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心理学者から見たメンタリストDaiGoさんの発言

原田隆之筑波大学教授
(写真:PantherMedia/イメージマート)

批判と炎上 

 ホームレスや生活保護受給者へのヘイトスピーチで、メンタリストDaiGoさんが大きな批判を浴びている。私も動画を観たが、あまりの醜悪さに言葉を失った。

 私自身、生活保護を受けている人々に対する心理的な支援を行っている身でもあり、聞いたこともないようなあからさまなヘイトを目の当たりにして、大きなショックを受けた。そして、これまで人類が人権のために闘ってきたその歴史は何だったのだろうかとさえ思わされた。

 あからさまな差別に対して、われわれがまずやるべきことは、明確に声を上げて「NO」を突き付け、社会としては絶対に許容できないという態度を示すことである。

 彼の言論のどこが問題であるかについては、数多くの専門家が声明等を出しているので、ここではこれ以上立ち入ることはしない。

 その一方で、彼はどうしてあんな発言をしたのか、その発言の裏にある心理について聞かれることが何度かあったので、ここではそれについて述べてみたい。

疑似科学のエンターテイナー

 彼の心理を分析するため、まったく不本意ではあったが、過去の彼の動画を何本か観てみた。

 まず最初にはっきりさせておきたいのは、彼は心理学者でも科学者でも何でもないということだ。動画を観て、根本的に科学の人でないことがはっきりわかった。

 心理学をより身近に人々に紹介した点は評価できるが、その内容は贔屓目に見ても陳腐である。巧みな話術やプレゼンテーション能力で誤魔化していただけで、彼の話の内容は、通俗的な心理読み物や出典もよくわからない論文の抄録などを切り貼りしただけの寄せ集めに過ぎない。

 科学的根拠もないようなサプリメントや健康情報を断定的に薦めたり、自ら宣伝したりしていることも多い。つまりは、疑似科学の権化のような存在となっている。

 YouTubeでは両側を本で囲まれた部屋で配信しているが、人々はその「場面装置」にも騙されて、「すごい量の本を読んでいる」と感嘆し、あたかも知の巨人のような虚像を信じ込まされていたのだろう。これもまた、メンタリストの手品仕掛けの1つである。

 しかし、研究者からすれば、あのくらいの書籍の量はどうってことはないし、むしろ日本語の心理読み物ばかりであることにも、その「正体」を見る思いがする。

 決定的なのは、彼には知識の断片の寄せ集めはあるかもしれないが、「教養」がないということである。「教養」とは、社会学者の橋爪大三郎氏によれば、「知識を理性でまとめたもの」である。それは、われわれが生きていくうえで、人として正しい意思決定を行うための基礎となるものである。自分が「よく生きる」ため、そして社会をより良くするために、知識を結びつけたものが教養である。

謝罪になっていない謝罪

 謝罪動画も観た。印象的だったことは、1本目の謝罪動画で、何度か謝罪の言葉を口にしているものの、まったくその言葉が響いてこなかったということだ。Tシャツのままヘラヘラと早口で、「申し訳ございませんでした」とあさっての方向を見ながら述べたかと思えば、動画の最後には自分のオンラインサロンなどの宣伝を口にしていた。よくそんな厚かましいことができるなと、救いようのない虚しさしか残らなかった。

 このとき、カナダの心理学者ロバート・ヘアの「感情という言葉は知っているが、その響きを知らない」という言葉を思い出した。

 おそらくは、スポンサーなどにたしなめられて、仕方なく謝罪したということなのだろうが、これがまた炎上にさらに油を注ぐことになった。人の心を読むのを得意としていたメンタリストとは思えない姿である。

繰り返される差別発言と尊大な自己意識 

 ほかの動画を何本か観る中で、はっきりとわかったことは、彼がこのような発言をしたのは、いきなりでも突飛なことでもなく、昔からずっとそうだったということである。これまでもホームレスだけでなく、女性差別、能力差別など、醜悪な差別発言を繰り返していたのである。

 これがさして問題にならなかったのは、ほぼ「信者」だけが見る動画での言動だったからなのだろう。そして周りには「信者」しかいないのだから、誤りが修正されることもなく、ますますゆがんだ信念を強めていったのかもしれない。

 一連の発言に共通するのは、尊大な自己意識である。テレビやYouTubeなどでたくさんのファンやフォロワーを獲得したことで、自分には能力があると過信し、まさに「エゴインフレーション」(自我肥大)を起こしていたのだといえる。

 他の動画のなかで、繰り返し「承認欲求」に言及しているのも印象的だ。これは尊大さの裏返しであり、誰かに承認してもらわなければ尊大な自己意識を保持できなかったのかもしれない。

 しかしまた彼は、「承認欲求には2種類あって、それはステイタスと好感度である。ステイタスを追い求めるだけでは、結果的に人は不幸になる」「自分には権力があると思い込んで、周りから人が消えちゃう」などと、今を予言するようなことを自分で言っているのだ。知識が上滑りして、内面化されていなかったということだろうか。

共感性の欠如

 スーツを着ての2回目の謝罪動画では、「もしも自分の母親がホームレスだったらと想像した」などと、個人的なエピソードに紐づけて「自分の発言のひどさがやっと理解できた」と述べていた。

 最初の動画と比べると少しは進歩しているが、そこで開陳したのは小学生レベルの幼稚な共感性である。普遍的な人間の価値や尊厳などは到底理解できないのだろう。

 このような言動を観ると、著しい共感性の欠如が、彼の問題の根底にあるといえる。

 問題の動画を観たわれわれは、特に知識がなくても、ホームレス支援にかかわっていなくても、まして母親のことを思い出さなくても、反射的に強い不快感を抱く。これはわれわれには、共感性というものが備わっており、それが自動的に働くからである。

 そして、彼にはそれが欠如している。だからこそ、平気であのような発言をしても何も感じず、歯止めにもならなかったのである。そして、謝罪にもなっていない謝罪を繰り返すのである。

 共感性は、人間を人間たらしめている根本的な感情である。もちろん、人間には利己的で残酷な側面もあるが、それに歯止めをかけ、負の側面を抑えつつ愛他的になることもできる。人を侮辱したり傷つけたりすることには、こちらも不快になるので、そのようなことには歯止めがかかる。それが共感性の働きである。

人間への敵意

 もう1つ、彼の動画に通底するキーワードは「敵意」である。今回の差別動画では、「ホームレスの命などどうでもいい」「自分にとって必要がない命」「邪魔だしさ、プラスにならないしさ、臭いしさ、治安悪くなるしさ」などと、これでもかといわんばかりのあからさまな敵意をぶちまけている。

 また、過去に自分にテレビ局のプロデューサーに脅された、嫌がらせをされたなどの恨みつらみを何度も吐露している。さらには、子どものころの「いじめ体験」についても、繰り返し言及している。

 もちろん、ハラスメントやいじめは決して許されない行為である。DaiGoさんが、過去にこのような被害を受け、それに対していまも憤りを抱いているのならば、私はそれには共感するし、同じように憤りをおぼえる。いじめた相手やハラスメントをした相手を、許すべきだとは思わないし、許す必要もないと思う。

 しかし、いじめ体験がその後の人間観に影を落とし、その怒りが「人間全体」に対する敵意になっているならば、それは不幸なこととしか言いようがない。事実、彼は謝罪動画のなかでも「自分は人が嫌いなので」と明確に述べている。

 憎い相手への敵意を、人間全体や何の関係もない他の人に拡大しても、それは何の解決にもならない。

今後のDaiGoさんへ

 DaiGoさんは、「成功」「復讐」ということにもたびたび言及している。彼によれば「成功した姿を見せつけることが最高の復讐」なのだそうだ。「相手に直接復讐する必要はない、彼らは道端のゴミみたいなもので、自分にとってはどうでもいい存在だから・・・」とまたどこかで聞いたことのあるようなセリフが続く。

 おそらくは、いじめによって傷ついた彼の自尊心、あるいは東大受験に失敗したことのコンプレックスなどをバネにして生きてきたのだろう。過去のつらい体験をバネにして、逆境にも負けずに「見返してやろう」と努力を重ねたことは尊敬に値する。

 しかし、その努力の原動力が、敵意や復讐だけだったとしたら、あるいは「ステイタス」のためだけだったとしたら、そんなに悲しいことはない。復讐やステイタスのために成功しても、不幸になるだけだと彼自身も言っていたとおりである。

 もしいま、彼に何か言葉を贈ることができるとすれば、「成功とは敵意に基づいて誰かを見返すためだけのものではなく、自分自身の成長と幸福のためにあるものですよ」と声をかけたい。

 先に幼稚な共感性しかないと辛辣なことを言ったが、それでもまったく共感性がないよりはよほどいい。母親や兄弟に対する愛情を手掛かりに、それを育ててゆけばよい。心理学にはそのためのノウハウがたくさんある。

 これまで「敵意」ゆえに、人が嫌いで人と本当に交わることができなかったのであれば、敬意をもって人と付き合い、その「認知」を変える体験をもってほしい。これもまた、カウンセリングを受けるなど、心理学が役に立つだろう。

 謝罪動画のなかでは、ホームレスの支援をしている人や当事者に会って話を聞きたいということを述べていた。しかし、そこで単なる「知識」だけを得ても仕方ない。

 今回のことで、彼自身傷ついたのならば、その気持ちをさらなる敵意や恨みに変えるのではなく、学びの場での出会いを通して、彼の言葉で傷つけた人や、差別や偏見で傷ついた人々への共感性に変えてほしい。

 私が支援している生活保護受給者は、ほとんどが過去に犯罪を起こし、刑務所などを出て、仕事や身寄りもなく生活している人たちである。そして、彼らは過去の自分を反省し、更生を誓って自分の行動や認知の修正に取り組んでいる。

 私が彼らと接するときの一番の信条は、「敬意」である。もちろん、その過去の行動は許されるものではないが、更生に向けて努力する姿に対し、同じ一人の人間としして敬意を払いながら、彼らの将来を信じて支援を続けているのである。

 なかには高齢であったり、心身の障害があったりして、努力ができない人もいる。しかし、過去の自分を悔い、ささやかに生きる姿はそれだけで価値がある。そのことをDaiGoさんは知ってほしいと心から願う。

筑波大学教授

筑波大学教授,東京大学客員教授。博士(保健学)。専門は, 臨床心理学,犯罪心理学,精神保健学。法務省,国連薬物・犯罪事務所(UNODC)勤務を経て,現職。エビデンスに基づく依存症の臨床と理解,犯罪や社会問題の分析と治療がテーマです。疑似科学や根拠のない言説を排して,犯罪,依存症,社会問題などさまざまな社会的「事件」に対する科学的な理解を目指します。主な著書に「あなたもきっと依存症」(文春新書)「子どもを虐待から守る科学」(金剛出版)「痴漢外来:性犯罪と闘う科学」「サイコパスの真実」「入門 犯罪心理学」(いずれもちくま新書),「心理職のためのエビデンス・ベイスト・プラクティス入門」(金剛出版)。

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