樋口尚文の千夜千本 第99夜「ビジランテ」(入江悠監督)
荒涼たる人と風景があぶり出すニッポンの邪悪
ド素人の論者や素朴なお客さんは、映画監督とは全能のポジションであって、ちょっとでもNGカットを撮ろうものなら目くじらを立てるが、それは大いなる認識不足であって、映画監督はさまざまな制約と限界にまみれながら本数を重ね、たまさか自らの意図に味方する偶然の到来を祈って待つしかないのだ。
したがって、たとえその過程が玉石混交でも、目利きならその監督の資質を「いつか何かやらかしてくれるだろう」と応援すべきなのである。そんな意味では、『劇場版神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』から『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』あたりで絶好調ぶりを見せた入江悠が、その後『日々ロック』『ジョーカー・ゲーム』『太陽』など多彩な作品に取り組んでみせたのは好ましいのだが、『ロードサイドの逃亡者』の素晴らしさに比すと、以後の作品は(それぞれ一定のクオリティではあれど)どうにも入江悠の才能の無駄遣いという感じは否めなかった。
そして『ロードサイドの逃亡者』から早くも6年、そろそろさすがにというタイミングで、入江悠がホームの深谷で自らの脚本を映画化した『ビジランテ』が生み落とされた。観た後の一声は「こんな入江悠を待っていた」。大森南朋、鈴木浩介、桐谷健太の入江流”カラマーゾフの兄弟”が深谷の殺伐とした風景のなかで利権がらみの陰謀に巻き込まれてゆく。この三人三様の兄弟のキャラクター設定と、それを肉付けしてみせる俳優たちの演技がとても鮮やかだった。
特に、対照的な性格ながらおのれに忠実であろうとする大森、桐谷に対して、保身に汲々として欺瞞と狼狽に縛られている鈴木浩介の演技は特筆ものだった。さらにその妻に扮した篠田麻里子も出色で、夫を出世させ自分の虚栄を満たすためにはなんでもやるという邪悪さがよく出ていて、この二人をめぐる言わず語らずの処理については本作で最も入江演出のうまさを感じたところだ(逆に惜しかったのは、こういう巧さの一方で後半の桐谷健太をめぐる制裁の場面は思わず目をそむける残虐さで、それもわざと過度にやっているのはわかるのだが、こういうのは全く芸を感じないので勿体ない)。
それにしても、この〈体制と個〉の荒涼たる寓話を描くにあたって、寒々しい深谷の町はひとつの強烈な主人公であった。もちろん入江監督の旧作や鈴木卓爾監督の異色作『ジョギング渡り鳥』などでもこの町の陰鬱というより寂しく冷えた光景がものを言っていたが、『ビジランテ』は極めつきという感じである。たとえば往年の田中登監督の傑作『人妻集団暴行致死事件』なども開発されゆく古い町の猥雑さがきわめて印象的だったが、このうらぶれた町のモール開発をめぐる旧来の対立構図は、さらに地元と外国人労働者たちとの衝突という要素も加わり、いよいよアクチュアルで物騒な舞台背景を構成して魅力的である。