北朝鮮で数千人死傷の「毒ガス事故」…金正男氏事件で注目の化学兵器か
先月13日にマレーシアのクアラルンプールで起きた北朝鮮の金正男氏殺害事件。マレーシア警察は、遺体を検視した結果、殺害に使われたのは猛毒の神経作用剤VXだと発表した。
北朝鮮の軍事的脅威と言えば、核兵器や弾道ミサイルに注目が集まりがちだが、実は生物化学兵器の開発にも非常に力を入れている。
韓国統一省の資料によると、北朝鮮は新義州(シニジュ)、満浦(マンポ)、江界(カンゲ)、清津(チョンジン)、咸興(ハムン)、順川(スンチョン)など8ヶ所に生物化学兵器製造工場を持ち、黄海北道(ファンヘブクト)沙里院(サリウォン)など少なくとも7ヶ所に貯蔵施設があると推定されている。
生物兵器は、コレラ菌や炭疽菌など15種類の細菌類の生産が可能で、年間生産能力は4500トン、戦時には1万2000トンまで増産可能だという。また、昨年の韓国国防白書によると、北朝鮮は2500~5000トンの化学兵器を保有していると推定される。金正男氏殺害事件で使われたVXの出処はわかっていないが、北朝鮮はVXを145トン以上保有していると言われている。
故金日成主席は1961年12月、朝鮮人民軍党委員会全体会議で「人民軍隊を化学化し、化学戦の重要性を認識せよ」との指示を下した。これをきっかけに、北朝鮮は化学兵器の開発に取り組むようになった。その中心にいたのが京都大学出身の化学者、李升基(リ・スンギ)博士だということは北朝鮮でもよく知られているという。
(参考記事:北朝鮮の化学兵器の生みの親は、京大出身の化学者)
このような化学兵器開発の裏で、大惨事が起こっていた事実に、今また注目すべきかもしれない。北朝鮮はただでさえ、行政の怠慢などによる大規模事故が多い。
(参考記事:北朝鮮、橋崩壊で「500人死亡」現場の地獄絵図)
そのような出来事が、大量殺戮のために作られた化学兵器をめぐって発生したというのだから、被害の深刻さは想像するに余りある。
金日成主席が健在だった1989年のある日のことだ。平壌の北東にある、平安南道(ピョンアンナムド)順川(スンチョン)駅の操車場に貨物列車が停まっていた。その中に、液体の入ったタンクを積んだ列車もあった。
「あの中にはディーゼル油が入っているに違いない」
そう思ったある現地住民が、夜中に操車場に忍び込み、タンクの蓋を開けた。
翌朝、市内の空には黄色い雲のようなものが浮かんでいた。何気なくその下を通りかかった人が次から次へと倒れた。
当時、北朝鮮に住んでいて、事故の翌日に順川に入ったデイリーNKのチェ・ソンミン記者は、その惨状を目撃していた。順川市内の病院はもちろんのこと、隣の平城(ピョンソン)市の病院まで、足の踏み場もないほど患者で溢れかえった。中には平壌まで搬送された人もいた。
結局、数百人が死亡し、数千人が負傷した。当局はこの事故のことをひた隠しにした。タンクの中身や黄色い雲の正体は、今に至るまでわかっていない。
北韓戦略情報サービスセンターのイ・ユンゴル代表が2011年に韓国の週刊誌、時事ジャーナルに語ったところによると、市内の順川石灰窒素肥料工場の「日用職場」(軍需品生産部署)ではシアン化水素(青酸化合物)が製造されている。
これはナチス・ドイツがユダヤ人虐殺に使った猛毒の物質だ。しかし、密閉されていない空間ではすぐに飛散してしまう特性を持つため、順川の事故の原因は、別の物質だったとも考えられる。
(参考記事:死者数百人の事故が多発する北朝鮮の「阿鼻叫喚列車」)