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「ミュンヘン安全保障2024」の“Lose-Lose”とは? 習近平の“Win-Win”論理との対比

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
ミュンヘン安全保障指数2024から筆者作成

 2月12日に公開された「ミュンヘン安全保障指数2024」の表紙には“Lose-Lose?”という文字が大きく書いてある。これは18日に閉幕したミュンヘン安全保障会議2024に秘められている哲学的軸で、「誰もが損をするゼロサム思考の悪循環から抜け出すには、どうすればいいか」というテーマを指す。

 習近平政権の外交戦略は“Win-Win”を軸とした「人類運命共同体」。時代はゆっくり、しかし大きく動き始めている。それを見極める哲学的視点を持たなければならない。

◆“Lose-Lose”とは何か?

 2月17日のコラム<「ミュンヘン安全保障指数2024」 日本以外の国は「中露は大きな脅威ではない」と回答>に書いた「ミュンヘン安全保障指数(MSI)2024」(MSI2024)の表紙に書いてあるタイトルは“Lose-Lose?”である。

 今さら言うまでもないが、“lose”は「失う」、「利益がない(損をする)」あるいは「負ける」という意味だ。したがって“Lose-Lose”は「双方が損をする」意味で反対語は“Win-Win”(ウィン-ウィン)。

 MSI2024の表紙に大書してある“Lose-Lose?”が具体的に何を指しているのかを解明することは、今後の世界の趨勢を分析する上で非常に重要なポイントとなる。 

 MSI2024の冒頭には「誰もが損をするゼロサム思考の世界につながる悪循環をどうすれば回避できるのか?」と書いてある。ゼロサムとは、「合計するとゼロになること」で、参加者の得点(利益)と失点(損失)の総計(サム)が0(ゼロ)になり、「一方の利益が他方の損失になること」を指す。MSI2024では、そのリスクを理解するために以下の4つのキーポイントが挙げられている(以下、概略を示す)。

キーポイント1:冷戦後の地政学的・経済的な楽観主義は消え去った。その時代に得られた利益が、人類に均等に分配されることはなかった。それは人類の多くに不満を抱かせている。

キーポイント2:地政学的な緊張の高まりと経済の不確実性が懸念される中、「西側諸国、強大な独裁国家、そしてグローバル・サウス」は相対的な損得をますます懸念するようになった。

キーポイント3:現行の政策は世界全体としての利益を食いつぶす恐れがある。また、各国が相対的な損得を重視することで、ゼロサムの世界がもたらす悪循環を引き起こす危険性もある。

キーポイント4:大西洋をまたぐパートナーは、「相対的な利益を求めて競争すること」と、「包括的で人類全体の利益を実現するために協力すること」の間のバランスをとる必要がある。志を同じくする民主主義国家間の信頼に基づく協力を守る必要があるのは確かだが、しかしその一方で、独裁的な挑戦者との競争にガードレールを導入し、競合相手とも互いに協力できる有益な分野を模索し、より包括的な利益を確保することができるような新しいグローバルなパートナーシップを構築することにも努めなければならない。(以上、MSI2024から引用)

 全体を通して読むと、「米一極を中心とした西側諸国は、自分たちが独裁国家と定義しているグループやその独裁国家との連携が比較的に強いグローバル・サウスというグループとの互恵的協力関係を模索しないと、どの国も負けて勝者がいないという結果を招く危険性があり、それは人類に破壊をもたらすだけで、繁栄をもたらさない」というイメージになろうか。

◆中国のネットでは“Lose-Lose”(双輸)の話題が満載

 中国語では「負ける」ことを「輸(shu、スー)」と書く。したがって“Lose-Lose”は中国語では「双輸」(双方が負ける)と称する。

 2月12日にMSI2024が公表されるとすぐ、中国のネット空間には「双輸」という単語が溢れた。どの情報を読んでも「双輸」に満ちているので、中国がMSI2024をどう受け止めているかを理解するにはリポートの表紙にある“Lose-Lose?”とは何かを解明する以外にないと思ったほどだ。

 「双輸」に関する情報はあまりに多いので、どの記事を取り上げてご紹介すればいいか分からないが、とりあえず中国政府の通信社である新華社の論考を見てみたいと思う。

 2月13日、「新華社ベルリン電」は<ミュンヘン安全保障報告“双輸”論調は欧州の焦りを表している>という見出しで、MSI2024を考察している。ここではMSI2024を「報告書」という単語で表現しているが、統一を図るためMSI2024に置き換えて記事の内容をご紹介する。

 記事には概ね、以下のようなことが書いてある。

 ●MSI2024の序文でミュンヘン安全保障会議のクリストフ・ホイスゲン議長は、「双輸」が今年の非公式なテーマとなっていると述べている。

 ●清華大学戦略安全保障研究センターの副所長:MSI2024は、ゼロサム思考ではグローバルな課題に対処できないことを一部の西洋人が理解している点を反映している一方、グローバルな問題を解決するに当たり、選択的に協力することしかできない他の国々と「志を同じくする国」を区別しており、西側の矛盾を反映している。中国は、国際社会において、常に多国間主義を実践し、ウィン-ウィン協力を中心とする新しいタイプの国際関係の構築を推進してきた。

 ●近年、中国が提案している人類運命共同体の構築こそは地球規模の課題に対処するための思考である。

 ●パキスタン発展経済学研究所のイクラム・ハク氏:中国は西側諸国のゼロサムゲームとは全く異なる「和平建設」の哲学を堅持している。 (以上、新華社通信より)

◆習近平の提唱する「人類運命共同体」と「ウィン-ウィン」論理

 2012年11月、習近平は第18回党大会において「人類運命共同体」という概念を発表し、その後「一帯一路」完遂のためにも外交スローガンとして用いるようになった。

 事実、2015年3月28日のボアオ会議において習近平は以下のように述べている

 ――「ウィン-ウィン」の協力を通してのみ私たちは発展することができる。「あなたが負けて私が勝つ」というゼロサムゲームの古い考え方を捨て、自分の利益を追求する際には相手の利益も考慮するという「ウィン-ウィン」概念に基づかなければ、自分自身の発展をも遂げることができない。(引用以上)

 この情報が「一帯一路」のウエブサイトに載っていることから、「人類運命共同体」というスローガンが「一帯一路」遂行のためにも使われていることが分かる。

 同じ2015年の5月7日にはモスクワで開催された反ファシスト勝利記念日に出席するために習近平はメッセージを発表し、「勝者総取りやゼロサムゲームは人類発展への道ではない。戦争ではなく平和を、対立ではなく協力を、そしてゼロサムではなくウィン-ウィンを求めることこそが、人類社会の平和・進歩・発展の永遠のテーマだ」と述べている。

 また2022年1月17日にオンライン参加した世界経済フォーラムで習近平は「国家間に対立や相違があるのは避けられないが、あなたが負けて私が勝つというゼロサムゲームをするのは無駄だ」と述べている。

 2023年4月6日午後、北京を訪問したフランスのマクロン大統領とともに中仏企業家委員会の閉幕式に出席した習近平は、「ゼロサムゲームには勝者はなく、ディカップリングによって中国の発展を阻止しようとすることはできない」と、アメリカを中心とする西側諸国への批判を露わにした。

 この「ゼロサムゲームに勝者はいない」という言葉は、このたびのMSI2024の表紙を飾った“Lose-Lose?”と同じで、ミュンヘン安全保障会議の「隠れテーマ」が習近平の哲理と同じだということは注視すべきだ。そうしないと危ないことになる。

◆習近平の哲理「兵不血刃(ひょうふけつじん)」(刃に血塗らずして勝つ)

 拙著『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』で詳述したように、習近平の哲理は「兵不血刃」すなわち「刃(やいば)に血塗らずして勝つ」ことである。

 これは毛沢東と一致しており、毛沢東は独自に荀子の教えである「兵不血刃」をモットーとしていた。「戦わずして勝つ」のだから「平和を愛するのか」などと思ったら、とんでもない間違いだ。

 筆者は1947~48年にかけて、長春で毛沢東による食糧封鎖を受け、家族を餓死で亡くしただけでなく、餓死体の上で野宿し、恐怖のあまり記憶喪失になったという経験さえある。数十万の餓死体には流す血さえなかった。

 それでも、その真相は伝えられない。

 中国共産党を非難する言動は許されないからだ。特に習近平政権になってからの言論統制は激しく、筆者など北京空港の地に降り立った瞬間、捕まってしまうかもしれないので、習近平政権になってからは一度たりとも中国に行ったことがないくらいだ。NED(全米民主主義基金)が潜伏しているので、そのための対応策だということは分かっていても、捕まる可能性が低くなるわけではない。

 そのような中国による「人類運命共同体」を軸とする「ゼロサムゲームに勝者はない」という習近平の論理が、ミュンヘン安全保障会議の「隠れテーマ」と同じであるということは、中国の動き方に、少なからぬ国が賛同しているということにつながる。

 中国と聞いただけで猛批判する連中は日本にいくらでもいるが、「批判」によって中国が損害を被ることはなく、むしろ習近平の論理が「じわりと世界に浸透していること」の方がよっぽど怖いのである。

 それが見えないと、日本は生き残っていけない。筆者はそのことに警鐘を鳴らし続けている。日本人の心に、この願いが届くことを祈るばかりだ。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』(11月1日出版、ビジネス社)、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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