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マスコミの“この程度のセクハラに逐一対処・報道してたらキリがない”という現実 元新聞記者のMeToo

中野円佳東京大学特任助教
(写真はイメージです)(写真:アフロ)

私の#MeToo

記者時代、入社2年目の20代前半のころ、取材先に迫られたことが3回ある。いずれも別の相手で、それまで何度も会ったことのある既婚者。3回とも、深夜、酒が入っている状態で、カラオケボックスの一室、タクシーの中などの密室。何もなく帰ってきたが、呼ばれて本当に「話をするだけ」だと思ってビジネスホテルの部屋まで行ったこともある。

なぜそういう状況になったかと言えば、やはり記者として、相手から話が聞ける、そのときではなくとも、親しくなることでいずれネタにつながる話が聞けるのではと思ったからだ。その意味で記者である私の方にも打算があった。今思えば、若くて考えが甘かった。

勘違いさせてしまった自分が悪い

卑猥な発言を繰り返してこちらの反応を楽しむようなセクハラにもよく遭遇したが、上記の3回は牟田和恵さんが『部長、その恋愛はセクハラです!』に書いているような、疑似恋愛型だったかもしれない。頻繁に連絡をする、バレンタインにチョコレートを配るなど、こちらが相手に勘違いさせる状況を作り上げていた側面もあったと思う。

親しく飲み歩いているうちはこちらも楽しんでいた側面がゼロではなく、自責の念や反省もあった。担当記者というよりは自分で開拓した個人的な取材先であったこともあり、上司や同僚、相手が所属する組織に相談することもしなかった。

ただ、3回とも物理的に迫られたときに拒絶の意志を分かってもらうのには困難を極めた。それまで和やかに話をしていたわけだし、いきなり平手打ちする、突き飛ばすといった行動を大事な取材先の目上の男性に対して取っていいのかもわからなかった。なんとか拒んだり逃げ帰ったりし、相手もそれ以上を強いてくることはなかったが、それ以降は当然、疎遠になった。

予防線を張る、昼間に会う

1人の記者として話を聞きに行っている以上、まったく2人きりにならないようにするというのでは仕事にならない側面もある。3回の出来事が同時期に発生したので、それ以降はできるだけ会食するなら昼にする、常に相手の家族の話やこちらに彼氏がいるという話をするなど予防線を張るようにした。

個人的には、結婚してからのほうがずっと取材はしやすくなった。それまででも性的対象として見る人のほうが少数だったとは思うが、一人の人間として見てもらいたいときに「若い独身女性」というカテゴリはかえって邪魔だった。

この話を私は自著『上司の「いじり」が許せない』で社外からのセクハラ事例として書いているのだが、やはり、たったこれだけのことでも、公に出すのは勇気が必要だった。

メディアのダブルスタンダード

こうした被害に、女性記者(そして上記書籍では営業職の事例を掲載している)は多かれ少なかれ、常にさらされてきた。実際に、女性ゆえに距離を縮められるということもあるかもしれないが、かえってハラスメントに遭って取材がしにくくなることだってままある。

まじめに勉強して努力して取ってきたネタでも「取材先と寝たらしい」「あそこのトップの愛人らしい」などの噂がまことしやかに流されることも多い。にもかかわらず、メディア側には、「女性記者は女を使ってネタを取ってくればいい」といった暗黙の期待があることも否定できないと思う。

「シャツのボタンは1つ多く開けて」

2012年ごろ、プライベートな場で、自分は仕事で女性として見られたくないから「できるだけパンツスーツでどこでも寝られるようにして、男性に同化していた」というようなことを言ったとき、その場に居合わせた元アナウンサーの女性に一蹴された。

「テレビ局では、男性に取材しに行くときはシャツのボタンを1つ余計に外していけと言われるなんて当たり前のこと。実際にそのほうが男性は饒舌になるからいつもそうしてるし、何も悪いとは思わない。そんなことで話が聞けるなら安いもの」。

この方の発言が女子アナのスタンダードとは限らないが、もはやそれが内面化されている様子に返す言葉がなかった。ただ、私は私で当時、男性に同化する名誉男性的言動をしていて、それはそれで一種の「男性への媚び」であっただろう。

テレビ朝日はなぜ自社で対応できなかったのか

そうやって、マスコミはある意味で持ちつ持たれつのセクハラ構造を支えてきたから、テレビ朝日が当初自社の女性記者の相談に対して「報道しない」と決めたことも残念ながら、納得はいく。今日発売の週刊新潮で「なぜ自社で報道できないのか」が説明されているように、今後の取材への影響も確かに懸念される。

それに加え、そもそもセクハラ言動がマスコミ周辺ではおそらく日常茶飯事で、場合によっては社内の人が加害者になっているケースだって多々あるだろう。今回の件を取り上げるなり対処するなりしたら、他のセクハラをどう扱うのかという判断が迫られ、キリがなくなるという残念な現実もあったと思う。

だから、事務次官と刺し違えてでも、後輩のため、すべての女性のために被害を訴えようとした女性記者の覚悟を前に、「二次被害を懸念して対処しなかった」というのは後付けの勝手な擁護にしか感じられない。少なくとも担当を変えることはできたのではないかと思う。

それでもテレビ朝日はよくぞ会見した

ただ、とはいえ今回テレビ朝日が、全否定の次官の一問一答の辞任表明の数時間後に、会見で自社社員の被害を明らかにしたことは評価できると私は思う。自社が適切に対応しなかった責任を問われることを恐れてテレ朝がうやむやにしていたら、どうなっていたか。次官の謎の自信満々の否定を前に、誰かの陰謀なのかという疑念も浮上しかけていた。

もちろんテレ朝はテレ朝で、うやむやにしたということが後から分かったら報道機関として致命的であっただろうから、それで会見をすることになった可能性も高い。いずれにせよ、そのテレ朝を突き動かした当該女性記者には、様々なリスクを冒して本件を表沙汰にしてくれたことに敬意を表し、感謝したい。

結局テレビ朝日が1年半前に個別に彼女の担当を変えていたとしても、別の記者が被害に遭っていたか、男性記者に変わりハラッサー側は何の反省もお咎めもなかった可能性が高い。根本的な解決にはならなかっただろう。その意味で、ここまで国全体を巻き込んで問題提起がされたことは結果論として意義があったし、女性記者にとっての歴史的転換点になったのではないかと思う。

これを機に、取材の仕方を見直してほしい

マスコミには、これを機に「どんな取材を評価するか」「どんな記事に価値を置くか」も考え直してほしい。私自身、夜回りで家に上げていただき、奥様共々お世話になった取材先が何人かいる。夜回りは待ち時間が読めず相対的に効率が悪いので週5回朝回りをすることを自分にノルマにしていたこともあった。

でも、セキュリティの観点からもどんどん夜回り取材はしにくくなっているし、信頼関係を一度築けば携帯電話でやりとりをすることだってできる。とにかく飲みに行くことや朝回り夜回りの回数だけ求めるのはもはや時代遅れだろう。

数時間を争うコメントより、深掘り記事を

また、私個人はニュース部門から長文の記事を書く部署に移り、署名が出るようになってから、またその後フリーになってから、問題意識を伝えて取材を申し込み、過去の記事を送ることで「あの記事を書いた人ね」と認識してもらって取材がしやすくなった。

もちろん取材テーマやスピード感が違うという指摘はあるだろうが、このネット時代、その日に発表されるリリースを1日前に入手し数時間前に報じることよりも、発表後に背景を解き明かし、深い解説が書いてあるほうが読者にとっては価値ある記事となりつつある。

それを書くために、どんな取材が有効か、ハラスメントに耐えながら親しさを醸成する必要があるかどうか。週刊新潮によれば麻生財務相は「男の記者に替えればいい」といった発言をしていたというが、そういう問題ではない。女性記者個人の問題にせずに、マスコミの組織全体として見直してほしい。

東京大学特任助教

東京大学男女共同参画室特任助教。2007年東京大学教育学部卒、日本経済新聞社。14年、立命館大学大学院先端総合学術研究科で修士号取得、15年4月よりフリージャーナリスト。厚労省「働き方の未来2035懇談会」、経産省「競争戦略としてのダイバーシティ経営の在り方に関する検討会」「雇用関係によらない働き方に関する研究会」委員。著書に『「育休世代」のジレンマ~女性活用はなぜ失敗するのか?』『上司の「いじり」が許せない』『なぜ共働きも専業もしんどいのか~主婦がいないと回らない構造』。キッズラインを巡る報道でPEPジャーナリズム大賞2021特別賞。シンガポール5年滞在後帰国。

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