清純派アイドルから“再現ドラマの女王”へ!
普段、私たちがよく目にする再現ドラマ。その“再現ドラマの女王”と呼ばれているのが、芳野友美さんです。再現ドラマに出演するきっかけを聞くうちに、清純派アイドルで歌手デビューしたことが分かり、さらにそのプロデュースが、あの篠原ともえさんだったことも明らかに!聞けば聞くほど“味”が出てくる芳野さんから、いろんな話を聞かせてもらいました。
――今日はオーディション帰りということですが、どんなオーディションだったんですか。
ある演歌歌手の方のミュージックビデオでした。いつも心がけているのは、楽しむことなんですが、そういう意味では今回は自分の中では合格です。
オーディションは平均すると月に1回あるかないかですが、勝率でいうとほぼダメですね。
CMとか広告が多いのですが、商品のイメージとか左右されるじゃないですか。私はさわやかなタイプではないので、清涼飲料水とか絶対ダメですよね(苦笑)。「笑顔が似合わない」って言われるんですけど、自分でも苦手意識を持っているので。
「過去に何かあったの?」とかよく聞かれるんですけど、ぜんぜんそんなことはなくて。親からも本当に無愛想だと言われていましたし、愛嬌を振りまくのが苦手なのかな。
――今や“再現ドラマの女王”と言われていますが、ご自身ではどう思っていますか。
うれしいですが、自覚がないというか、逆に申し訳ない気持ちです。ただ、長く数多くやっているというだけなので、その称号にふさわしい活躍をもっとしなきゃなっていう、お尻をたたいてもらっている感じです。
再現ドラマに関しては、ほとんどオファーをいただいてやっています。普通のドラマは、プロフィールを出して、入れたり入れなかったり。お芝居ではオーディションを受けることはあまりないです。グラビアなどもやっているのですが、女優の仕事としては、再現7、その他が3くらいの割合。そもそも全体的に仕事が少ないんですよね…。
――芸能界に入ったきっかけは何ですか。
雑誌「JUNON」の女の子版オーディションです。当時高校生だったんですけど、受けてみてビックリ!かわいい子ばかりだし、「劇団に入ってます」っていう子とか、「特技を披露してください」と言われて「蝶々を捕まえます」ってひたすらいない蝶々を追いかけている子がいたりとか。私は何も特技がなくて、オーディション前に姉に相談したら、当時大人気だった篠原ともえさんのマネをして、「『篠原です。シノラーです』って言っときゃいいじゃん」って言われて。で、やったこともない中途半端なシノラーのモノマネをしたら、その場が凍りついちゃって。
合否は雑誌発表で投票になるからそこで確認するようにということでしたが、もう結果を気にもしていなくて。そしたら雑誌の発売日に学校で「見たよ」って言われて。しかも、“特技=篠原ともえのモノマネ”と書いてあって、友達にからかわれて。途中経過で30人に絞られた時に読者投票で1位になって、そしたら13もの事務所からオファーをいただき、何のご縁か、篠原ともえさんの事務所に入ることになったんです。
高校卒業後に地元の福岡から東京に出て、篠原さんのプロデュースで清純派アイドルで歌手デビューしました。「芳野」が「磯野」に似てるという理由で「芳野わかめ」という芸名です。私は女優になりたかったんですけどね(笑)。
篠原さんの全国学園祭ツアーにも一緒に行かせてもらって、ちょっとだけ歌わせてもらうとか、「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」(フジテレビ系)にも1回出させていただいて。大きな会場で歌ったら、緊張しすぎて「ヘタクソな歌を必死に歌っててかわいそう」ってなっちゃって、逆にファンを獲得したっていう…(苦笑)。
そんな中、同年代の松浦亜弥ちゃんとか鈴木亜美ちゃんとかが、1人でちゃんと上手に歌っていて、「私にこの力と器はない、無理だ」と。どれだけ自分が凡人なのかを思い知らされたっていうか。今考えると2、3年のことなんですけど、すごく長く感じたんです。結局、全く売れないまま、一度芸能界を離れて、普通の大学生、一般社会人を経験しました。
――そこからまた芸能界に戻ったのはなぜですか。
未練がすごかったんです。辞めた直後は大学の友達にも顔がスッキリしたと言われたので、自分の中でも重荷だったのかなと思っていたんですけど…何て言うんでしょう。鏡の中の自分が、もともと輝いているとか思ってないですよ!ないんですけど、どんどん普通になっていくというか、落ちぶれ感をすごく感じて焦った。それと、やっぱり“女優をやりたい”という思いがあったんです。
そんな思いを抱えながらも、就職活動に入ってみたら、周りは希望を持って保険とか銀行とか会社を絞っていくのに、私にはやりたいことが何もない。そういう時期に、久しぶりに会った友人の役者さんが、「プロダクションをやろうと思っているから、よかったらやってみない?」と誘ってくれて。このタイミングで話が来たということは、まだ私と芸能界は縁があるのかなと思って、戻ることに決めました。
仕送りをしてもらっていた両親からは「懲りたでしょ」と言われたんですが、「これからは自分でアルバイトをしてなんとかするから」と許してもらいました。でも、そこからが苦労の連続でした…。
――その苦労の連続を聞かせてもらっていいですか。
最初は女社長のところに入ったんですけど、それなりに頑張ったつもりですが、結局はその社長さんが辞めちゃって。その後、ちょっとたらい回しになり、カラーが全く違うところとか、3回変わって。で、結果、今の事務所には、演技のワークショップで一緒だった人に紹介してもらって、たどり着きました。
面接の時は、「うちの事務所はこんな感じです」と説明され、「入るか入らないか1週間以内に電話ください。うちは来るもの拒まず、去る者追わずなんで」って言われて。その2ヵ月くらい前はフリーでやっていたんですけど、全く仕事がなかったのでお世話になろうと。小さい事務所なので、今もテレビ局に自分で自分のプロフィールを持って営業に回ったりしていますが、私にとってはとってもいい事務所で、もう10年になります。
――再現ドラマとの出合いはいつですか。
今の事務所に入ってからなので、2007年ごろです。当時、事務所の先輩が「こたえてちょーだい!」(フジテレビ系)に出ていて、社長に「再現をやりたいなら営業するけど」って言われたんです。実は今の事務所に入る前は、正直、再現って嫌だったんです。安っぽいっていうか、王道で女優をやりたいみたいな偏見を持っていたんですよね。でも、事務所の先輩がやっているのを見て、お芝居もうまいし、ちゃんとプロで。今まで女優としての仕事が全くないわけだから、仕事を選んでいる場合じゃない、とりあえずやるだけやって、自分で判断しようって気持ちになって「ぜひやらせてもらいたい」と言いました。
いざ現場に行ったら、すごいツワモノの方がいっぱいいて。お芝居に慣れていて切り替えも早いし、スタッフさんもそうですけど、みんな時間のない中、テキパキしているし、手を抜いていない。ついていけないぐらいの目まぐるしい現場なのに、すごく優しく教えてくださったし、現場の居心地のよさもあって、楽しいし勉強になるなって。
1日にメインで何人も演じたり、時にはエキストラもやるんですけど、衣装も自前だから、スタイリスト、ヘアもメイクも小道具までもそのたびに自分で役によって変えなくちゃいけない。ため撮りなんですけど、小道具と衣装、髪型のつながりの管理も自分だし、余裕があればAD業務までお手伝い。本当に1人何役もこなすんです。
大変なのは、セレブ妻の役の時とかですね。高い服なんか持ってないから、高そうに見える服を選ぶ。だからコーディネート力も必要ですね。
台本も当日に渡されることが多くて、コピーしたてのあったかい台本をもらって、ロケ車の移動中にみんなで読んで覚えて。私が出ていたのは「わかってちょーだい!」(フジテレビ系)という番組だったんですけど、そこでかなり鍛えてもらいました。
――再現ドラマならではの難しさってありますか。
台本をもらってすぐ現場で演じなきゃいけないから、一番必要なのは瞬発力。実在するご本人がいるので、すぐにイメージして。「行列のできる法律相談所」(日本テレビ系)の場合は、スタジオでご本人が見ていたりするので、あまりにもかけ離れたキャラクターになってしまって、その方が不快にならないようにということは注意しています。あとは、演出とか編集でそれらしく作っていただけるから、うまくは近寄れるとは思うんですよね。
――1日に何役もやって、ズバリ!ギャラはどのくらいなんですか。
アハハハ。月3万から5万円ですね。うーん、低いですか?でも、もともと、それでやってきているからそんなに周りに驚かれるものではないと思っていたんですけど…やっぱりびっくりされますね。
でも、私はいただいている方だと思いますよ。再現の仕事は月2、3回なので。番組にもよるんですが、再現というのは、視聴者の方の混乱を避けるために、毎週は出してもらえないんです。再現の一番の目的って、その役者さんの演技を見せることじゃなくて、情報を分かりやすく伝えること。たとえば私がある時、姑をいじめているすごい嫌な嫁を演じていて、次の週には優しい子供思いのお母さんを演じたりすると、視聴者は混乱しちゃいますよね。だから同じ人がちょくちょく出るのはよくないとされていて、1回、役を忘れてもらう期間が必要なんです。
――そうなってくると、生活費はどうしているんですか。
アルバイトをして生活しています。仕事がない日はほぼ毎日、建設会社で請求書を出すなどの経理事務をやっています。もちろん一番の目標は、アルバイトを辞めて女優で食べていけることですよ。というのも、アルバイトで生活している以上、自分を“女優”とは言えないと思います。だから“女優”って堂々と言えるようになりたい。 1回、電車で男子高校生が「再現に出てる人だ」って言っているのが耳に入ってきたんですけど、それで終わったんですよね。声をかける価値もないんだなって思いました。たしかに、私だって再現に出ている人に声をかけないし、サインくださいとはならない。でも、それが刺激になりました。
お金持ちにならなくていいから、芸能の仕事だけでコンスタントに20万円くらいは稼ぎたいです。食事に行くのにも友達に気を遣われるんです。「きょうはこれぐらいかかっちゃうんだよね。大丈夫?」とか。申し訳ないので一緒に出かけられなくなりました。
両親はここまで来ると、逆に応援してくれていて。グラビアは大反対なんですけどね。お金の面も分かっているから、「大丈夫か?困ったらちゃんと言いなさいよ」と声をかけてくれます。だからって甘えたくはないですけど。
――結婚は考えていないんですか。
それが私、結婚願望が薄いんです。38歳になっちゃったから、「子供を産みたい」って焦るとかはないんです。仕事に情熱を注ぎすぎて、他に興味が持てないというか。
よくみんなに生活が厳しいんだから、お金持ちと結婚してから好きなようにやればいいのにと言われるんですけど、基本的にダメ人間なんで、養われるとぐうたら生活しちゃって、女優も趣味程度になっちゃう気がするんです。あとはやっぱり、どこかで自立したいという思いが強い。だから結婚するにしても、自分でお金を生み出せる状況じゃないと嫌なんです。そう考えると…今は無理ですよね。アハハハ。
――この先考える最高の自分を教えてください。
女優として上り詰めることですけど、ただ、もうこの年になると“夢”じゃなくて“目標”じゃないですか。だから主役になりたいとかではなく、名脇役、バイプレイヤーとして。お芝居って意外と中身が出るというか、見破られるから、味とか雰囲気とか、そういう存在感のある、視聴者の皆さんに「なんかこの人がいると落ち着く」とか言われる女優になりたいです。主役ですか? 私には無理です。アハハハ。
(撮影:長谷川まさ子)
【インタビュー後記】
芳野さんに初めてお会いしたのは、AbemaTVの番組収録。第一印象は、“目力が強く手足が長く細い人”だったが、その収録で苦労話を聞くうちにもっと話を聞きたいと思い、現場でインタビューのお願いをしてみた。すると食い気味に「ぜひ、お願いします」とお返事をいただき、すぐにカバンから連絡先の書かれたプロフィールが出てきた。“再現の女王”…“女王”なのに、収録後はプロフィールを持って、1人でテレビ局に営業に行くという。健気すぎる!!!彼女は笑顔が苦手と話したが、とんでもない。とってもチャーミングな笑顔が印象に残ったインタビューとなった。
■芳野友美(よしの・ゆみ)
1980年7月2日生まれ。福岡県飯塚市出身。“再現ドラマの女王“として話題になり、女優業だけでなく、CMやバラエティーでも活躍中。7月20日にBlu-ray&DVD『Eternity』を発売。
ブログ「芳野友美オフィシャルブログ~一日一捨」https://ameblo.jp/yumi-yoshino/
インスタグラム https://www.instagram.com/yumi_yoshino_1980/