相方へのマジ謝罪。新型コロナウイルス禍で、新たな一歩を踏み出した「トータルテンボス」
どこのステージでも必ず笑いをとる芸の腕で芸人仲間からも一目置かれる「トータルテンボス」。実は、新型コロナウイルス禍をきっかけに、コンビとして新たな一歩を踏み出していました。リモート漫才のネタ合わせ前に、藤田憲右さん(44)が大村朋宏さん(45)に「一個いいか?」と切り出した話とは。
劇場、そして、漫才の変化
大村:6月19日から吉本興業の劇場も営業を再開して、当初から僕らも舞台に立たせてもらってました。最初は各劇場とも収容人数の10%くらいしかお客さんを入れずに始まりました。
藤田:その時にも舞台の出番はいただいてたんですけど、僕としては少なくてもお客さんがいてくださることで本当にやりやすかったです。
無観客での公演もやりましたけど、雲泥の差です。人数が少なくても、笑ってもらえますから。反応があるので、こちらも分かりやすいし、やりやすかったです。
大村:ただ、ネタ選びは難しいなとは思いました。最初はコンビの間にアクリル板を立てて、距離をとっての漫才でしたからね。今は元の状態に戻ってますけど、またこれが距離をとらないといけないとなったら、直接ツッコミもできないし、僕が相方の内ももを叩くという流れのネタもあるんですけど、それも身体接触が伴うのでできない。
距離をとって漫才をするのがマストとなったら、これまで作ってきたネタのうち、いったい、何本残るのか。そんなことも考えましたね。
「一個いいか?」
藤田:あと、これはすごく正直な話、僕は意識がムチャクチャ変わりました。
まず相方への感謝がものすごく湧き上がってきました。コロナで仕事がなくなって、これでもかと時間があったので、いろいろなことを考えたんです。
こんな状況になっても「千鳥」とかはテレビに出てたりもする。でも、ウチらはテレビがないから劇場だけ。だから、劇場が閉まったら、ほぼ仕事がなくなる。それってオレのせいなんじゃないか。
もし、オレがもっと行儀が良かったら、テレビの仕事もあったんじゃないか。そう思うと、今仕事がなくなったことが本当に申し訳ないし、よく考えたら、そんな中でも、相方はいろいろやってくれてたよな。
オレが「ネタの練習はしたくない」とか暴言吐いたりしても、それでもネタを作って、何とか練習も成立させて…。そもそも、劇場出番をずっともらえていたのは、あいつのおかげだよな。そんな思いが仕事がなくて時間だけはある状況で、どんどん膨らんできたんです。
大村:こういう話って、期せずして取材の中で思いを吐露して、相方としても「え!?藤田、そう思ってたんだ」となることが多かったりもすると思うんですけど、この話は、既にガッチリ聞いてまして(笑)。
というのは、コロナでの自粛中にテレビ電話でネタ合わせをしたんです。番組の企画でリモート漫才をやることになって、リモートだし、普段の漫才とは違うし、これは事前に打ち合わせをしておいた方がいいなとなりまして。
じゃ、ネタ合わせをやる前に藤田が「その前に、一個いいか?」と言ってきたんです。そこから、先ほどみたいな話をとうとうとしゃべりだしたんです。
今まで本当に悪かった。コロナになって仕事がなくなって、すげぇ不安になって、鬱にもなりかけて、自分自身を見つめ直した。その結果、自分はなんて子どもだったのかが分かった。どれだけお前に迷惑をかけてきたか思い知った。
そんなことを真正面から言ってきまして。こちらも突然のことで、ま、正直、テレもありますし、その場では「いや、そんなのいいんだよ。そう思ってくれるのはありがたいことだし」くらいしか返さずにいたんです。
あと、こういうのって、聞く側もテレますけど、もちろん言う側もテレるじゃないですか。それをここまで唐突に、ゼロ発進で言えるということは、こいつよっぽどキツイ酒でも飲んでるのかとも思いましたけど(笑)、僕にとってもいきなりのまさかでした。
ただ、そこから自分の中でまた考えました。
コロナ前、ありがたいことにスケジュールはギチギチに入ってたんです。テレビこそそんなに出てないですけど、劇場にしろ、営業にしろ、いろいろ行かせてもらっていたので、休みは月に1日あればいいというくらいでした。
でも、藤田から「週に1日は休みがほしい」と言われたりもしていて「気持ちは分からないでもないけど、現状がありがたいことじゃないか」という思いが僕にはあって。実は、そこでぶつかった時もありまして…。
ただ、自粛になって唐突にですけど、僕も家族とゆっくり触れ合う時間ができた。すると「藤田が言ってたのは、こういうことだったのかな」と思うようにもなりまして。仕事への感謝はもちろん大切だけど、心のゆとりとか余裕がなかったんじゃないか。そういうことを藤田の言葉から、思うようにもなったんです。
藤田:…。
大村:僕も自分が全部正しいなんて思ってないですし、逆に意固地になって、さらにストイックモードになって、より一層、藤田の気持ちになれてなかったところもあったなと。厳密に言うと、そんな自分の心の動きは、以前から分かってはいたんです。でも、それをなかなか詳らかにすることはなかった。僕は藤田みたいにハッキリ真正面からは言えないので、このインタビューを通じて、今、間接的に伝えている最中です(笑)。
藤田:お前、それはセコい手だな(笑)。ま、コロナは本当に大変だし、皆さんにとってもだろうし、僕らにとっても、ダメージは甚大です。でも“雨降って地固まる”とはこのことかなと。もちろん、簡単なことではないですけど。
大村:実際、これもナニな話なんですけど、藤田はネタ合わせが嫌いだから“なるべく短くスムーズに”という僕なりの気遣いはしていたつもりなんです。
でも、そのリモート漫才のネタ合わせの時から、藤田の方から「もう少しやった方がいいんじゃないか」と言ってくるようにもなりまして…。それこそ、いよいよ、酔っぱらってるのかとも思いましたけど(笑)。
藤田:もちろんお仕事があることはありがたいんですけど、否応なく時間ができたことで、心底“余裕の意義”みたいなことも痛感しました。
朝から晩まで毎日働いて、その間にネタ合わせとなると、正直な話「ワーッ!」となっちゃうところもある。でも、心と体がリフレッシュできていたら「よし、やろう!」となる。そんなにシンプルなことでもないかもしれませんけど、休む効能というか、それは確実に体感したとは思っています。
大村:それと、当たり前のようにやってきた漫才が、実は当たり前じゃない。相方あっての漫才ですし。それも痛感しましたね。そして「これで飯を食っているんだ!」という感覚も再認識しました。
でも、その割には今まではそこまでプロフェッショナルではなかったんじゃないか。そんな反省点も見えてきました。
具体的に言うと、例えば、いくらやり慣れたネタでも、きちんと舞台前にネタ合わせをして、より万全な状態でやるようにする。一回一回の漫才を決して流さない、ムダにしない。そういった思いもさらに強くなりました。
いや、今の話もですけど、普段は言いにくいことを取材という場を使って読者の皆さんのみならず相方にも伝えるというトライアングル構造をフル活用させてもらいました(笑)。
藤田:セコイやり口の連打じゃねぇか(笑)。
(撮影・中西正男)
■トータルテンボス
1975年4月3日生まれの大村朋宏と75年12月30日生まれの藤田憲右が98年にコンビ結成。静岡の小中学校の同級生で、ともにNSC東京校3期生。2004年、06年、07年と「M-1グランプリ」で決勝に進出し、07年は準優勝。自らの草野球チームも持つ野球好き芸人としても知られる。2019年に行われた全国ツアーの大阪・なんばグランド花月公演を収めたDVD「CHATSUMI」が9月16日に発売される。