Yahoo!ニュース

運命に導かれた井上尚弥とノニト・ドネアの歴史的な戦い【WBSSバンタム級決勝戦】

宮崎正博ボクシングライター/スポーツコラムニスト/編集者
26日、井上尚弥とノニト・ドネア戦は正式発表された(筆者撮影)

 プロボクシングのもっとも注目すべき戦いは、もう、すぐそこにある。WBSS(世界ボクシング・スーパーシリーズ)のバンタム級決勝、井上尚弥(大橋)対ノニト・ドネア(フィリピン)戦は11月7日、さいたまスーパーアリーナで行われることが、日本国内でも正式発表された。このスケジュールは8月上旬、WBSS本部からすでにリリースされていたのだが、いよいよ本格的にカウントダウンは始まることになる。

 世界中から脚光を浴びる日本の“快刀乱麻”が、伝説のスーパーボクサーを乗り越える。まさしく歴史的な戦いだ。なお、この試合には井上の持つWBA(世界ボクシング協会)とIBF(国際ボクシング連盟)と、ドネアが所持するWBAスーパーの王座統一戦になる。

 これからしばらく、この大一番を、さまざまに角度を変えながら、記事を連作していきたい。

神域に迫る井上、ドネアの戦い

 派手な舌戦はなかった。互いの言葉は、対戦相手への敬意に包まれる。現在の評価は、井上が圧倒的に上回るが、対戦するのは現役でありながら、すでに伝説となったドネアだ。3階級制覇の世界チャンピオンとしても、いまだ挑む立場であることに違いはない。一方のドネアは、ボクシング界では有数の紳士として知られる。この日も温厚で、機転の利いた語り口は、ジェントルマンのそれを一歩たりともはみ出すことはない。それでも両雄のしぐさ、言葉の端には、燃え立つ闘志がこぼれ出る。当然だ。3人の現役世界チャンピオンが出場した1年がかりのトーナメント戦の決勝戦。優勝者にはモハメド・アリ・トロフィーのほか、さらなるビッグマッチも約束されよう。ボクサーとしての将来全部をかけた戦いなのだ。

 それにしても、だ。井上、ドネアともども、まさしく神がかっている。と、そう書くといささかオーバーに聞こえるのだろうが、表層には見えない、何らかの力が働いてこその『今』をふたりに感じてしまうのは私だけではあるまい。ただ、その形は、まったく違う。井上にははるかな高みまで突っ走る才気そのものを。ドネアにはここまでの偉業と執念に、まるで報いたがるように、あふれんばかりの幸運を授けられた。

一心に追い続ける継続の力

 一撃で試合を決める豪打はもとより、スピードに乗り、多角的に展開されるコンビネーションパンチ、抜かりなく対戦者を追い詰めるステップワークに守りの強さ。さらに本人の表現をそのまま借り受けると、ここぞで見せる「行っちゃえ」と思いきれる決断力。

 バンタム級に挙げて1年とちょっと、1ラウンド、1ラウンド、2ラウンドと続けざまの早業で強敵を難なく倒してきた。早くも全階級最強を競うパウンドフォーパウンドでも、スーパーボクサーたちに追いついた。

 そうなれたのは、天賦の才能があったからこそである。そして、もうひとつ、もっと大事な資質を持って井上は生まれた。一切に疑うことなく、横道に目をやることもなく、まっすぐに努力する力である。さらに井上家、そして大橋ジムと引き継がれた豊かな環境を存分に養分にして、ジャックと豆の木状態のまま、果てない天空近くで大輪の花を咲かそうとしている。

 実の父である真吾トレーナーが少年時代から課した猛特訓の日々。井上が戦ったのはプロで18戦(全勝16KO)、アマチュアで81戦(75勝48KO・RSC6敗)。だが、スパーリングは少なくともその数十倍、数千のラウンドをこなしてきたはずだ。「基本的には、そのすべてに勝つつもりでやってきた」(真吾トレーナー)。リングで戦うということの、ありとあらゆるシチュエーションを肌身で覚え込み、すかさず対応する術を作り上げてきた。その結晶が今の井上の強さを形作る。ここで何をすればいいのか。突きつけられる要求に、常に最善の答えを出せるのも、圧倒的なスパーリング量から解いた答えがあるから。それだけの数をこなしただけではなく、きちんと分析し、ひとつひとつ、大事なエキスとして戦力に溶け込ませてきた。

ロドリゲス戦で証明された井上の戦力の奥行き

 そういう井上だから、これほどのことができる。これまでのどの試合も圧巻だったが、5月、IBFチャンピオンのエマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ)戦はなおさらだった。

 2ラウンド。井上は右から左とパンチを振り、そのままロドリゲスに体を預けた体勢になる。そこからロドリゲスの対応を横目に、正面へと向き直っていく。すでにプレッシャーにおののくプエルトリカンが右を打とうか打つまいか逡巡するところに、左一発で弾き飛ばした。

 あの左、多くのメディアはフックと伝えたが、正確にはそうではない。フックはひじをかぎ型に固めて振り抜くパンチ。井上のそれは肩からまっすぐ突き刺さされていた。強いジャブ、古い表現を使うなら、ジョルトブロー。まっすぐに拳を突き出し、強く相手を揺さぶるパンチ。距離と間合いと、対戦者の心理を読んだ、見事な選択だった。

 次はもっとわかりやすい。今度はそのまんまの左フック。相手がもうろうとしつつも警戒してガードで固めた顔面でなく、一転、ボディをえぐった。ライバルの思考回路の外に外にと、発想を広げているから、よけいに効果的だった。

 これだけ複層的な戦闘思想が、井上のパフォーマンスには、ごくごく平然と隠される。この男を日本ボクシング界が生んだ奇跡と言い切ってもかまわない。

ファンを戦慄させたドネア全盛期の強さ

 ドネアのキャリアははっきりと終盤戦を迎えていた。だが、ここにきての快進撃。最初は疑った。「これは神様のいたずらなのか」。仕方ない。一度はボクサーとして見限られた時期もあったのだ。

 若いころ、肉体面の能力自体は、あるいは井上以上だったかもしれない。“フィリピンの閃光”の異名のとおり、圧巻のスピードと、一瞬のチャンスを逃さぬカウンターの鋭さ。マニー・パッキャオに次ぐアジアのヒーローとして、目覚ましく脚光浴びた。

 2011年、WBC・WBO世界バンタム級チャンピオン、フェルナンド・モンティエル(メキシコ)をノックアウトしたシーンはことさらに衝撃的だった。前年、日本で名サウスポー、長谷川穂積(真正)を一瞬の強打でストップして意気上がるメキシカンに、ひとつ間合いを後ろにずらして打ち込んだ左フック。モンティエルは四肢をけいれんさせて倒れこんだ。

 だが、やがてドネアのリング生活は、傷だらけになっていく。さらなる栄光をとスーパーバンタム級、フェザー級とウェイトを上げていくが、少しずつ鋭さを失っていった。わずか1キロでも微妙なハンデを背負うのがボクシングという競技だ。ましてドネアは三十路の坂を上り始めていた。

 史上でも屈指のテクニシャン、ギジェルモ・リゴンドー(キューバ)に手もなくひねられる。さらに3つの黒星を追加された。もう、以前のような鋭敏なドネアはそこにはいなかった。

泥臭い連勝でドネアは這い上がる

 昨年、35歳になっていたドネアは、突如、WBSSのバンタム級トーナメントに参戦を表明して、世界のファンを驚かせた。

 年齢が年齢だ。評価も全盛期の半分以下にもなっている。さらにバンタム級リミット、53.5キロで戦うのは7年ぶりとなる。あまりに無謀な冒険。だれもがそう思った。

 トーナメント初戦は、第1シードにエントリーされた優勝候補の一角、WBA世界スーパーチャンピオン、ライアン・バーネット(イギリス)から指名を受けた。ハイセンスを謳われながら、やや停滞気味だったバーネットの、トライアルホースという見方がほとんどだった。

 案の定、試合では懸命に攻めたものの、バーネットの速いテンポと、微妙に作る間合いを崩せない。だが。一方的な展開の予感が現実に変わろうとした4ラウンド、そのバーネットが背中をグラブで押さえて倒れこむ。持病の腰痛を発症したのだ。このラウンド終了とともに、イギリスのホープは棄権してしまう。

「どんな形でも勝ちは勝ちだ」。ドネア自身が認めるラッキーな勝利だった。

 準決勝も予想は圧倒的に不利だった。対戦するのはWBOチャンピオン、ゾラニ・テテ(南アフリカ)。11秒KOの世界タイトルマッチ史上最短記録を作った痩身長躯のサウスポーである。ドネアはテテの長いリーチに突き放され、強打のかっこうのターゲットになってしまう。だれもそう思い込んでいた。

 だが、またしても奇跡が起こる。試合直前、テテが肩を痛めて棄権してしまう。前座に出場予定だったステファン・ヤング(アメリカ)が急きょ、リザーバーとして登場する。明らかに力不足の相手を、ドネアは強烈な左フックで眠らせた。

 天上の誰かが、金の花びらをばらまいたのか。だが、幸運も2度も続けば、ただの偶然とは言えない。ドネアは何かのプラスアルファを懐に、井上との対戦に駒を進めてきたと考えるしかない。

井上時代はドネアを破ってホンモノになる

 ドネアは何かに導かれてきたように決勝にたどり着いた。井上にはそれも喜ばしい前兆かもしれない。対戦するのは10年近くも軽量級にエポックを作った英雄である。

 戦いとしてはバーネットやテテと戦ったほうがおもしろかった。しかし、知名度は断然、ドネアが上回る。時代の主役を、新しい世代が、鮮烈に打ち破ってこそ、新しい景色はより色彩豊かになる。だから、ドネアが決勝進出したことも、井上のために用意された運命かもしれない。

 何よりも、まだ十代だったころ、ドネアは自らのヒーローだったわけだ。そのボクシングを「真似たことはあったかもしれませんが、今は自分のボクシングの中に完全に取り込んで、もう自分の戦力になっています」

 過去は過去。敬意をもって、大先輩を見つめるが、リングに入れば破壊するただひとつの対象になる。あらゆる恩讐を乗り越えて打ちのめす。それが、ボクシングの美学である。

 大方の見方は、当然のように凄惨なエンディングを予告する声も多い。ただし、ドネアも豪快KOを生み出す一点集中のウィニングショットがある。

 ボクシングほど番狂わせの少ないスポーツはない。けれど、もし、番狂わせとなったら、それがとんでもなく悲惨な形になる。

ボクシングライター/スポーツコラムニスト/編集者

山口県出身。少年期からの熱烈なボクシングファン。日本エディタースクールに学んだ後、1984年にベースボール・マガジン社入社、待望のボクシング・マガジン編集部に配属される。1996年にフリーに転じ、ボクシングはもとより、バドミントン、ボウリング、アイスホッケー、柔道などで人物中心の連載を持ったほか、野球、サッカー、格闘技、夏冬のオリンピック競技とさまざまスポーツ・ジャンルで取材、執筆。2005年、嘱託としてボクシング・マガジンに復帰。編集長を経て17年、再びフリーに。

宮崎正博の最近の記事