袴田事件・再審開始を導いた裁判官の”現場主義”
静岡地裁の再審開始決定により釈放されてから9年。この決定を取り消した東京高裁決定を、さらに最高裁が取り消し、2度目の抗告審で東京高裁(大善文男裁判長、青沼潔裁判官、仁藤佳海裁判官)は3月13日、再び袴田巌さんの再審開始を決定した。
決め手になったのは、専門家による科学鑑定に加え、皮肉なことに、検察側が行った実験だった。
争点は「5点の衣類」血痕の色
再戻し審で最大の争点となったのは、事件の1年2か月後に味噌工場のタンク内から麻袋に入った状態で見つかった「5点の衣類」(白ステテコ、白半袖シャツ、ねずみ色スポーツシャツ、鉄紺色ズボン、緑色パンツ)の血痕の色を巡る問題だ。
確定判決は、「5点の衣類」は犯行時に袴田さんが着用し、事件から約20日後までの間に、味噌タンクの中に隠した、と認定している。これが有罪を立証する大きな物証とされた。衣類に付着した血痕が被害者の返り血とみられたのだ。
発見時、血痕は赤みを帯びていた。明らかに血痕と分かる赤さだった。しかし、1年以上もの間味噌漬けになっていて、血痕は赤さを保っていられるのだろうか。
弁護側は、味噌漬けの再現実験を行い、血痕は黒褐色に変色するとの結果を出した。そのうえで、赤さを保っていた「5点の衣類」は、犯行時の着衣ではなく、後になって捜査機関が味噌タンクに忍び込ませた捏造証拠だ、と主張した。
最高裁第3小法廷の裁判官の中には、この結果を評価して、すぐに再審を開始すべき、という主張もあった。しかし多数意見は、長期間のみそ漬けが血痕に与える影響を科学的に解明するよう”宿題”を課し、東京高裁に差し戻した。
最高裁の”宿題”に応えた科学鑑定
差し戻し抗告審では、弁護側の依頼を受けた旭川医科大法医学講座の研究グループが、味噌の低いpHと高い塩分濃度によって、赤血球の細胞膜が破れ、赤み成分であるヘモグロビンが放出された後、酸素などの影響を受け、黒褐色へと変色していく仕組みを明らかにした。さらに、北海道大大学院理学研究院教授が、それを理論的に支える鑑定も行った。
高裁決定は、彼ら研究者の専門性を高く評価。その見解は各種実験によって合理的に裏付けられている、と判断した。一方、検察側が反論の根拠とした科学者については、肝心のヘモグロビンやその色調変化について専門でないうえ、「実験結果に基づく反論や具体的かつ化学的論拠に基づく反論ではなく、一般的、抽象的な反論にとどまっている」と退けた。
検察側も味噌漬け実験を実施
加えて高裁は、検察側が2021年9月から翌年11月1日までの約1年2か月、静岡地検の一室で行った「味噌漬け実験」に注目した。これは、複数人の人血を使った血痕を付着した布を麻袋代わりのティーバッグに入れて味噌漬けにし、その色調変化を観察するものだ。
検察官は写真を提出して、血痕には「赤み」が残っていると主張した。これに対し、観察に立ち会った弁護人は、やはり写真を添えて、「赤みは認められない」と反論した。
自身の目で結果を確認した裁判官
裁判所はこの点でも、弁護側の主張に軍配を上げた。
実は観察の当日、大善裁判長と青沼裁判官が書記官を伴って静岡地検に足を運び、自身の目で血痕の色調を確認していたのだ。さらに、検察側が撮影用白熱灯を使い、被写体の赤みを増す”工夫”をして撮影していたのも、裁判官らは見ていた。
決定は次のように述べている。
さらに決定は、この検察官の実験は、実際に「5点の衣類」がみそ漬けされていたタンク内のよりも血痕に赤みが残りやすい条件の下で行われていたことも指摘。にもかかわらず、試料の血痕に赤みが残らなかったことを重視している。
決定が、「5点の衣類」が第三者によって味噌タンク内に置かれた可能性に言及し、「事実上捜査機関の者による可能性が極めて高いと思われる」と踏み込んだのも、検察側の実験によって長期間味噌漬けされたものではない、という確信を得たからに違いない。
大膳裁判長らは、袴田さん本人にも面会した。決定は、静岡地裁による袴田さんの拘置停止の判断を支持する理由の中で、「年齢や心身の状況等」に言及している。長期間にわたる死刑執行の恐怖と拘束により、精神を病んでいる袴田さんの状況も、直に確認したのだろう。
「行って初めて分かることがある」
そう言えば、先月、死後再審を認めた「日野町事件」でも、大阪高裁の石川恭司裁判長らが現場の検証を行っている。再審請求審での裁判官の現場検証は珍しい、と報じられた。
いずれの事件でも、裁判官が現地に足を運ぶことを厭わない”現場主義”で、自身の目で確認し、強い無罪の心証を得たのではないか。
「まさに、百聞は一見にしかず、ですね」
元東京高裁判事の木谷明弁護士はしみじみとそう語る。木谷弁護士によれば、通常の裁判でも、裁判官が現場に出かけて行う検証が、最近はめっきり少なくなった、という。
「実際に、現場に行って初めて分かることはあるんです。僕らが現役の(裁判官だった)頃は、普通に行われていました。争いのある事件では、むしろ検察官が冒頭に『現場の検証をお願いします』と言ってきたものです。」
例として、自身が関わった都立富士高校放火事件を挙げた。事件が起きたのは1973年10月26日夜遅く。出火後に校庭で被告人を目撃したという証言の信憑性を確かめるために、裁判所が夜間に現地を確かめる検証を行った。
「行ってみると、暗くて、人の顔など分からないんです」
その結果もあり、判決は無罪。検察官が控訴した。木谷氏が裁判官として出した無罪判決で、唯一検察官控訴があった事件だという。これに対し東京高裁は、事件発生した深夜の時刻に再び夜間検証を行った。
「その時間には、近くの看護婦寮の灯りも消えて、さらに暗くなっていたんです」
高裁は控訴棄却で、無罪判決を維持した。
木谷弁護士は、なかなか現場に出向かない昨今の裁判所の腰の重さを憂う。
「自分の目で確かめようという、いい裁判官は今もいるんです。しかし、残念ながら、その数が少ない」
袴田事件と日野町事件は、いずれもその数少ない裁判官にたまたま”当たった”ということなのだろうか。しかし、その幸運に頼っているだけでは心もとない。冤罪の防止や冤罪被害者の早期救済は、現地に足を運ぶことを厭わない裁判官をどうやって増やすかにかかっているのかもしれない。
「特別抗告は無理」。問われる「検察の理念」
いずれにせよ、袴田事件は裁判官自らが確認したことで、検察側の主張を支える証拠は壊滅した、というに等しい。
木谷弁護士は言う。
「これでは、検察側が特別抗告するのは無理です。高裁決定は、最高裁の”宿題”にすべて答えを出した。心ある検察官は、それが分かっているはずです。最終的にはメンツにこだわらず、無理に特別抗告するのはやめる、という判断をするだろうと期待しています」
死刑が確定して42年。袴田さんはすでに87歳、姉のひで子さんは90歳だ。検察側が無理を承知で特別抗告すれば、再審開始はさらに先送りとなる。生きて再審無罪を聞くことができなくなるかもしれない。そんな残酷なことがあるだろうか。
大阪地検による証拠改ざん問題が明らかになった後、検察は自ら作成した「検察の理念」でこう宣言した。
その「胆力」が試されている。
特別抗告の期限は3月20日。