初心を忘れず、初心に返ろう~この無罪判決が意味するもの
有罪率100%ーー国税当局の査察を受けて、検察に起訴されれば必ず有罪判決が下る。その”常識”が覆された。ストックオプション(自社株購入権)の行使で得られた所得を申告しなかったとして、所得税法違反に問われた外資系金融会社クレディ・スイス(CSG)の日本法人「クレディ・スイス証券」の元部長、八田隆さん(49)に対し、東京地裁(佐藤弘規裁判長)は3月1日、無罪の判決を言い渡したのだ。
争点は、八田さんに脱税の故意があったか否かの1点だった。八田さんは、国税当局の調査があった時から、未申告があったことは認めていたが、「ストックオプションの報酬は会社が源泉徴収していると思っていた」として故意を否定してきた。一方、検察側は、CSGの経理担当から送られたメールや社内の文書、八田さんと税理士のメールなど多数の状況証拠によって故意を立証しようとした。
検察側がもっとも頼みにしていたはずの証拠が、シンガポールにいるCSG経理担当の供述調書だった。彼女は、相談を受けていれば会社が源泉徴収をしていないことは「説明したはず」としているが、そもそも八田さんから相談を受けたかどうか「覚えていない」と述べていた。しかも、彼女は日本語が話せないのに、調書は日本語で書かれ、その真意を確かめようにも、証人として来日することを拒否したのだった。判決では、「説明したはず」というのも推測に留まるとして、これで八田さんの主張を否定することはできない、と述べた。
結局、検察側の主張はすべての論点にわたって、「被告人の供述を虚偽と断ずることはできない」「被告人が(申告時に)過少申告の認識を有していたと認めるには合理的疑いがある」「検察官の主張は証拠に基づいたものとは言えない」などと退けられた。
「初心」を語った裁判長
判決の言い渡し後、佐藤裁判長は「私の独り言ですが」と断って、八田さんに次のように語りかけた。
「今回のことで(長い)時間が過ぎ、大切なものをなくしてきたと思います。それを取り戻すのは難しいと思いますが、(そんな中でも)家族やいろんな人が残ってくれましたね。そういった人のために前を向いて、残りの人生を、一回しかない人生を、しっかり歩んで欲しいと思います」
八田さんが最終意見陳述の中で、自分の天職だと思っていた外資系証券マンとしての仕事を奪われた無念さを語っていたことへの、裁判長からの返事のように思えた。そしてさらに、佐藤裁判長はこう続けた。
「私も…私も初心を忘れずに歩んでいきます」
最後は、自身に言い聞かせるかのようでもあった。
判決後の記者会見で八田さんは、「検察官も国税の査察官も、司法試験に受かった時のこと、国税に入った時のことを思い出し、初心に返って欲しい」と述べた。
社員の3分の1が未申告
八田さんは、米国系証券会社で債券トレーダーを務めた後、2001年6月にCS証券に入社。同社の債券トレーディング部長兼外国債券部長を務め、07年4月に退職した。CS証券では、報酬のうち給与は現金で、賞与については現金と親会社の株式などを組み合わせて支払われていた。しかも、国内で支払われる給与は源泉徴収されていたが、海外で支払われる株式については源泉徴収がなされていなかった。この複雑な仕組みが、そもそもの元凶だった。
だからだろう、約300人のCS証券社員が海外の口座で受け取ったCSG株の所得を正しく申告していなかったとして国税当局の調査を受け、そのほとんどが追徴課税された。そのうち、約100人は全くの無申告。株式報酬も現金給与と同様に、すでに源泉徴収されていると思い込んでいたのだった。同社のコンプライアンス部長もその1人だった。そんな中で、八田さんだけが起訴された。それは、彼が会社都合で退職したために、将来に渡って付与されるはずだった株式を退職時に受け取ったこともあって、未申告額が最も多かったからだろう。結局、彼は06~07年の所得約3億4800万円を隠し、所得税約1億3200万円を脱税した罪に問われることになった。
それにしても、この起訴の経緯は異様だった。社員の大半が正確な申告をしておらず、しかも3分の1が未申告となれば、会社がストックオプションについては社員個人に申告義務があることを周知徹底させていなかったためだと考えるのが普通ではないか。にも関わらず、国税当局は八田さん1人を告発した。
検察改革はどこへ?
八田さんに対する調査が始まったのは、08年11月。翌月に査察部による強制調査が行われ、15か月をかけて100時間以上に及ぶ取り調べが行われた。カナダに移住していた八田氏は、呼び出されるたびに帰国して取り調べに応じた。しかし、国税の査察官は「我々の仕事はあなたを告発することだ」と言い放った。
告発されたのは、10年2月。ところが、告発を受けた東京地検特捜部で、事件はしばらく塩漬けにされた。八田さんに対する事情聴取が始まったのは11年9月だった。
この間に、大阪地検特捜部による郵便不正事件で逮捕・起訴されていた厚労省の村木厚子さんに対する無罪判決があり、同事件の主任検事らが証拠改ざんなどで逮捕される事件があった。厳しい批判が巻き起こる中、検察は組織を挙げての改革が求められた。11年3月31日に検察の在り方検討会議の提言が法務大臣に手渡され、7月には最高検が具体的な改革策を発表。その中で、特捜部に関しては、独自捜査より財政経済関係事件への対応に重点を置くこととなり、国税当局,証券取引等監視委員会,警察等の関係機関との連携を強め、組織内の編成も変えることとなった。八田さんに対する事情聴取は、そういう方向性が定まるのを待って始まったことになる。
ちなみに、同じ9月には、最高検が自ら基本姿勢を定めた「検察の理念」が発表されている。その前文には、こんな文言がある。
〈あたかも常に有罪そのものを目的とし,より重い処分の実現自体を成果とみなすかのごとき姿勢となってはならない。我々が目指すのは,事案の真相に見合った,国民の良識にかなう,相応の処分,相応の科刑の実現である。〉
〈無実の者を罰し,あるいは,真犯人を逃して処罰を免れさせることにならないよう,知力を尽くして,事案の真相解明に取り組む〉〈被疑者・被告人等の主張に耳を傾け,積極・消極を問わず十分な証拠の収集・把握に努め,冷静かつ多角的にその評価を行う。〉
しかし、実際にはどうだったのだろうか。
八田さんは、次のように検察を批判する。
「初めに結論ありきで、引き返そうとしない。何回も引き返すべきポイントがあったのに、ことごとくなぎ倒してきた」「検察の主張を裁判所は無批判に受け入れるという前提で行動しているとしか思えない。今日の判決は、そうではないんだ、という裁判所からの強いメッセージだと思う」
彼の話を聞いていると、検察の改革は、少なくとも特捜部のそれは、スタートと同時に、形ばかりのものになっていたのではないか、とさえ思う。検察の不祥事の最中、伊藤鉄男元次長検事が「引き返す勇気」の必要を語って職を辞したが、その”遺言”は全く生かされていないのではないか。
国税の強制調査が始まって4年2か月以上になる。告発された際、日本のメディアが英語でもニュースを発信し、決まりかけていた再就職もダメになった。結局、40歳代の後半という、まさに働き盛りの時期を、彼はこの事件の対応に費やすことになった。
「無罪判決にはホッとしたが、なんで無実の者が4年間も、こんな苦労をしなければならないのか、という思いも同時に湧いてきて、心境は複雑」と語った八田さん。
もうこれ以上、その苦労の期間を長引かせないために、検察は一刻も早く控訴を断念するべきだろう。それもできないなら、「検察の理念」などどこぞの山羊にでも食わせてしまえばよい。
今回の判決は、組織の論理ではなく、捜査や司法に関わる者たちが、真実に迫り、正義を実現したいという初心に返ろうと呼び掛けのように思える。検察は、それにどう応えるのか…。検察や国税だけではない。私たちジャーナリストに対しても、お前の初心は何なのかと問うているように思えて、聞いていてつい、居住まいを正したのだった。