「派遣」をめぐる議論はなぜいつも下らないのか
労働者派遣法の改正案が国会で審議入りしたことで、派遣労働のあり方をめぐる議論が再燃しています。法案を提出した安倍政権は「身分の不安定な派遣社員の待遇改善や正社員化につながる」と力説しますが、野党は逆に「派遣を増やすだけだ」と反発しています。
とはいえ、この法案が世論を二分する論争になっているわけではありません。当の派遣社員も、「どうでもいい」「関心がない」と突き放しています。
この徒労感はどこから来るのでしょうか。それは政治家やメディアが、問題の本質から目を背けているからです。
「派遣」という働き方が悪いわけではありません。それが政治問題になるのは、日本の社会では派遣が「非正規」とされ、同じ仕事をしていても「正規」の社員と待遇が異なるからです。
ILO(国際労働機関)は同一労働同一賃金を基本的人権としており、「正規」「非正規」の区別は現代の身分制と見なされます。「日本は前近代的な差別社会だ」という批判を避けようと政府は四苦八苦しているのですが、この問題を解決するのはものすごく簡単です。非正規という身分を法で禁止し、すべての労働者を「正社員」にしてしまえばいいのです。
なぜこれができないかは、「A=BはB=Aに等しい」という単純な論理で説明できます。非正規と正社員の区別をなくすことは、「すべての正社員が非正規になる」ことでもあるからです。
しかし、これのどこがいけないのでしょうか?
日本では働き方をフルタイムとパートタイムに分け、フルタイムの労働者を会社の正式なメンバーとしています。しかし考えてみれば、労働時間の多寡で身分を決めるのも同一労働同一賃金の原則に反します。パートやアルバイトであっても、正社員と同じ仕事をしていれば平等に扱われるべきです。
こうしてオランダでは、1996年の「労働時間差別法」でフルタイムとパートタイムの区別をなくし、2000年の「労働時間調整法」で労働者に労働時間の短縮・延長を求める権利が認められました。
自己決定権を最大限尊重する社会では、出産や介護、学位の取得などの人生のステージに合わせ、「正社員」の身分のままパートタイムで働くことや、それが一段落したらフルタイムに戻ることを、会社ではなく労働者が決めます。これが労働制度の最先端だとすれば、派遣社員の待遇改善などどうでもいい話で、さっさと差別を撤廃すればいいのです。
しかしこうした世界標準の改革は、終身雇用・年功序列の日本型雇用の根幹を覆すので、経営側も労働組合も強く反対しています。民主党は同一労働同一賃金の法制化を主張しているようですが、政権党の時代は支持母体である連合の顔色を伺って放置していたのですから、「なにをいまさら」という感じです。野党になって実現可能性がなくなったから、また口にするようになったのでしょう。
「あらゆる差別に反対する」はずのリベラルなメディアも同罪で、「非正規は身分差別だ」と書くと「お前の会社にも派遣社員がいるじゃないか」と批判されるので、問題の所在を報じないようにしているのです。
こうして派遣をめぐる議論は、どんどん下らないものになっていくのです。
『週刊プレイボーイ』2014年11月17日発売号
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