乗っ取られてドキュメンタリーになった「太陽の下で~真実の北朝鮮~」の本当の怖さ
実に怖い映画であった。
北朝鮮にドキュメンタリーを撮りに行ったのに、当局はシナリオを作成して待ち構えており、演出に干渉する。ロシア人のヴィタリー・マンスキー監督は、「映画乗っ取り」の一部始終を、カメラのスイッチを密かにオンにして記録していた―。
そんな隠し撮りのシーンばかりが注目されているが、私が本当に恐ろしいと感じたのは別のところにあった。
これまで世界の多くの映像制作者が、不可視の北朝鮮の人々の日常生活を撮りたい、本音に迫りたいと考え、様々な取材、撮影のアプローチを試みてきた。そして当局の統制にはね返されてきた。私もその一人である。筆者の場合は、1990年代に三度の北朝鮮入国取材で壁にぶち当たり、その高さと分厚さを思い知った。合法的に入国しては、北朝鮮の人々の実像、核心に迫る取材は不可能であることを悟った。
よく知られているように、北朝鮮政権は、外国人の入国を厳しく制限し、入国できたとしても「案内員」という名の監視が寝ている時間以外は脇に立ち、移動できる場所、接触できる人を限定する。北朝鮮には、外国人がいくら努力しても、いくらお金を積んでも越えられない、高い壁がある。その壁の向こう側にこそ、北朝鮮問題の核心があるはずだ。
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マンスキー監督も、人民の実像に迫りたいという思いで、北朝鮮当局とドキュメンタリー制作の交渉に入ったに違いない。そして、平壌入りして予想をはるかに超える干渉、統制に遭って方針転換し、映画が北朝鮮当局に「乗っ取られる」過程を、隠し撮りでつぶさに記録することで、この国の統制システムの恐ろしさを描くことにしたのだろう。
しかし、マンスキー監督になり代わって、北朝鮮の映画関係者が演技指導のみならず撮影現場を取り仕切っていたことが恐ろしいのではない。マンスキー監督はソ連時代を生きた人なので気付いたかもしれないが、北朝鮮は、金正恩氏と党に絶対忠誠を誓い服従することを国民に無条件に強要する社会であり、はからずもマンスキー監督が立ち会ったのは、主人公の少女が、そのシステムの一員に加えられる瞬間だったのである。
※映画は、小学校2年生の少女リ・ジンミが少年団に入団する過程に密着する設定であった。少年団には、小学2年生から初等中学3年生までのすべての子供が加盟する(北朝鮮の義務教育は幼稚園1年、小学5年、初級中学3年、高等中学3年の12年間)。
子供たちにとって、赤いマフラーの少年団員になることは憧れだ。ただ、全員が同時に入団できるわけではない。優等生、模範生から選抜されていく。ジンミが参加した「入団式」は、故金正日氏の生誕記念日の2月16日に合わせて挙行されていたが、これがその年の最初の入団式で、選抜された親も子供も誇らしくおめでたいものと考えるのだそうだ。
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少年団入団は、北朝鮮の人々にとって最初の公的な通過儀礼である。この後人生を終えるまで、北朝鮮のすべての国民は、何らかの組織に所属して統制を受けることになる。40歳以下の人は青年同盟、党員は党組織、労働者は職業総同盟、農場員は農民同盟、家庭の専業主婦は女性同盟に。つまり、北朝鮮で生を送るすべての人が最初に入る組織が少年団なのだ。
映画のネタ明かしは慎みたいが、終盤は恐ろしいシーンが続く。
愛らしい少女ジンミは「少年団に入って組織生活をします。組織生活をすれば過ちに気付き、何をすればいいのかわかります」と語る。
このようにして北朝鮮の民衆は、朝鮮労働党が一元支配する組織の人として生きることを始めるのだ。少年団の組織生活で、ジンミも、党の方針、金正恩氏の教えに忠実であるかがチェックされることになる。
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この映画の肝は、当局者が演出に介入したり、撮影に住民を動員したりすることを暴露したことではない。一人の少女が、北朝鮮の独裁の要である組織生活のシステムに組み込まれる瞬間を捉えたことである。
映画は1月中旬から全国で封切られる。