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教員に「哲学」は必要ない、教科を教える「実技」さえあればいい、ということなのだろうか?

前屋毅フリージャーナリスト
(写真:イメージマート)

 教員採用試験で「教職専門」を廃止することに賛成する意向を、盛山正仁文科相が示している。8月2日の記者会見で文科相は、「試験、選考においてどのような内容のやり方をされるのかというのは、任命権者である各教育委員会の権限で判断されるものでございますので、今回のは、茨城県の教育委員会としてのご判断であると考えます」と述べた。茨城県教育委員会(茨城県教委)の施策を認める発言といえる。

|受験者を増やすために、「教職専門」を廃止

 茨城県教委の施策とは、2025年度以降に実施する教員採用試験(教採)において、第1次の筆記試験での「教職専門」を廃止することを決めたことだ。教員志望者の減少傾向に拍車がかかる状況で、受験者の負担を減らすことで教採受験者を増やすのが茨城県教委の狙いのようだ。

 教採の第1次試験は、「教職専門」と国語や英語など「専門教科・科目」のふたつで行われてきた。そのひとつが廃止されれば、たしかに受験者の負担は減るのかもしれない。

 しかし廃止される「教職専門」とは、教育原理(教育学)、教育心理(発達と学習)、教育法規、教育史という「教育についての教養」を問うものである。教職専門の分野を学ぶことで教員志望者は、教員としての知識を学び、そこから教員としてやっていくための心構え、いわば「哲学」であり、「教員の専門性」につながっていくものだ。対して「専門教科・科目」は「実技」である。

「教職専門」を廃止して「専門教科・科目」だけにするということは、「哲学なんぞいらない、教科を教えられる知識さえあればいい」ということにならないだろうか。教採に合格するために、教員志望者は「哲学」を軽視して「実技」ばかりを重視するようになる。「実技」だけが教員の「専門性」になりかねない。

 もっとも、「教職専門」を熱心に学んだからといって、教員志望者が「なぜ教員になりたいのか」とか「どんな教員を目指すのか」といった「哲学」を学んできたとはいえない。「教職専門」は、ただ試験のための知識になっているのかもしれない。もともと軽視されてきたのなら、「試験しても仕方ないだろう」となるのも納得できる。

 日本の教育界は「右にならえ」が体質なので、茨城県教委を見習って「教職専門」の廃止に踏み出す教育委員会が増えていくのは目に見えている。文科相も「賛成」しているのだから、なおさらだ。

 教採が、「哲学」が軽視され、「実技」だけが重視される傾向になっていく。それが、「哲学」が軽視されて「実技」だけが重視される学校につながっていく。そんな学校で働くことを、教員志望者たちは望んでいるのだろうか。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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