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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第13回 警察の事情聴取

藤井誠二ノンフィクションライター

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警察の事情聴取

保健室へK養護教諭を呼びに行ったものの、留守のために二年一組へと引き返したT教諭は、一号館の四階に向かう階段の踊り場に差しかかったとき、「ここから動かしましょう」というK養護教諭の声を聞いている。

ちょうど、宮本たちが知美を抱えて階段のほうへ運んでくるところであった。宮本が頭を抱え、T教諭が担任をしている三年八組の生徒二名、それに二年一組の生徒三人が知美のスカートと足のほうを抱えて運んでいたのをT教諭は覚えている。

宮本は、ここでもT教諭に「救急車は呼んでもらえましたか」と尋ねた。T教諭は、「まだ、呼んでいません」と答えた。K養護教諭が知美を運ぶ途中で、何があったのか尋ねると、宮本は、「掴み合いをした」と答えた。

宮本たちは、慎重に知美を抱え、階段を降り、保健室に入った。

T教諭も宮本たちといっしょに保健室に入る。K養護教諭は、知美をベッドに寝かせたあと、運んできた生徒に対し、「もう、いいよ」と言い、保健室から出ていかせた。残ったのは、知美の他は、宮本とT教諭とK養護教諭の三人。

《陣内さんの心臓か動いていることかわかりませんでした。目を見たところ、瞳孔が開いている状態でした。横にいた宮本先生が、誰か呼んできましょうか、救急車に連絡しましょうか、と心配されていました。陣内さんの容態がおかしいので、救急車を呼んだほうがいいと思いました》(K養護教諭)

いっぽう、T教諭はこう証言している。

《このとき、陣内さんは意識がなく、私と宮本先生は陣内さんの頭のほうに立っていただけで、K養護教諭が陣内さんの左右の手首の脈を取ったあと、陣内さんの顔を叩きながら、『陣内さん、陣内さん、わかるね』と呼びかけていましたが、陣内さんは意識がなく、返事をしませんでした。私の記憶では、このとき陣内さんの顔や口に傷はなかったと思います。体に傷があったかどうかは、裸にしていないのでわかりません。宮本先生は、保健室に入ってからも、救急車を呼んでくれと二、三回言っていました。しかし、私としては陣内さんが倒れているところは見ているもののどういう原因で倒れてしまったのか、その状況を見ていなかったので、私が一一九番をして救急車を呼ぶにしても、陣内さんが怪我をしたときの状況を消防署の人に説明できないと考え一一九番しなかったのです》

T教諭の躊躇とは裏腹に、K養護教諭が保健室内の電話で救急車を呼んだ。三時五五分ころのことだ。K養護教諭は電話口で、「どうしたのですか」と聞く救急隊員に対して、「男性の先生から生徒が叩かれて倒れました」と答えた。隊員は「じゃあ、傷害ですね」と言って電話を切った。このとき、「生徒が倒れて、チアノーゼがでている」ともK養護教諭は説明した。この時点で救急隊員は警察に通報する。

K養護教諭は一一九番したあと、T教諭に看護専攻科のN教諭を呼んでほしいと頼む。T教諭は保健室の隣の看護専攻科の部屋へ行き、N教諭とそこに居合わせたY教諭の二人を連れて、保健室に戻った。

N教諭は、知美の橈骨動脈に触れたが、脈がとれない。瞳孔も散大し、呼吸がない。

「これは、いかん。すぐ、他の先生を呼んで!」

Y教諭はただちに保健室のカーテンを閉め切り、知美の胸を両手で押し、心臓マッサージを始めた。N教諭は他の看護専攻科の教諭らに応援を頼む。

N教諭は、K養護教諭に、アンビューバッグ(手動で肺に空気を送り込む風船状の器具)を持ってくるように指示、K養護教諭は二号館二階にある看護科教材室へ走ったが、教材室に鍵がかかっており、それを探すことはできなかった。T教諭もY教諭から探し物をするように頼まれて一時、保健室を出る。

仕方なくK養護教諭が保健室にもどると、N教諭が「いま救急車が来た。すぐに救命士に来てもらって」と言うので、K養護教諭はすぐに救急車のところに行き、救急隊員を保健室に案内した。四時一分ころのことだ。救急隊員は知美の口に酸素マスクを当て、点滴を始めたが、T教諭は「どうすることもできなかった」ため、二階の職員室に戻る。

救急隊員か保健室に入室したとき、同時に看護専攻科講師であるI医師も保健室にかけつけ、専門医としての「気管確保・挿管気道チューブ」処置がおこなわれた。

また、救急隊員が到着した直後、二、三人の警察官も保健室に入ってきた。

そのころ、山近校長・小山教頭・事務長補佐の三人は、校長室で学校施設の工事についての協議をおこなっていた。保健室からの屯諦で事態を知り、校長たち三名が保健室に駆けつけ、事態を確認したのは四時二○分ぐらいのことだった。

山近校長が呆然と保健室で立ちつくしていると、知美が担架に乗せられて救急車に運び込まれた。が、その時点で山近校長は、その生徒が陣内知美であることは知らされていない。

すでに宮本は警察官から事情を聞かれていた。宮本は山近校長を見ると立ち上がって、「校長、申し訳ありません」と頭を下げた。山近校長がとっさに「どうしたの」と聞き返すと、宮本は「生徒を強く押したら頭に当たった」という意味のことを言ったという。両者の会話はそれで途切れ、まもなく宮本は警察官に同行を求められ学校を出ていった。山近校長はすぐに知美の担任の棚町を病院に向かわせた。

じきに十名近い警察官が集結、目撃していた生徒四名から、第三職員室を利用して事情の聴取をはじめている。警察の生徒への事情聴取は長引き、最後の生徒は六時四○分までかかった。

宮本はパトカーで飯塚警察署に向かった。そして、八時五○分に飯塚署から学校に電話がかかる。宮本の証言と目撃生徒の証言か大きく食い違い、このままでは証拠隠滅のおそれかあるので逮捕したとの連絡であった。その食い違いは先に述べてきたとおりである。容疑は傷害。

山岸景子は言う。

《私たちは試験を終え、みんな集まって保健室に行ってみると、知美は口に酸素マスクをつけられ、心臓マッサージを受けていました。私は知美のことが非常に心配だったのですが、その日は家に帰りました。翌日、担任の棚町先生から、『大変なことが起こった』と、知美が死んだことを、知らされたのです》

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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