【川崎市川崎区】川崎河港水門って見たことある? 「幻の大運河計画」に思いを馳せる夏休み
先日、多摩川の河口付近をランニングしている時に面白い造形物に遭遇しました。
右側の三棟の大きなマンション…ではなく、左側の不思議な形をした門です。
ランの途中とはいえ、青空のもとに突然この造形物が現れたときには、ナニコレ!?と思わず足を止めてしまいました。場所は、駅で言うと大師線の港町と、鈴木町の間。味の素川崎工場より少し上流のあたりです。
ドーン、と青空に向かってそびえ立つ、レトロな風貌…。側面に川崎市の市章が入っているので、市の建造物ってことでしょうか?
調べてみたところ、こちらの名称は「川崎河港水門」。昭和3年(1928)に建築され、平成10(1998)年の9月に国の有形文化財(建造物)に登録されたそうです。
幻の運河計画!?
そして、川崎市のウェブなどを読み進めるうちに、この水門が「幻の運河計画」の遺構であるということがわかり、一気に興味マックス! え、なに、運河計画って!そしてなぜ幻となったの!?
以下、川崎市ウェブサイト(注1)より。
なるほど。
大正時代に、都市計画の目玉として川崎区を走る「運河」を作り、掘削した土で埋め立てをして周囲に宅地や工場を作ろうとしていたのですね。
別の資料(注2)によると、この河港水門から塩浜に抜ける大きな運河と、夜光周辺を通る運河、小田に抜けて横浜市境までという3 本の運河が計画されていたようです。
もしもこの計画が予定通り実施されていたら、川崎区はいまごろヴェニスみたいになってたかも!?
運河計画の一端で水門が最初に作られたけれど、結局都市計画は当時の建築ラッシュの中、工場建設のスピードについていけず幻となり、水門が残ったと…。
でも、注目すべきは、この水門がまだ現役であるというところ。大正から昭和にかけて創られた水門のうち、現在でも現役である水門は非常に珍しいのだということです。対岸にある六郷水門と共に現役で、そのような例は全国的にも類を見ない、と書いてありました。
川崎の名産品をモチーフにした巨大な彫刻
それにしても、ずいぶん独特の重みのある建造物ですね…。近くで見ると、ますます興味深い。この上に載っているブロッコリーみたいなのはなんだろう? と写真を拡大してみますと(近くに寄ってみても上の方すぎてよく見えないのですw)…
どうやら、フルーツのよう。
これも、調べてみると当時の川崎の名産品だった梨・桃・葡萄をモチーフとした彫刻だというのです。「長十郎」をはじめとした梨はいまでも川崎の名産ですが、桃に…ぶどう!?
さきほどから参照している資料(注2)によると、明治以来、外国産の桃を栽培するようになったのは大師河原が日本で最初だった、近隣では葡萄の栽培も行われていた、と書いてあります。ええー、知らなかった!!
側面の川崎市の市章はまるでデザインのように組み込まれていて、なんだか面白い。
この独特な水門を設計したのは、金森誠之(かなもりしげゆき)さんという土木技師だそうで、多芸で趣味の多い人で、自らカメラを回して映画を創ったとか、 ダンスも上手で教本を書いたとかで、自分の家も設計してしまうとか。なんだか妙に共感できます(笑)
今では想像もできませんが、竣工式の演出はすごくて、水門の橋を舞台にして、上下する水門のゲートを緞帳のように使って、竣工式をしたといいます。川崎出身の女優が踊り、歌うなど非常に楽しい式だったという記録があるそうで…。大正から昭和にかけての川崎という町の雰囲気が、ちょっとだけでもうかがい知れるような気がしませんか?
犬も歩けば棒に当たる、人も走れば…
そもそも、多摩川沿いを走ってみなければ、この建造物に出会うこともなく、川崎にかつて大運河計画があったなどということを知らずに過ごしていたことでしょう。
ランニングして、その途中で出会う史跡をめぐる楽しさを、改めて実感してしまった朝でした。
ここのところ、暑かったり雨降りだったりでサボり気味でしたが、気候がよくなってきたらまた走ろうと思います。
みなさまも健康促進のため、ランニングを始めてみては? いや、走るのはちょっと嫌、という方は、多摩川沿いをお散歩することから始めてみてもいいかもしれません。
川崎河港水門
住所:川崎区港町66地先
問い合わせ先:川崎市 教育委員会生涯学習部文化財課
電話:044-200-3305
参考サイト:(注1)https://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000000315.html
(注 2)https://www.city.kawasaki.jp/kawasaki/cmsfiles/contents/0000026/26446/03itou.pdf