「脱北手伝って」という電話増えて困惑しています。~覆う恐怖、見えぬ展望 金正恩氏から離れる民の心~
4月初旬、中国寧波市の北朝鮮食堂「柳京食堂」の支配人と女性従業員、計13人が韓国に亡命する事件があった。北朝鮮では、海外で 勤務できるのは体制への忠誠度が高いと評価された人たちだけだ。
北朝鮮歌謡を聞きながら朝鮮料理を楽しむ趣向のその店で、いったい何が起こったのか、詳細はまだ不明だが、「忠誠分子」の13人にとっても、北朝鮮に戻ることに耐え難い恐怖があったことだけは間違いないだろう。
逃避行の末に韓国に到着した時、彼女たちは心底安堵(あんど)しただろうが、離別することになった家族の身に降りかかるであろう災いを知らなかったはずはない。今、家族への心配と罪悪感で、心が折れそうになっているのではないだろうか。
◆「韓国に連れて行って」 取材協力者に脱北幇助頼まれる
少し前、長く取材を手伝ってくれている北朝鮮に住む協力者のキムさんから、突然「私と家族を韓国に連れて行ってくれませんか」と頼まれ、大いに当惑している。
キムさんとは、北朝鮮に密かに投入している中国の携帯電話で、週に1~2回連絡を取り合っている。4年前から北朝鮮内部の動きや民心を調査して知らせてくれている。
金正恩政権が2月にロケット発射した後、それと核開発に対する庶民の反応について報告してくれた後、ぼそっと、しかし嘆願するように、自身と家族の脱北を頼んで来たのだ。
金正恩体制になって、些細なことで地元の役人や幹部たちが逮捕されるようになった。職場や地域では、道路補修や田畑の草取りなどの奉仕労働に頻繁に動員される。
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住んでいる北部の町では、電気や水道はほとんど止まったまま。怖い。しんどい。暮らしがよくなる見込みが見えない。一方で中国や韓国が目覚ましく経済発展したのを知っている。
「もう、うんざりなんです」と、彼は言った。キムさんは長く一緒に仕事をして来た仲間だ。できるだけのことはしてあげたい。しかし…。
「国境警備がどれだけ厳しいか、キムさんも知っての通り。脱北の手助けなんてとても無理ですよ。応援しますから、なんとか耐えてくださいね」。
私には、そう伝えるのが精いっぱいだった。
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◆「子どもたち脱出させて」と突然の電話
キムさんからの切ない、叶えようのない訴えを聞く2カ月前、韓国から聞き覚えのない声の電話がかかって来た。自分は数年前に脱北した者で、北朝鮮に残してきた子供たちを何とか探して連れて来たい。ついては手助けをしてほしい、と言うのだった。私の連絡先は脱北者の知人から聞いたという。
年に数回、このような電話がかかってくる。どこかの筋の「引っ掛け」かもしれないという警戒もあって、このような連絡がある度に憂鬱になる。気の毒だが、一介のフリー記者に過ぎない私にそんな力はないことを伝えた。
すると、「私は○○県に生まれて北朝鮮に渡った在日帰国者です。なんとか助けてもらえませんか?」と懇願された。
母親は日本人で関西の○○県の出身だという。
「私などに現実にできることは、ご家族に日本から荷物を送る手伝いぐらいです」と私。それでも彼は、家族との絆が復活できるかもしれないと喜んでくれた。
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北朝鮮からの脱出を手助けしてほしいとお願いされることが、この数年徐々に増えている。つまり、金正恩氏が執権してからのことである。今、北朝鮮社会を覆っているのは恐怖だ。隣国の民の心が、どんどん若い「指導者」から離れていっているのを実感する。