モハメド・アリの死を悼み、「恨みも憎しみも殺す理由もない」という生き方を選ぶ。
「私のヒーロー」だった父が晩年パーキンソン病と戦いこの世を去った。元気な時も、病気で苦しんでいた時も彼は「闘っている者の目」をしていた。そんな父も大ファンだった。モハメド・アリも父と同じパーキンソン病と戦い、74才の若さでこの世を去った。
「世界のヒーロー、モハメド・アリ」が他界した報道を聞き、多くの者が思い出に浸ったに違いない。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」などの名言を多く残し、有言実行の名ボクサーとして世界の人々を虜にした。リング上の戦いばかりがフォーカスされるが、彼の本当の戦いはリングの外にこそあった。
黒人であるが故の凄まじい差別との戦い。皮肉にも闘わねばならない相手は、彼が産み落とされた母国の中にあった。そんな彼にとって、徴兵され、米軍人として「ベトナム人を殺しに行って来い」と言われてもピンと来ない。「ベトコンはオレを“ニガー”と呼ばない。彼らには何の恨みも憎しみもない。殺す理由もない」と正論を口した。そして兵役を拒否した。彼が置かれた状況を客観的に捉え、想像力を働かせば、我々も彼の判断が正確であることが容易に理解できる。
彼は本当の敵を見抜き、戦うべきところで戦い、不毛な戦いを拒んだ。
アリは「黒人の徴兵率は30%。白人は10%。なぜだ?」とも問いかけた。戦争となれば恵まれない貧しい者から先に戦場に送り込まれる。母国で最も差別されている黒人が、国のために戦わされている矛盾に気づかせた。彼はここでも誰から見ても明解な正論を言い放った。
世界に愛されたヒーローの死に対しご冥福をお祈りしたい。出来ることなら、そこで止まることなく、ヒーローの思いを我々で分かち合い、引き継ぎたい。
私なども世界の多くの国に友人がいる。一教育者でもあるが、分け隔たりなく皆わが子のように可愛い国籍や宗教なども違う教え子に日々接している。
考えたくもないが、仮にいつの日か母国を守るために武器を持って「○○の人間と戦え」と言われても私は戦わない。「まっぴら御免」である。理由は簡単で「私は彼らに対して何の恨みも憎しみもなければ、殺す理由もない」からである。私は国のために友達や教え子と殺し合いたいとは思わない。
大学にいると、いろんな国籍や宗教などの学生が共に学び、共に遊んでいる姿は当り前の光景である。若者は、自分たちの大きな属性などを忘れ、人間同士として互いに向き合っている。そして「民際」交流の中で友情が生まれ育まれている。
モハメド・アリがリング内外で戦っている姿を客観的に見て、正当に評価できる私たちだが、意外と我が身となると客観的に見ることが出来ない。私たちは戦わなければならない敵を見間違ってはならない。私たちが戦うべき相手は、それぞれ自国の中に、そして個々の中にこそある。
「国」や「宗教」などの「大きな属性」に囚われ過ぎない「民際」感覚を育むことこそ平和を持続する最も有効なカギである。
戦いたくてムズムズしている者には、まずは相手の国や宗教の友人を作ることを進めたい。すると戦う意思が自然と薄らぐに違いない。もしも薄らがなければ友人の数が足りないということになろう。戦いたい気持ちが強い人ほど友人の数を増やす必要がある。
誰かに「戦え」と言われても「彼らに何の恨みも憎しみも、殺す理由もない」と民衆が互いに口に出来るところまで成長することが求められている。
改めてモハメド・アリ氏のご冥福をお祈りすると同時に氏の「平和への戦い」が民際によって世界中に広まることを祈願したい。