国民防衛隊率いる88世代 ミャンマーの展望語る
ミャンマー国軍は世界中が新型コロナ禍で身動き取れないなか、民主政府2期目の国会初日だった2月1日にクーデターを起こし、今のところ全権を掌握し続けている。凶器など持たないデモ隊に実弾を発砲したり、令状なしに民家に押し入って市民をなぶり殺しにしたり、2月中旬以降これまでに700人以上の市民が軍に殺害されている。直近の6月22日には中部マンダレーの市街地に軍が戦車を投入し、民主派にまた多くの死者が出るのではと危惧される。
この国がビルマと呼ばれていた1988年、全国民が蜂起する民主化運動が起こり、91年の総選挙では民主派が大勝した。だが、当時も3千人以上の無辜の市民が犠牲になり、総選挙は反故に。軍は常に武力を使って権力を維持してきた。88年の民主化運動の最中、数千人の学生たちを率いてタイ国境のジャングルに立てこもり、軍政と対峙した全ビルマ学生民主戦線(ABSDF)の初代議長が、いま東京に暮らしている。トオンジョー、今年68歳になる。
軍政に追い詰められた彼は92年にアメリカへ亡命。ラングーンにいた妻子を呼び寄せ、生活のために寿司店を経営し、コーネル大学のアジア研究で修士号も取った。アメリカ国籍を取って自由に移動できるようになり、6年前からは祖国ミャンマーに比較的近く、治安がよい日本を拠点に活動している。
2011年の民政移管後、曲りなりにも約10年続いた民主主義だったが、今回の軍事クーデター。子や孫の世代が同じ轍を踏まないよう、トオンジョーはすぐにでも国境地帯へ飛んで行って、知見を伝えたいと思っている。だが、新型コロナの世界的蔓延による入国制限や高騰する航空券が障壁となり、日本でのワクチン接種を待ちながら、国会議員や少数民族と日々ネット会議を開いている。
その間、ミャンマー国内では、国連安保理の議長声明や欧米の経済制裁もあり、4月のASEAN首脳会議後は1日に何十人が殺されるという虐殺は、マンダレーで市街戦が起こった6月22日までは止んでいた。軍の収益となる仕事を辞めて不服従運動を続け、静かに散発的な抗議デモを行っている市民は、日々の暮らしに困窮。一方で、1948年の独立以来、軍政に反抗してきた少数民族との間での戦闘が激化し、マグウェ地方のキンマ村では今月、軍が村ごと焼き尽くすという凶行に及んでいる。
昨年11月の総選挙で、改選476議席の8割、396議席を獲得した国民民主連盟(NLD)の国会議員たちは、4月中旬に軍事政権に対抗すべく国民統一政府を樹立。武装する兵士や警察官を使う軍政に対抗し、自軍たる国民防衛隊を創設。トオンジョーに防衛隊議長を任じた。友だちや家族を殺された若者たちはすでに少数民族が治める地域で軍事訓練を受け始めていて、防衛隊創設を待ち望んでいた。
国民が選んだ国民統一政府だが、外国の政府や企業・団体、市民のほとんどは未だ承認していないか、その存在を知らない。経済制裁と人道援助だけでは、これまで同様に軍が武力支配を続けるだろう。民主主義の国はどこも火に油を注ぐことになると、国民統一政府への軍事支援には消極的だ。確かに、戦争を起こさないことが最優先である。だが、トオンジョーは「ミャンマーは1948年の独立以来、内戦が止むことなく続いていて、その戦争を終わらせ、平和を維持するために民主政府にも自軍が必要だ」と説く。
土地など国有財産を私物化して外資を誘致し、私腹を肥やしてきた軍幹部たちは簡単には投降しない。兵士や警察官の一部は、自国民に銃口を向けることに耐えかねて隣国などへ避難したが、大半は未だ軍政の配下にいる。彼らは軍に仕えている方がより多くの収入を得られることもあるが、ひとたび軍に入ると休暇中も行動を制限され、給料の一部を強制的に軍の公社へ投資させられている。退役は脱走とみなされ、退職金おろか、命さえ取られ、恩給も出ない。
軍事訓練を受けた市民の前職は様々で、年齢は15歳から40歳。全国各地の少数民族武装勢力で訓練を受けた市民は数千人に上り、今も増え続けている。訓練後はそれぞれの居住地に戻って、武力に屈せず軍政を倒す“Dデー”を密に待っている。だが、少数民族が持つ武器だけでは足らず、弾薬もすぐに底をつくことが明白だ。一方、タイなどの武器のブラックマーケットでは、小銃や手りゅう弾が平時の5倍以上に値上がりしているという。
トオンジョーは日本でワクチン接種を済ませしだい現地へ赴き、33年ぶりに防衛隊強化と少数民族との連帯に取り組むという。彼を追っての現地取材を待つなか、取り急ぎ東京都東久留米市で聞いた話とインターネットを介して届いた最新の映像や写真でビデオリポートを制作した。