台風翌日の大混乱を引き起こした犯人 多少の不便が受け入れられる危機に強い社会へ
台風24号が列島を縦断した翌朝の10月1日、JRをはじめ各交通機関が大幅に乱れ、駅には人があふれかえった。その問題と、前日にJR東日本が行った一斉運休が同一線上で語られていることにはいささか違和感を覚えるが、そのことは後ほど触れるとして、まずは、記録的な暴風が吹き荒れてから、わずか数時間しかたっていない状況の中にもかかわらず、多くの人が平時通りの交通機関の運行を期待して定時出勤しようとした、その行動と危機管理について考察してみたい。
台風に限らず、事故や災害が起きた後に、それに伴う別の災害(二次災害)によって被害が拡大することは少なくない。台風なら、送電線などの被災により大規模な停電が起こり得る。木の枝や看板が吹き倒され、交通事故などが起きる可能性もある。地震が起きれば繰り返し余震が発生するし、土砂崩れやため池の決壊が起きる危険もある。北海道胆振地震のように、ブラックアウトが容易に起き得ることも学んだ。
L(命を守る)→I(被害拡大の防止)→P(生活・財産の保護)
それゆえ、大きな事故や災害が起きた後には、まずは自身の安全を確保した上で、周辺状況を確認し、いかに二次災害に巻き込まれないようにするかを一人ひとりが考え、行動することが極めて重要になる。
このブログでも、何度か紹介してきたことだが、アメリカの消防では、緊急事態における行動の優先順を「LIP」という言葉で教えるという。LIPはLife Safety:生命の安全、Incident Stabilization:災害の安定化(被害拡大の防止)、Property Conservation:財産の保護、の頭文字をとったものだ。緊急時に、生命の安全を優先するのは当然だが、命が守れたら、それ以上、被害に巻き込まれないように事故現場を安定化させ、その上で、初めて財産の保護を行う。この優先順位が守られなければ、消防士自らが命を落とすことになりかねないため、くどいほどにこの基本を徹底させているのだろう。
しかし、これは消防に限った話ではなく、すべての人に共通する危機管理の鉄則と言ってもいい。災害時には、一時的に身構えても、一旦危機が過ぎされば、安全かどうかも確認せずに、すぐに普通通りの生活を始めようとする。「台風24号はそれほど大きな被害が無かったから当然だ」と言われるかもしれないが、冒頭に書いたように、一時的に災害そのものが大きな被害をもたらさなくても、その後に事態が一変することを我々はここ数年で何度も目の当たりにしている。今回の混雑も、一歩間違えば雑踏事故など新たな災害を引き起こしたかもしれない。2001年に起きた明石市花火大会歩道橋事故では雑踏により11人もの人が亡くなっている。かなり昔だが、1934年には京都駅で77人が死亡するという雑踏事故も起きている。
もちろん、起こり得ることすべてを想定することはできない。だからこそ、地震や台風の後は、すぐに油断せず、しばらくの間は、何かが起きるかもしれないと神経を尖らせることが必要になる。さらに言えば、自分が大丈夫でも、災害後の混乱により、大きな影響を受ける人たちがいることも忘れてはいけない。今回の交通機関の大混乱により、目の不自由な方や車イスに乗った身体障害者の方々は、どれほどつらい想いをしたことだろうか――。駅は人であふれかえり、目の見えない方は杖もつけないで人込みに押され、車イスの方は、自分でも行けない方向に押し流され、いつまでも電車に乗れない状況に陥った。一般の健常者にとっては、大した影響がない災害でも、致命的な影響を受ける人々がいることをしっかり頭の中に入れておくべきだ。
もっとも、運休開始の段階で「始発から平常運転を予定」と発表したJR東日にも問題はあった。その発言を信じて、翌朝、電車の運行状況も確認せずに、平常通り、通勤や通学を試みた人もいたのかもしれない。本当に危険を正しく認識していたなら、「翌朝は、台風の被害がなければ始発から平常運転ができるように最大限努力します」ぐらいの内容にすべきだった。
ただし、計画運休をしていようが、していまいが、深夜に暴風が襲ったことで早朝に平常運転ができなかったことに変わりはなく、前日にこうした発表をしなかったとしても、おそらく結果的に同じ程度の混雑は起きていたはずだ。
10月1日の早朝に各線の運行状況を調べれば、朝から交通機関が乱れていることは一目瞭然だった。そのことまで調べ、定時出勤をしようとしたのか。台風24号は、都内でも「最大級の暴風」になると前々日から言われていたが、「東京は台風には強い」という根拠なき過信が、危機モードを一気に解除させ、LIPの「I」をすっ飛ばす原因になったのではないか。
実は最も大きな会社の責任
大混乱を引き起こした原因は一般の会社にもある。災害時の出社ルールを決めていなかったり、事前に何の指示もしておらず、台風や大雨でも平常通りに出社することを安易に期待していたような会社だ。働き方改革によって「働き過ぎ」は改善されたかもしれないが、残念ながら、「柔軟な働き方」はまだまだ実現できているとは言えない。
6月18日の大阪北部地震では、地震後に、すべての鉄道が止まる中、主要なターミナル駅が通勤難民であふれかえり、多くの社員がそんな状況でも会社に行こうと急いだ。しかし、会社にたどりついても、市内全体の交通機関が麻痺し、取引先も災害対応で忙しく、やれることも少なく、会社が早期帰宅を呼び掛けると、今度は帰宅困難者が道にあふれかえった。「あれなら出社しない方がよかった」と感じた人も多いことだろう。その同じ教訓が、わずか数カ月しか経っていないのに、他山の石として生かされていない。
今からでも企業は、災害時、あるいは災害による影響が想定されるときに社員は出社する必要があるのか、ないのか。あるとすれば、どのような人を対象にするのか、対策本部要員、事業継続業務要因、一般社員、それぞれについて何時間以内に会社に来てほしいのか、逆に、どのような状態なら会社に来る必要はなく、その場合は特別休暇扱いになるのかなど、出社帰宅の明確な判断基準を決めておく必要がある。
必要な事業以外は止められるBCPを
災害などの不測の事態でも、会社にとって主要な事業を継続、あるいは必要な時間内に再開させるための計画をBCP(Business Continuity Plan)と呼ぶが、何の根拠もなく普段通りに事業を継続させようとすることとはまったく異なる。BCPは、自社の経営状況と、社会的な立場、市場における存在、法規制などを総合的に分析した上で、会社にとって絶対に継続すべき事業を優先的に復旧させるための計画である。逆に言えば、その重要な事業以外、あるいは重要な事業でも経営に影響を及ぼさない事業範囲においては、被害を防ぐために、あえて止めてしまうという経営判断があってもいい。重要なのは、止める判断基準と従業員個々への周知だ。
北海道胆振地震におけるセイコーマートのBCPは見事だったが、あらゆる業種で顧客の要望に100%応じることが正しい判断とは限らない。
熊本地震では、熊本市内のある工務店が、地震直後から屋根にブルーシートをかけてほしいという顧客からの電話が殺到する中、社長が全社員に対して、余震が続くうちは屋根に上るなという指示を出した。同社のBCPでは、被災した顧客の家にブルーシートをかけることが優先業務と決めていたが、それよりも社員が万が一にも被災することがあってはいけないと考え、顧客からの電話には、社長自らが率先して対応し「余震が落ち着いて、安全が確保でき次第対応しますので、余震が続いているうちは作業ができないことにご理解ください」と説明にあたった。作業できない間も、顧客とは連絡を取り合い、作業を効率化させるよう被災状況をランク別に整理し、作業予定表に落とし込み、結果的には早期に顧客物件の修理を進めた。社会的責任とは、顧客の要望に応えることだけではない。まず社員の安全、生活を守ることが大前提としてなければ、どんな立派なBCPも絵に描いた餅になる。
LIPの話をおさらいすると、L(命を守る)ために必要なのはその場での「判断力」である。どこで、どういう姿勢をとるのが安全なのか、その判断を早く的確に行うということ。次のI(被害拡大の防止)に必要なのは「情報力」。周辺でどういうことが起きているのかを把握する必要がある。その際、自分だけではなく、職場や周辺にまで目を配り、情報弱者にもしっかり状況を伝える配慮が欲しいことは既に述べ通りだ。
そしてP(生活・財産の保護)には、BCPで説明した通り「優先順位を考える力」が必要になる。緊急時にはすべての生活・財産を同時に守ることは難しい。最低限守らなくてはいけないものが何なのか、その優先順位を考えておく必要がある。
今回の台風で言えば、10月1日の朝に、どうしても定時通り出社する必要があった人は実際何割ほどいたのだろうか?
個々が判断して行動することができるゆとりある社会
災害の影響が懸念されるような状況においては、その危機的な状況を社会全体が正しく理解する必要がある。しかし、そんな状況でも各種サービスに対する社会的な期待が平時と同じくらい高いということは、災害大国にいながら、いささか平和ボケしているような感覚を覚える。
アメリカでは、ハリケーンなどで大きな被害が予想されると、知事からの要請などに基づき大統領宣言がされ、連邦政府主導での災害対応が始動される。業種によっては事業活動なども規制されることもある。危機意識が高かろうが低かろうが、必要に応じて行動を規制する権限までを大統領が持っている。一方、日本の災害対策基本法では、被害が出る前に政府が非常災害対策本部、あるいは緊急対策本部を立ち上げて、政府主導で災害対応にあたるということは現状では難しい。基本は自治体対応で、自治体の手に負えない広域的な災害になると非常災害対策本部が設置される。それは日本の防災の欠点なのかもしれないが、逆の見方をすれば、政府の指揮調整が悪くても(例えばアメリカでも2005年のハリケーンカトリーナの対応では政府の対応が遅れたことで大きな被害が出たと言われている)、個々が自律的に災害に立ち向かえる防災システムともいえる。
その意味では、発表の仕方に問題があったにせよ、今回、JR東日本が自発的に一斉運休を実施したことの意義は大きい。
災害時でも、顧客からの期待にすべて100%で答えようとしてきた従前のピンと張りつめた社会を見直す1つのきっかけになるかもしれない。常に100%のサービス、100%の満足を求めるのではなく、危機に晒されているときぐらいは、多少の不便は受け入れられるゆとりがあってもいいのではないか。それは、東日本大震災でも言われてきたことだ。
「頑張りすぎる社会から、ゆとりある社会へ」その転換が、今後徐々に広がることを期待したい。