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なぜ「波平は54歳」なのか 『サザエさん』の年齢に秘められた文化的な謎を探る

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:イメージマート)

「波平が54歳」は日本人の心を揺さぶりつづける

「磯野波平が54歳」というのが話題になっていた。

サザエさんの父、波平さんが54歳という話は、いまだに、日本人の心を揺さぶりつづけているらしい。

日本独自の文化である。それをちょっと考えるだけで楽しくなる。

私が「サザエさん24歳、波平54歳」ということを知ったのはもう30年以上前である。

昭和が平成になるころだ。

初めて知ったとき、日本人として素直に驚き、雑誌の連載で、「波平が54歳とは驚いた」と書いた。

当時の私は30歳と少し、だいたい「マスオさんくらいの年齢」であった。

それから30余年、マスオさんの年齢を遥かに離れ、波平の年齢さえも十以上越えてしまい、ということは波平が大学の後輩だったらすごい敬語で話されるのだろうなあと想像してひとり笑いながら、そんな時代になってもまだ繰り返し「波平が54歳だったとは驚き」と話題になっているのが、何ともいえず愉快なのだ。

なぜ波平は54歳に見えないのか

波平は、つまり54歳に見えないということだ。

ひとつはトクトウだからだろう。(禿頭と書いてトクトウ)

たしかに頭頂部の1本をのぞいて、中央部は見事に毛がなくどうしても年上に見られる。

60歳代から70歳代くらいに見られる可能性がある。

もうひとつは「自宅で和装」という部分も大きいのではないか。

自宅で和服を着てくつろいでいると、とても年配に見える。

漫画の初期設定ではサザエが大正生まれで、波平は明治生まれ

新聞連載として「サザエさん」が始まったのは昭和20年代。

サザエさんは原作者の長谷川町子(大正9年/1920年生まれ)に近い年齢として設定されており、だから大正生まれと見ていいだろう。

だから父の波平は明治生まれになる。

この初期設定のいくつかは、現在のアニメにまで引き継がれている。

家に帰って和服になるのは個人の趣味ではない

波平はサラリーマンなので、勤めているときはスーツ姿、昭和ふうにいえば「背広にネクタイ姿」だが、家に戻ってくつろぐときは和装、つまり着物姿になる。

家に帰ったら和服になっているのは、個人的な趣味からではなく、あの世代の多くの日本人が、ふつうにやっていたスタイルだから波平もそうしているだけ、だとおもわれる。

家に帰って和服に着替えるのは、当時の「ふつうの日本人の生活習慣」だった。

『サザエさん』に描かれる明治生まれと大正生まれの大きな断裂

しかしこの習慣、「ふつう」だったとは言え、世代差がある。

「外では背広、うちでは和服」スタイルをマスオは引き継いでいない。

マスオは明治生まれではないから、つまり当時のニュージェネレーションだったから、そうしないのだ。

同じくサザエの母フネはいつもほとんど和装であるが、サザエはふだんは着物を着ていない。

漫画原作では、マスオとサザエは大正生まれである。

波平・フネの明治生まれとは違う。

ここにきちんと世代的な断裂がある。

大きな断裂である。

「大正末年で大人であるかどうか」で分けられる断裂

たとえば京都のうちの家でもそうだった。

私の祖母は明治28年(1895年)生まれで、彼女はいつも和装だった。

真夏のとても暑い時期だけスカート姿になっていて、おばあちゃんが珍しくスカートを穿いてはる、と妹弟と驚き、えらい暑いゆうことやなあ、と話していたくらいだ。

フネとほぼ同じである。

祖父は明治22年(1889年)生まれで、きちんとした格好は背広で、家に帰ると、和装と洋服がまじっていた。

その子の世代(私の父母世代)は、家で普段、着物を着ていない。

大正末年から昭和ヒトケタの生まれである。

そこに大きな断層がある。

世代間格差というよりももっと大きな、かなり決定的な文化的断層があった。

「大正末年で大人であるかどうか」でくっきり分けられる。

ざっくりいうなら、明治生まれは「和」にこだわるが、新世代は「洋」を取り入れて良しとしていた、というところである。

波平はその断裂前の世代、サザエ以下はそれ以降のニュージェネレーションに属している。

家での和装は老けて見える

波平はその初期設定から、「家に帰れば着物」の旧世代として描かれており、それがいまも守られているのだ。

だからとても老齢に見えてしまう。

しかたのないところである。

それがふつうだったのはもう50年以上昔なのだから。

「人生五十年」といわれた時代の54歳

もうひとつ、なぜ「54歳」なのか。

「サザエさん」の新聞での連載が始まったのは昭和21年である。

サザエは24歳で、長男のタラちゃんは3歳。

だから彼女が結婚したのはだいたい20歳。それがあまり早いとは考えられてない時代のことである。

人の人生が、いまよりかなく短くとらえられていたころなのだ。

「人生五十年」というと、織田信長を連想して五十年で死ぬというニュアンスでとらえてしまうが、明治ころの文章を読んでいると「人間、元気でやれるのはだいたい五十年」というような意味で使われていることが多いことに気づく。

「まあ、五十過ぎたら、引退を考えてもいいんじゃねえか」って感じである。

隠居する年齢の目安が五十、というふうに昔の人は捉えていたということだろう。

その昔の庶民は肉体労働が多く、いわばスポーツ選手と同じで、十全に身体が動かなくなったら引退したほうがいい、という考えがふつうで、その目安が五十だったということではないか。

スポーツ選手的な引退として考えれば、五十はそんなに無理な年齢ではない。

「敬老の日」はもともと55歳以上を敬う日であった

いまの9月第三月曜の祝日「敬老の日」は、昭和21年に兵庫県のある村(野間谷村)で始まった敬老のイベントが始まり(のひとつ)とされている。

昭和21年の時点で、村の「敬老」の対象は「55歳以上」であった。

つまり昭和21年時点、日本人にとって(少なくとも兵庫の田舎では)老人とは「55歳より上の人」だったわけである。

いまより20歳ほどずれている。

ちなみにこの昭和21年が漫画「サザエさん」が始まった年でもある。

波平の年齢が54歳に設定された理由

そしてこのころからずっと昭和時代の会社員の定年は「55歳」であった。

55歳になると毎日働くのが終わって、引退ないしは隠居、ということになる。

それが漫画「サザエさん」が新聞連載されていたころの世相である。

だから波平が54歳というのは「昭和時代のサラリーマンぎりぎり上限の年齢」なのだ。

家族漫画だから、「大黒柱のお父さん」はまだ働いているほうがいいと考えられ、だから波平はその上限の54歳と設定されたのではないか。

私はそう推察している。

55歳より上の設定だと「ご隠居さん」になってしまう

55歳定年制では55歳になったら会社を辞めることになる。

つまり、初期設定では、次の誕生日で波平さんは会社を辞めるわけで、この時代、再雇用っていまほど盛んではなかったはずだし「サザエさん」的世界の流れだと、波平さんは55歳になったらきちんと会社を辞めて隠居になるようにおもう。

それが家で和服を着る明治生まれの考え方である。

昔は隠居が若いのだ。

たぶん人が生きるのは60歳すぎくらいまで、とみんな漠然とおもっていたからだろう。だったら55歳で隠居というので合っている。

波平を55歳より上の年齢に設定したら、昭和の隠居した爺さんとして描かねばならなくなる。

だから54歳とした。

たぶん、そうだとおもう。

原作が描かれてのち数十年も現役アニメシリーズとして描かれる『サザエさん』の世界は、だから不思議がいっぱい詰まっているのである。

そういうところがなかなかたまらない。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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