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「W杯でサポーターを支えたい」 12年かけて結実したプロサポーターの思い

村上アシシプロサポーター・著述家・ビジネスコンサルタント
ロシアW杯 コロンビア対日本 黄色く染まったモルドヴィア・アリーナ(筆者撮影)

モルドヴィア・アリーナは、真っ黄色に染まっていた。ゴール裏もバックスタンドも、メインスタンドも、コロンビア人だらけだった。会場の規模からして、ゆうに2万人を超えるコロンビアサポーターがスタジアムを埋め尽くしていた。

「彼らにとっては地球の裏側。こんな片田舎のサランスクまで。なんでこんなにコロンビア人が多いんだ…」

私はコロンビアサポーターに嫉妬した。日本代表サポーターとして目指している光景が目の前に広がっていたからだ。

日本代表もいつか、海外でのワールドカップでスタジアムを全面ジャパンブルーに染めたい――。黄色い絶景を眺めながら、改めて心に誓った。

黄色く染まったモルドヴィア・アリーナ
黄色く染まったモルドヴィア・アリーナ

サポーターを支援するためにロシアを2度視察

私にとって、人生最大の夢は「日本代表がワールドカップで優勝すること」。生きているうちにそれがかなう可能性は低いかもしれない。でも私は、この果てしない夢へ一歩でも半歩でも近づけるよう、日本代表サポーターとして日々活動している。

サポーター活動の柱のひとつに「サポーターに対するサポート」がある。日本代表を応援しながら、その日本代表を支える何十万人、何百万人というファンを助けることが、日本サッカー界の発展に寄与し、それが日本代表のワールドカップ優勝につながると信じている。

具体的にどんなサポートをしているかというと、日本代表サポーターのワールドカップ現地観戦への渡航ハードルを下げる活動だ。数万人規模の日本人がワールドカップのスタジアムを埋め尽くし、サポーターが大声援で代表選手を後押しすれば、ホーム試合のような雰囲気を作り出せる。そうすれば試合結果に好影響を与えられるはずだ。日本代表の勝利に0.01%でも貢献できるよう、様々な方法でサポーターを支援する活動を行っている。

現地観戦のノウハウを伝える講演会を何度も開催したり、Facebookで現地観戦コミュニティを立ち上げて情報を共有したり、「ロシアワールドカップへの行き方」という電子書籍を出版したり。ロシアまで足を運ぶ日本代表サポーターに向け、あらゆる形で情報発信を行ってきた。

最新の情報を手に入れるために、本大会前に2度、ロシアへ下見に行った。まず昨年6月、プレ大会であるコンフェデレーションズカップを視察。知人から現地の駐在員を紹介してもらい、モスクワで打ち合わせをした。彼らから直接、Facebookのコミュニティに現地の生情報を提供してもらえるようになったことは大きな収穫だった。

2度目の視察は、組み合わせ抽選会から1カ月後の今年1月、日本代表の試合地サランスク、エカテリンブルク、ヴォルゴグラードへ下見に行った。気温がマイナス20度まで下がる極寒のこの時期、ロシアを旅している外国人観光客はほとんどいない。しかし、現地でしか手に入らない生情報を探すため、3週間、ロシア各地を巡った。

なかでもサポーターの多くが利用することになった、モスクワ⇔サランスクの片道10時間という寝台列車に実際に乗ってみて、動画と写真を使ってレポートしたブログ記事は、大きな反響を呼んだ。日本人のFAN ID取得者は、開幕時点で約1万人と報じられていたが、この寝台列車のブログ記事は、12,000ページビューを数えた。このご時世に寝台列車に乗ってワールドカップのスタジアムへ向かう稀有な体験が、多くの人に興味を持たれたのだろう。

人生の分岐点となったドイツ大会

親しい友だちからは「なんでそこまで頑張って、サポート活動しているの?」とよく聞かれる。最終目標は日本代表のワールドカップ優勝だが、この活動を継続しているのにはもうひとつ理由がある。

話は12年前にさかのぼる。

2006年の会社員時代、3カ月の自己都合による休職期間を得て、ドイツワールドカップを現地で堪能した。それが私の「サポーター人生」の始まりだ。

レンタカー会社でキャンピングカーを借りて、各開催都市のキャンプサイトを転々としながら、ドイツ全土を縦横無尽に駆け巡った。日本代表は0勝1分け2敗と散々な結果だったが、この現地での体験は、当時28歳だった自分には、人生最大級のインパクトがあった。

キャンピングカーの前でイングランドサポーターと記念撮影(筆者一番右)
キャンピングカーの前でイングランドサポーターと記念撮影(筆者一番右)

リアルなロールプレイングゲームを楽しんでいるかのようで、毎日が冒険だった。6年間の無機質な会社員生活と比べると、楽しくて仕方なく、私はもうサラリーマンに戻れない身体になっていた。ワールドカップの「魔力」にとりつかれてしまったのだ。

ドイツワールドカップの2カ月後には退職届を提出。脱サラしてフリーランスの経営コンサルタントとして独立する道を選んだ。

人生の分岐点になったドイツ大会だが、準備の段階で困ったことがあった。レンタカーとキャンプサイトの予約だ。観光旅行で海外のホテルや航空券を手配したことはあったが、レンタカーやキャンプサイトは初体験で、とても骨が折れた。当時は、まだ英語もそこまでできなかったこともあり、とにかく準備に手間取った。

私と同じように、ワールドカップを訪れる日本人の多くが苦労しているのではないか。その苦労した情報を共有できれば、現地観戦のハードルを下げることができる。そうすれば、より多くの人が、人生を一変させるような体験ができるのではないか。そう考え、日本代表戦は国内外を問わず、そのほとんどを追いかけて経験値を高め、情報を発信してきた。

その後、南アフリカ大会、ブラジル大会と回を重ね、そのたびに現地観戦のハードルを下げるための活動を広げた。今大会は「サポーターに対するサポート活動」の集大成だった。

4年後のカタール大会に向けて

ロシア大会の前年、Facebookに有料と無料の2つのコミュニティを立ち上げた(有料コミュニティは現在参加者300人、無料コミュニティは参加者1,800人)。有料の方は、より付加価値の高い情報を提供した。

例えば現地駐在員に各開催都市のお勧めレストランや、穴場の観光地などをGoogleマップ上で約300件紹介してもらった。また安い航空券や、競争倍率の高い観戦チケットが売りに出された時は、リアルタイムでその情報をシェア。はたまたコロンビア戦が開催されたサランスクでは試合後にコミュニティメンバーのみ参加できる飲み会を企画し、130人が参加した。あの手この手でサポート活動を行った。

大会後にコミュニティ内で取ったアンケートでは、スタジアム観戦に必要だったFAN IDの取得方法や、都市間の格安の移動方法、現地での通信方法などが特に役に立った、という結果が出た。「この有料コミュニティ内の情報のおかげで、個人手配でロシアへ行くことができた」と多数の人から感謝されたことは、コミュニティ主宰者冥利に尽きる。

4年後の大会は小国カタールで開催されるため、宿不足問題が深刻になりそうだ。まだ企画段階だが、例えば旅行代理店とタッグを組んで、現地の不動産を丸ごと借り、「ジャパンハウス」の運営を行う、なんていうのも面白そうだ。

ロシア大会と同様、特に「初めてワールドカップに行く人」向けに、手厚い情報提供を4年後だけではなく、8年後も12年後も、この身が健康である限り、続けていきたい。こうした地道な活動が、サランスクで見た黄色を少しずつ青色へ染め変えるのではないか。ひいては、それがいつの日か、日本代表が世界の頂点に立つことへの助力になる、と信じて…。

(Kindle版「ロシアワールドカップ現地観戦記 日本代表サポーター23人の物語」から転載)

コミュニティメンバー80人を集めてエカテリンブルクで開催した決起集会(筆者は最前列中央)
コミュニティメンバー80人を集めてエカテリンブルクで開催した決起集会(筆者は最前列中央)
プロサポーター・著述家・ビジネスコンサルタント

1977年札幌生まれ。2000年アクセンチュア入社。2006年に退社し、ビジネスコンサルタントとして独立して以降、「半年仕事・半年旅人」という独自のライフスタイルを継続。2019年にパパデビューし、「半年仕事・半年育児」のライフスタイルにシフト。南アW杯では出場32カ国を歴訪する「世界一蹴の旅」を完遂し、同名の書籍を出版。2017年にはビジネス書「半年だけ働く。」を上梓。Jリーグでは北海道コンサドーレ札幌のサポーター兼個人スポンサー。2016年以降、サポーターに対するサポート活動で生計を立てているため、「プロサポーター」を自称。カタール現地観戦コミュニティ主宰(詳細は公式サイトURLで)。

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