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「異次元の少子化対策」と児童手当の所得制限撤廃をめぐる政治的構図

西田亮介社会学者/日本大学危機管理学部教授、東京工業大学特任教授
(写真:イメージマート)

岸田政権の内閣支持率は、2023年に入っても低調なままだ。そして23年の施政方針演説で岸田総理は「異次元の少子化対策」に言及した。

何よりも優先されるべきは、当事者の声です。まずは、私自身、全国各地で、こども・子育ての「当事者」である、お父さん、お母さん、子育てサービスの現場の方、若い世代の方々の意見を徹底的にお伺いするところから始めます。年齢・性別を問わず、皆が参加する、従来とは次元の異なる少子化対策を実現したいと思います。

 そして、本年四月に発足するこども家庭庁の下で、今の社会において、必要とされるこども・子育て政策を体系的に取りまとめつつ、六月の骨太方針までに、将来的なこども・子育て予算倍増に向けた大枠を提示します。

 こども・子育て政策は、最も有効な未来への投資です。これを着実に実行していくため、まずは、こども・子育て政策として充実する内容を具体化します。そして、その内容に応じて、各種の社会保険との関係、国と地方の役割、高等教育の支援の在り方など、様々な工夫をしながら、社会全体でどのように安定的に支えていくかを考えてまいります。

 安心してこどもを産み、育てられる社会を創る。全ての世代、国民皆にかかわる、この課題に、共に取り組んでいこうではありませんか。

(令和5年1月23日 第二百十一回国会における岸田内閣総理大臣施政方針演説 | 総理の演説・記者会見など | 首相官邸ホームページ (https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2023/0123shiseihoshin.html)より引用。強調は筆者)

近年、働き方改革や子育て支援に対する支持が根強いこともあって、呼応するように自民党の茂木幹事長が児童手当の所得制限撤廃を唐突気味に提案した。改めて確認しておくと、現在の児童手当制度の給付期間は中学校卒業まで。月1万円、ただし3歳未満は月15000円が給付されている。

※詳細は内閣府「児童手当制度のご案内」等参照のこと。

児童手当には所得制限がある。詳細は子どもの数などの条件によって異なるため割愛するが、給付の対象は概ね年収960万円以下の人に限られている。そのうえで年収960万円から1200万円までの人には特例給付として月5000円が給付され、年収1200万円以上の人には特例給付も給付されない。児童手当の所得制限撤廃とは、要するに年収960万円以上の人で児童を養育している人にも、それ以下の人と同様に手当を出していこうという主張である。なお児童手当制度は二転三転してきた経緯がある。かつて自民党政権のもとで所得制限ありの児童手当が年少親族扶養控除と併存していた。それが民主党政権下の所得制限なし子ども手当の実施に際して年少親族扶養控除は廃止され、その後、現在の所得制限あり児童手当制度になった経緯がある(なお年少親族扶養控除は復活していない)。気分として相対的高所得者(世帯)の不公平感はわからなくもないが、所得税の税率や区分、控除の額は頻繁に変更されてきた。原則的にいえば、相対的高所得者(世帯)のほうが可処分所得が大きく、ふるさと納税やNISA、iDeCo等の優遇、住宅ローン控除などの恩恵を受けやすいことも付記しておくべきで、児童手当の対象となるか否かだけで「公平性」を議論することにあまり意味はない。

国税庁の「令和3年分 民間給与実態統計調査結果」によれば、年収1000万円超の人は給与所得者の上位約5%程度、年収900万円超で上位約7%程度に過ぎないから相対的高所得者といえる。児童手当の所得制限撤廃が関係するのはこの人たちだけに限られる。そしてそもそも論からいえば、内閣府の「令和4年版 高齢社会白書」によれば、超少子高齢化社会の日本において、子育て世帯は2割程度で単身世帯や夫婦のみの世帯と比べて少数派に留まっている。良くも悪くも世帯の多数派からすれば、所得制限撤廃も含めて児童手当を手厚くすること自体が直接的にはあまり関係しない。こうした世帯の事情もあるからか、所得制限撤廃論は各社の世論調査等において概ね否定的な意見が多数派を占めている。NHKの月例世論調査では、所得制限撤廃に対して若年世代では賛否が拮抗、40代で反対が賛成を上回り、年長世代になるほどその傾向が強くなっている。

なお筆者は児童手当の所得制限は少子高齢化改善を社会全体で強く推奨する観点から撤廃すべきと考えている。だが、それは相対的高所得者や世帯の「不平等解消」のためでもないし「公平」のためでもない。児童手当の所得制限撤廃は実態として少数派である子育て世帯の、さらに相対的高所得世帯だけが関係することから、少子化対策としての効果も限定的であることはほぼ自明だが、当事者である子育て世帯の被害者意識を払拭し無益な分断を避け、日本社会の持続可能性を念頭に社会全体で子育てを推奨する観点から、所得制限撤廃に対しては消極的に賛成するものである。

ところで上記の簡潔な検討からも明らかなように、「異次元の少子化対策」から程遠いはずの児童手当の所得制限撤廃に与野党がこぞって賛同するのはなぜか? 最近では自民党のみならず、公明党、立憲民主党、維新、国民民主党などが児童手当の所得制限撤廃を主張している。

まずひとつは統一地方選挙を目前に控えているためだ。選挙に向けた実質的な「目玉」が必要だ。それから児童手当の所得制限撤廃は、他の例えば児童手当の18歳まで(高校卒業まで)延長や、多子世帯に対する加算と比べて必要な予算規模が小さいとされている。NHKの調べによれば、所得制限撤廃には年1500億円程度、18歳まで拡大の場合、年4500億円程度、多子世帯加算には年数兆円規模の追加予算が必要とされている。「所得制限撤廃」はそれだけ聞くとなにか大胆な決定のように聞こえるが、その実、対象となる者は相対的高所得者(世帯)に限られることから、前述の他の少子化対策と比べて予算がもっとも小さくて済む、それがいまの「異次元の少子化対策」の実状だ。なんともやりきれない。それでも自民党が前向きであることから具体化が現実味を帯びている。「政策提案型」や「是々非々」を主張する野党からも相乗りしたい思惑が透けて見える。しかし幅広い世帯への子育て支援という観点でいえば18歳まで拡大、多くの子どもを育てる世帯を支援するという観点では多子世帯加算やN分のN乗方式などに分があることは言うまでもない。公明党はこれらの幾つかを主張しているが、野党から強い声やオルタナティブの提案が聞こえてこないことも残念だ。

繰り返しだが、所得制限撤廃は相対的高所得者(世帯)しか関係せず、子育てを社会全体で支えることとは実質的にはあまり関係しない。もし子育ての社会全体での支援を強調するのであれば、「父母その他の保護者が子育てについての第一義的責任」を負う前提のもと、子ども(児童)ではなく、「児童を養育している者」の生活安定寄与と、「次代の社会を担う児童の健やかな成長に資する」ことが目的とされ、自助的性質が強い現在の児童手当制度を見直し、社会全体で子育てを支援することを強調するべきだ。そうすれば政策の選択肢は今よりずっと広くなるはずだ。与党は与党で現状はそういった内容を踏まえた抜本的な「異次元の少子化」対策にはなっていないことから、実はもっとも予算規模が小さな選択肢を提示しているに過ぎない。現在の児童手当制度の予算規模は約1.3兆円に過ぎず、すんなり既定路線化した防衛費の予算倍増と比べれば、とにかく小規模でもある。共働き世帯においても、世帯合算ではなく、どちらか一人の所得で計算するのは、これは日本ではそもそも世帯合算で課税しておらず個人単位課税が基本だからだ。事実上、世帯合算することになるN分のN乗方式が日本で難しいのはこのためだ。このように多くのアイデアは未だ従来の政策の「常識」と連続的で、実は政府も、与野党もまだまだ本気でも、異次元でもないのだ。こうした状況を理解したうえで、本質的な子育ての社会的支援に関する議論の深化を期待したい。

※関連

児童手当の所得制限撤廃は“少子化対策”に効果ある?対策の本気度に社会学者・西田亮介氏「子育て支援したい政策には思えない」(ABEMA TIMES)

https://news.yahoo.co.jp/articles/9c17f8c9d5217ec218a9d5bf6c5fce54974f40e5

社会学者/日本大学危機管理学部教授、東京工業大学特任教授

博士(政策・メディア)。専門は社会学。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科助教(有期・研究奨励Ⅱ)、独立行政法人中小企業基盤整備機構経営支援情報センターリサーチャー、立命館大学大学院特別招聘准教授、東京工業大学准教授等を経て2024年日本大学に着任。『メディアと自民党』『情報武装する政治』『コロナ危機の社会学』『ネット選挙』『無業社会』(工藤啓氏と共著)など著書多数。省庁、地方自治体、業界団体等で広報関係の有識者会議等を構成。偽情報対策や放送政策も詳しい。10年以上各種コメンテーターを務める。

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