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2017年の現代社会と憲法観の陥穽

西田亮介社会学者/日本大学危機管理学部教授、東京工業大学特任教授
(写真:ロイター/アフロ)

70年前の今日、日本国憲法が施行された。当時記された手記や日記、新聞記事などを紐解いてみると、長く続いた戦争と、なかでも戦争末期に制空権を失い、少なくない都市が焦土となったことに起因する厭戦気分から、新しい憲法、そして来るべき新しい社会を肯定的に受け取ろうとする向きが大勢を占めた様子がよくわかる。日本国憲法の成立過程や内容が主体的な選択であったかどうかにかかわらず、当時の世界の憲法の水準からしても相当に先駆的な内容が盛り込まれており、また政治的立場を問わず生活者からしてみれば、家族、友人、そして生活全般を奪った戦争を忌み嫌い、二度とその歴史を繰り返さないことに重きを置いた憲法観はごく自明のものだったはずだ。

だが、それから随分の歳月が経過し、時代状況は激変した。当然だが安全保障環境を含めて、70年前には想定されていなかったさまざまな局面が眼前に広がりつつあるのは事実である。しかし、もっとも想定されておらず、そしていまもあまり認識されていないままに直面しているのは、我々の社会からの日本国憲法とその憲法を支えてきた社会の共通感覚の忘却なのではないか。

現在のマジョリティは戦後生まれだ。「戦争を知らない世代」どころか、年長世代にとっては懐かしく、また輝かしい高度経済成長の時代と社会すら「過去の出来事、歴史の教科書の記述」として認識する世代も増えた。当然でもある。かつてバブル崩壊を契機とした経済停滞が続いた90年代を「失われた10年」と呼んだが、いまでは2000年代も含めて「失われた20年」と呼ぶようになりつつあるほどだ。拙著『不寛容の本質』でもいろいろな例を挙げたが、かつての「正社員の夫と専業主婦の妻、子ども二人」という「標準モデル世帯」は、現在では「非標準モデル世帯」となった。1990年代後半に専業主婦がいる世帯と共働き世帯の比率が逆転したことに起因する。だがそのことを(とくに年長の)生活者はあまり認知していないし、なにより生活と社会の予見可能性が低下し先行きが見通しにくくなっている。言い換えると、良かれ悪しかれ社会に共通の地平を見出しにくくなっている。社会の均質性が低下したわけだから、その状態に自由を見出す人もいれば、安定を希求する人もいるはずだが、両者の折り合いは付けにくくなっている。こうした社会に不安と閉塞を感じるのはなにも筆者だけではないだろう。

社会と政治の変動に加えて、メディアと政治の問題もある。オックスフォード英語辞典が2016年を代表する英単語として「post truth」という単語を選出したことは記憶に新しい。言葉を補いつつ意訳するなら、「『客観的事実』が重要視されず、その状況にメディアと政治が加担してしまう時代」といったところだろうか。イギリスのEU離脱を巡る国民投票、米大統領選挙とトランプ大統領誕生後の状況などが念頭に置かれているが、日本も例外ではない。インターネット、なかでもスマートフォンとソーシャルメディアの普及によって、接触する情報量とチャネル、頻度が激増した。さらに次の選挙に備えて、敏感に世論とメディア環境の変化に適応しようとする政治家と政党は情報発信と広報の戦略、手法を日々洗練させていることが明らかになっている。人々の「共感」は、適切な戦略と技術によって、かなりの程度、人為的に生み出せるようになっているのだ。

日本でもっとも「post truth」状況で深刻な状況が生じるとしたら、憲法を巡ってのものだろう。あまり知られていないが、憲法改正の手続きを定めた国民投票法は、一般の選挙を規定する公職選挙法と比較して格段に規制に乏しい。憲法改正を周知するためというのが理由だが、期間、資金、拡声器や街宣車の数、テレビやインターネットの活用等、相当自由度が高く、護憲派と改憲派のあいだで空中戦と地上戦を問わず対立の激化が想定される。

だが、そもそも生活者は判断と選択の準備ができているだろうか。もっぱら(政治)教育とメディアが該当するはずだが、広く社会はそのための機会を十分に提供し、その必要性について議論してきただろうか。憲法問題への関心と、護憲と改憲のどちらが望ましいかをそれぞれの国民が判断するための基本的な知識と道具立てを実質的に持ちえているかどうか、それらを習得する機会が実質的に保障されてきたかを考えてみると、些か心許ないといわざるをえない。事実、2016年の参院選は、改憲を明確に主張する政党が憲法改正に必要な議席数を獲得するか否かの分水嶺だったわけだが、各社の世論調査を見ると、そもそも憲法問題への関心それ自体が乏しかった。改憲派も争点化を避ける意図もあり、積極的には言及しなかった。むろん時代状況が大きく変わったにもかかわらず「憲法を壊すな」といった硬直化したフレーズを耳にすることも少なくない護憲派の論調が現役世代に響きにくくなっていることの問題も大きい。

筆者の懸念はここにある。憲法改正の発議後、護憲派と改憲派がどちらも教条的に激しい対立を見せることによって、生活者の関心が憲法問題から離れてしまうことだ。現状、投票率の規定がないことから、社会の関心が乏しいままに憲法改正が実現することも十分起こり得る。イギリスのEU離脱を問うた国民投票でも同様の事態が起きていたと聞く。なかでも安全保障環境の緊張度の高まりはともすれば直近の変化に我々を急き立てるが、憲法を変えたとしても装備を始め実態を変化させるには時間がかかるため、実際には直近の危機対応には間に合わない。いずれにせよ現行の日本国憲法に関する社会認識が漠然としたものであるとして、よくわからないままに憲法改正が起きるとしたら、社会における憲法観の混乱はますます深まるばかりだ。

護憲のもとでも解釈変更によって従来想定されていなかった改憲的事態が生じているし、立憲主義をいっそう強固なものにするために憲法改正を実施するという選択もありうるはずだ。そしてそもそもこうした構図事態が現状少なくとも一般には顕在化していないが、したがって改憲で歯止めが効かなくなるというよく聞くフレーズには一理あるともいえる。いずれにせよ対立が続く護憲改憲論争もさることながら、70年という節目の年に、改めて日本国憲法と当時の時代状況、社会状況を想起し、新しい憲法論議を社会のなかで広く立ち上げる端緒の年にできるかどうかが問われている。

社会学者/日本大学危機管理学部教授、東京工業大学特任教授

博士(政策・メディア)。専門は社会学。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科助教(有期・研究奨励Ⅱ)、独立行政法人中小企業基盤整備機構経営支援情報センターリサーチャー、立命館大学大学院特別招聘准教授、東京工業大学准教授等を経て2024年日本大学に着任。『メディアと自民党』『情報武装する政治』『コロナ危機の社会学』『ネット選挙』『無業社会』(工藤啓氏と共著)など著書多数。省庁、地方自治体、業界団体等で広報関係の有識者会議等を構成。偽情報対策や放送政策も詳しい。10年以上各種コメンテーターを務める。

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