25歳で急死、“伝説の漫才コンビ”がよみがえる!
「あの映画、観た?」
この言葉が、関西を中心に芸人の合言葉のようになっている。
「雨上がり決死隊」、なるみらと大阪NSC7期生の同期で、関西で絶大な人気を誇っていた漫才コンビ「ベイブルース」を題材にした映画「ベイブルース~25歳と364日~」が先ごろ行われた京都国際映画祭で特別上映された。
気づいて2週間で帰らぬ人に
「ベイブルース」は「雨上がり…」「千原兄弟」「ナインティナイン」らに先駆け、関西では天下をとったと言われ、全国進出を視野に入れていた1994年、ボケ担当の河本栄得さんが劇症肝炎のため、25歳で急死。体調不良を訴えてから、わずか2週間のことだった。
残されたツッコミの高山トモヒロはピン芸人を経て、2001年から和泉修と新コンビ「ケツカッチン」を結成し、今に至る。“たられば”の話となるが「河本さんが生きていたら、今のお笑い界の様相はガラッと様変わりしていたはず」と考える業界関係者は今でも多い。
今作の監督は高山で、一般公開は河本さんの20回目の命日となる10月31日。京都に先駆けて、今年3月に行われた沖縄国際映画祭でお披露目されて以来、「雨上がり…」の宮迫博之や高山と親交の深い音楽プロデューサー・つんく♂らがツイッターなどで映画の情報を発信。当時の「ベイブルース」人気を知らない若者や関西以外のファンの間でも話題になりつつある。
自力で書き上げた
原作は2009年に出版された高山の同名小説。実は、筆者は小説の企画段階から相談を受けていた。
「『ベイブルース』の小説を書こうと思ってるねん。今さらやけど、河本のお母さんに『あなたはこんなに立派な息子を産んだんですよ』というのが言いたいと思って…。それをやるなら本という形やと思うんやけど、どう思う?」
「そもそも、文章って、どうやって書いたらエエんやろ?」
「こんなんって、書いてから出版社に持って行ったらいいんかな?それとも、書く前に相談した方がいいんかな?」
僭越(せんえつ)ながら、記者としての経験とツテを伝え、毎週のように進捗(しんちょく)状況を聞きながら、小説の完成を見守ってきた。
くしくも、今年は“ゴーストライター”という言葉がことさら注目されるようになったが、高山の小説は完全に自力で書き上げたもの。自身の携帯電話を使って、仕事の合間に少しずつ少しずつ文字を打ち、ある程度まとまったところで編集者にメール送信。薄皮を一枚一枚貼っていくような作業を続けて、小説を書き上げた。
自らの身に起こった実話を映像化するだけに、話のウラのウラまで分かっているという強みもあるが、それと同時に当事者ならではの苦悩もあった。
現場の雑用でいいから!
同期の中でも特に絆の強い宮迫には、あえて映画の話をせずに撮影をスタートさせた。人気者の宮迫だけに、出演すれば話題になる。本人も、どんなに忙しくてもスケジュールの合間を縫って、駆けつけてくれる。それが分かっているからこそ、宮迫の負担にならないようにと撮影のことを伝えることなく段取りを進めていった。
そんな中、高山の携帯に着信があった。怒りをむき出しにした宮迫からだった。
「おい、タカ!!なんで映画のこと言わへんかってん!!気を遣ったんか!?『ベイブルース』の映画を作るのに、俺が関わらんなんてありえへん。出るのが今からは無理やったら、現場の雑用でも、台本の誤字チェックでも、なんでもエエから俺にやらせてくれ!!」とあふれる思いをぶちまけられた。
結果、原作にはない、河本さんらが住むアパートの大家役を急きょ作り、それを宮迫が演じることになった。
“全国制覇”の夢をかなえたい
また、「ベイブルース」役を演じる俳優・趙たみ(王へんに民)和(河本役)と波岡一喜(高山役)が劇中で披露する漫才のネタは、実際に賞レースなどで「ベイブルース」が使っていたホンモノのネタ。
そのため、当時を知る芸人仲間が「ホンマに、こんなネタやった…。あまりにも『ベイブルース』そのままで、切なくなった」と爆笑を生むはずのネタのシーンで、号泣するという現象も起こっている。
「『ベイブルース』では全国制覇できませんでしたけど、この映画で全国制覇をして、河本の夢をかなえてあげたい」。
仲間からの思いが大きなうねりとなり、高山の願いが成就する日が来るのはそう遠くはなさそうだ。