軒もの不動産屋で「外国人」を理由に断られる。ボルツさんも何回も体験ずみだ。
私があたった不動産屋の大半も、「外国人の方にはできるだけ遠慮していただいている。ほとんどの不動産業者がそうだと思います。そう大家さんがのぞんでいるからで、差別と言われても、私たちが大家さんに逆らうことはできません。外国人の方とは生活習慣を巡ってトラブルが絶えないし、契約書をしっかり守っていただけないケースが多いからです。大家さんが了解される最低限の条件は、日本語に堪能であることと保証人に日本の会社(人材派遣業者)がついていることです」と明言してはばからなかった。
あるコンビニエンスストアの店長は、「昨年夏、市内で両替強盗が続いたことがありました。コンビニや薬局で『チェンジ、チェンジ』と言われて、両替をしている隙にレジから現金を奪われる事件です。犯人の一部が捕まって―ブラジル人じゃなかったですけど―ホッとしましたが、店に外国人の方がお見えになると、やはり構えてしまうのは事実です」と困惑顔をした。
浜松中央署によると、市内のほぼ全域をカバーする同署と浜松東署の管轄内で発生した九八年度の外国人犯罪(刑法犯のみ)は二百八十九件(東署二十七件)だった。九十五年度は中央署百九十八件、東署二百三十六件だったから犯罪は減少方向にある。
九九年七月に浜松市内で発生した轢き逃げ死亡事件のことを、私は幾度か耳にした。被害者は十六歳の女子高校生で、事故発生二週間後に被疑者としてブラジル人男性が割り出された。しかし、被疑者は事故の四日後に出国していたことが判明した。しかし、日本を含め各国では、自国民については「不引渡しの原則」があるため、再入国を待って逮捕するしかない現状だ。
ボルツさんは言う。
「外国人が犯罪を起こすと日本のマスコミはことさら大きく報道するから、ブラジル人は怖いという印象を与えてしまうのではないでしょうか。浜松市にはブラジル人がたくさん住んでいるから犯罪も多く起きます。とくに少年犯罪が目につきます。その背景には差別の問題があるのです。そちらのほうはあまり報道されない」
私が聞き回った日本人らの態度や姿勢を、露骨な人種・民族差別主義者だと断定するのは誰もできまい。総じていうならば、ホスト社会である日本人のメンタリティは「差別」に鈍感で、それをつきつめて考えようとはせず、外国人の意見表明を単なるコミュニケーションギャップと片づけてしまう特性を持っている。なおかつそれを外国人の側にだけに転嫁しようとする。日常のそこここにある「差別」に誰も関心を払わない。だから自浄作用がはたらかない。
アナ・ボルツさんはこう「日本社会」に訴える。
「私が裁判で言おうとしたのは、浜松市の人たちは人種差別の正確な意味について教育されていないということです。人種差別の概念を誤解している人もおり、そのせいで外国人の相手をすると狼狽してしまうのです。あるいは頑なに閉じてしまい、なんと非難されようと一切のコミュニケーションを絶ってしまう。みなさんが差別について話し合って人種差別という概念を理解してほしいし、基本的人権に対する社会的な態度も持ってほしい。そのためには議論に参加し、私たちの気持ちを聞いてほしい。私たちも日本人の気持ちにも耳を傾けたいと思います」
前途したように人種差別撤廃条約は批准国に対し、条件の精神にのっとった国内法の整備を求めているが、日本は遂行していない。ボルツさんらは今回の判決をバネに、「人種・民族差別撤廃条例」なる地方条例を浜松市に策定することを求めていく予定だ。「差別根絶都市宣言」といった憲章ではなく、違反者には厳罰を加えることが可能なものだ。しかし、浜松市は市長が前向きな発言をしてはいるが、「現実には困難だ。市民との温度差を考えると、いたずらに対立を生みかねない」(国際室)と消極的である。
本来的にいえば国際条約は国家同士の取り決めであり、例えば人種差別撤廃条約の内容は国家が遵守すべきものなのである。つまり、条約に定められた「人権」は対国家・対公権力との関係のなかで問題にされる。しかし同時に国際条約は憲法に準ずる拘束力を持ち、解釈によって国内法的に機能させることもできる。ボルツさんへの判決がその例だ。また、憲法に準じる力を持っているということは、条約に抵触する国内法は改める必要があるし、同条約の内容を体現するような国内法がなければ、新たに制定する義務があるということだ。それは条文化されていることでもある。ボルツさんの主張するとおり、「人種差別禁止(処罰)法」を制定するべきで、未だに制定されていないことは国家の怠慢でしかない。
一九九八年末に日本にいる外国人が百五十万人を突破、多人種・民族共生社会に向かいつつあることは誰の目にもあきらかである。すでに法務省は、「出入国管理基本計画」を大幅に見直し、外国人の就労期間の延長や介護分野など受入れ職種の拡大などを打ち出している。高齢化による人手不足時代の到来がその背景である。国連は人口動態統計の概要で、九五年に八千七百万人だった日本の労働人口が二〇五〇年には五千七百万人まで低下すると予測、九五年の水準を維持するには二〇五〇年まで毎年六十万人以上の移民を受け入れる必要があるとはじき出している。
そのような社会変容が進行する過程で、異人種や異文化間で摩擦が起き、アナ・ボルツさんのような差別被害を受けるケースはこれからも必ず起きてくるであろうし、事実、入浴施設(銭湯)の外国人拒否事件や、外国人の子どもへのいじめ事件など全国各地で問題が発生している。また、朝鮮学校生徒に対する襲撃や、石原都知事の「三国人」発言など、日本社会で躇在化している明白な差別意識に裏打ちされた日本人の確信犯的差別言動も後を絶たない。
その状況を一朝一夕に改善することは無理にしても、「民族差別」は重大な「犯罪」であるという社会的コンセンサスがないことにも起因していると私は思う(他の差別に対してもそうだが)。差別言動が犯罪と認識され、犯罪として扱われる制度や法があれば、日本社会の意識は少しずつではあるが変わらざるをえないのではないか。差別言動の予防・抑止措置としても有効であろう。多民族共生社会を自明のこととしている欧米推進国では差別を厳しく取り締まる。それだけで差別が根絶されているわけではないが、民族差別は犯罪であるとの意識が普遍化することには役立っている。その領域で日本は完全な後進国である。二十一世紀の日本社会や国家像が外国人と共に生きることなしにはありえない現実を目の前にしていながら、この有り様では国際社会(とりわけアジア諸国)の信用も得られない。
付け加えれば、外国人(永住・定住者を含めた)に関係する国内法は、外国人登録法と出入国管理及び難民認定法(人管法)のみで、いずれも外国人を把握・管理・威嚇する法律で、人権保障の側面はない。外国人は何をしでかすかわからないという日本政府の貧困きわまりない外国人観の象徴といえるし、それは「人種差別禁止法」を制定しない国家の意思でもある。
■慰謝料狙いでわざとやったにちがいない■
さて、S貿易の話に戻ろう。
S貿易には一時、内外のメディアが押し寄せたが、黙しとおしてきた。言いたいことは山ほどあるが、ここは堪えようと決めたのだという。
被告となった女性は私に言った。ボルツさんに「謝罪文」を書いた当人である。
「いま考えると、あれは最初から(慰謝料請求)が狙いだった。あのときから、裁判をすると言っていたんだから」
―わざと差別されるようにふるまって、つまり差別されることを予想して、わざとトラブルを起こして、賠償金をとったということですか?
「そうですね。そうでなければ、(ボルツさんがその場から)電話をかけて、あっという間に何人も駆けつけてこれるはずがないんだ。分かれるときに(ボルツさんと)握手してまで別れたのに(筆者注・裁判所はその事実を確認していない)のに、裁判するなんて・・・・・・」
そのうちに息子のほうも、自分は当事者ではないがと断ったうえでしゃべりだした。柔和な表情で、ソフトな語り口だ。彼も母親の推測に同感だった。それは違うと思う、と私が母親の意見に口を挟むと、「あなたもどこかの記者と同じことを言うのですね」と眉をしかめた。
「差別、差別と言われて困っているんです。私ははっきり言って外国人は好きですよ。仕事柄付き合いもある。ただ、セキュリティの問題でトラブルになっただけです。こんな狭い店ですが、老いた母親ひとりでは店番が心配です。こんな歳では、女性に腕をひねられただけで、動けなくなってしまいますよ。たとえばスポーツクラブは会員制にしていて、お客さんを選んでいるじゃないですか。(私たちがとった行為は)それとどこが違うというんです?現にうちの店では最近ブラジル人のお客さんも宝石を買ってくれているんですよ」
と、私に注文伝票を見せた。漢字で名前が書いてある。拙いがていねいな筆致だ。日系ブラジル人のお客だという。
「こう言ってはなんだけど、ブラジルや中国から働きにくる人の多くは、向こうでやっぱり貧乏で、素行もよくない人が多いと思うんですよ。それに、日本に来たんだったら、こっちのルールに従ってもらわなきゃ困りますよ。だいたい、ブラジル人の方たちは固まりすぎるんです」
―控訴しなかったのはなぜですか。
「裁判が長引いて、店の評判が落ちると困るからですよ。百五十万は痛かったけれど、お客さんは減ってませんよ」
取材を受けることを渋っていたのに、S貿易はいつのまにか饒舌になっていた。判決への不満と「新しい隣人」への偏見は止まらなかった。
(初出:朝日新聞社『論座』二〇〇〇年三・四月合併号に加筆して、『リアル国家論』(教育史料出版会・2000年刊行)に所収)