パラ水泳の注目株、窪田幸太と荻原虎太郎の挫折と挑戦
コロナ禍で開催された東京オリンピックは8月8日に閉幕を迎え、24日からはパラリンピックが開催される。国内競技人口約1400人、パラリンピック競技の中でも注目度の高い水泳で、大会初出場の切符を手にした選手がいる。窪田幸太(くぼた・こうた、21=日体大)と荻原虎太郎(おぎわら・こたろう、18=セントラル)だ。
二人は2018年アジアパラ競技大会でリレーチームに選出され、フリーとメドレーでそれぞれ金メダルと銀メダルを獲得するも、2019年の世界選手権では代表入りを逃したという共通の過去を持つ。挫折を味わいながらも挑戦を続け、2021年5月に見事パラリンピック代表に内定した窪田と荻原は東京でどんなニュー・ヒーローとなるか。二人の挑戦に迫る。
成長がシンクロした、注目の二人
パラ水泳では、身体障害(肢体不自由・視覚障害)と知的障害があり、身体障害は障害の程度や状態に応じて13のクラスに別れ、そのクラスのなかでタイムを競う。窪田の障害は左腕の麻痺で、荻原は右腕と右足の麻痺。状態は異なるが、国際的なクラス判定により同じ男子S8クラスのトップを争うライバル同士でもある。
二人はともに千葉県に生まれ育ち、パラ水泳の名門クラブ「千葉ミラクルズ」に所属してパラスイマーとして歩み始めた。2013年9月にオリンピック・パラリンピックの自国開催がきまったとき、彼らはまだ10代前半だった。ともに千葉で同時期に成長してきたふたりだが、親友だとか、とりたてて仲良しだという関係にあるわけではない。国体でも強い千葉というホームグラウンドに、地域の関心、指導者、企業や大学でのサポート、そして健常者選手との協議環境などさまざまなリソースが集まり、二人の成長の成長タイミングがずっとシンクロしてきたのだ。
窪田は「限界突破」を自分に課して日体大水泳部での水泳ライフを謳歌しつつ、大学4年間の全てをパラスイマーとして自身の成長に注ぎ込んだ。荻原は「思い立ったが吉日」をモットーに、巨大スポーツクラブであるセントラルスポーツのスタッフ、今年入学した順天堂大学の関係者らとともに今あゆみ始めた。
2018年にジャカルタで開催されたアジアパラ競技大会では二人ともリレーチームの泳者として海外遠征し、男子4×100mメドレーリレーで窪田は背泳ぎを、荻原は平泳ぎを担当した。結果、フリーリレーでは金メダル、メドレーリレーでは銀メダルを受賞した。
リレーチームは、S8〜S9クラスの4人で構成され、自由形を泳ぐベテラン・パラリンピアンの山田拓朗(NTTドコモ)を先頭に、ムードメーカーでバタフライ担当の久保大樹(KBSクボタ)、そしてルーキー2人、背泳ぎの窪田・平泳ぎで荻原が加わり、パラ競泳激戦区といわれる選手層の厚いパートを担うカルテットが誕生した。
実力を知れた「派遣タイム」
このまま順調にいけば東京への出場は確実だと思われていた二人だが、20019年3月のロンドン世界選手権への選考会で、思わぬ挫折を味わうことになる。
選考会には、東京でメダルを目指すなら最低限クリアしていなければならない「派遣タイム(派遣標準記録)」が設定されており、代表もそれをクリアしたメンバーの中から選ばれる方式だった。二人のタイムはわずかに届かず、落選してしまう。
その時のことを、窪田は「(世界選手権へ行けなくて)悔しかった。世界選手権のリザルトと自分のベストを合わせたら5〜6番の順位だったので、あらためて悔しかった。派遣記録を切れなかったのだから、仕方がない」と振り返る。
萩原は選考会後、バタフライの泳法変更に取り組んだ。「(2019年9月のジャパンパラ競技大会まで)6ヶ月、血まなこになって、タイムを2秒縮めることができた。半年前にこのタイムだったら世界選手権にいけたけど、短期間で2秒縮められたことは成果だ」と振り返る。
悔しさをばねに練習を重ねた6ヶ月後、世界選手権を終え帰国した14人と海外からの参加選手を迎えて行われたジャパンパラで二人は、世界選手権なら決勝に進出できたタイムをマークする。「東京パラに出場すれば決勝に残れるかもしれない」という思いを確実にしたことだろう。
コロナ禍でパラリンピック開催を待つ
そして迎えた2020年3月24日。新型コロナウイルス感染拡大の影響により、オリパラ史上初の「開催延期」が発表された。選手たちは自国開催が延期になるとは誰一人考えていなかったが、日本代表の選考が進むにつれ、そのチームの姿も徐々に明らかになり、パラリンピックを目指すパラスイマーたちが目標にむかった。
2021年の春に順天堂大学に進学し、部活で健常者のトップ選手と同じ環境で競技に取り組みはじめた荻原は、「とにかく派遣基準(記録)を切ることが目標です。東京でのメダルにつながる記録だから」と、変更した泳法に慣れるため、まずは「ラクに泳ぐ」ことを重視していた。迎えた2021年5月、横浜での最終選考会では男子100mバタフライを1分05秒25で派遣基準を突破し、日本代表内定を決めた。パラリンピックに向けては「自分が世界の選手たちの脅威になれるだろうか。そういうふうに思われる存在になりたい。(2016年リオパラリンピック銅メダリストの)中国の楊光龍選手に、2018年アジアパラがおわったあと『東京で会おう』と声をかけてもらった。楊選手とまた競いあえたらと思います」と語った。
同じく最終選考会で男子100m背泳ぎを1分09秒7で派遣基準を突破し、日本代表内定を決めた窪田は「1年延期で思うように練習できない時期もあったが、もし延期がなかったら派遣タイムはきれていない。必要な時間だったという気がします。課題は、前半のスピードを強化しつつ、後半も落とさないこと。具体的な目標は、決勝にあがること。メダル争いを考えると1分7秒台くらいが必要になってくる」と話した。
二人の出身である千葉県は、車いすスポーツをはじめ水泳のみならずパラスポーツが盛んなことで知られる県だ。東京パラリンピックでもゴールボール、シッティングバレーボール、テコンドー、車いすフェンシングの4競技が開催される。(いずれも会場は幕張メッセ)
「自国開催で多くの人がパラスポーツを見たいと思うときに魅力的に発信したい。競技の記録をきっかけに、障害のある人のことを伝えていきたい」と荻原は話す。
(取材・記事 佐々木延江 写真協力;PARAPHOTO、秋冨哲生、山下元気、JPSF/X-1)
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