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「あの日」から5年と2日。@みんなのスタジアム

川端康生フリーライター

89分、劇的な決勝弾か……

前山のゴールが美しかった。

ペナルティアーク付近でパスを受けると、ファーストタッチで少し左にずらして、チップキック気味にループ。ドライブのかかったボールは、再三好セーブを見せてきた植村の伸ばした指先をかすめ、ゴールマウスに吸い込まれていった。

0対1。しかも89分。福島ユナイテッドFCの選手たちがセンターサークルにボールを戻し、キックオフを始めたときには、すでに電光掲示板の時計は、90分を過ぎて消えていたのではないか。

劇的ゴールの余韻で、ロスタイムの掲示を見逃してしまっていたけれど、いずれにしても残りはわずか。

勝者はブラウブリッツ秋田。疑いなくそう思った。

そもそもキックオフから秋田が優勢だった。優勢というより、「一方的」と言っていいほど秋田が攻め続けていた。

最初の20分くらいで何度チャンスがあっただろう。遊馬の左足が立て続けにゴールを襲い、GKの植村やポストに弾き返され……。あの時間帯に得点を決められていれば、何も89分まで試合をもつれさせることはなかったのだ。

だからこそ、遅すぎた決勝点。前山の見事なゴールが決まったとき、そんな印象とともに、秋田の勝利を確信した。

92分、劇的な同点弾!

しかし、秋田の終了間際の得点は美しいゴールではあったけれど、決勝点にはならなかった。本当の「劇的なゴール」が、その後、わずかな残り時間で生まれたからだ。

右タッチライン。タッチを割ったボールを拾い上げた村岡が、勢いをつけてゴール前へスローインを投げ込む。岡田がジャンプ。ヘディングですらしたボールは、そのままの勢いでペナルティマーク付近へと向かった。

そこに誰だっただろう、勢いよく飛び込んできて右足を振った。身を挺して防ぐDFと絡んで二人とも倒れ、ボールがこぼれる。

思わずシートから腰を浮かせた直後、ボールはゴールマウスに転がり込んだ。

90+2分。まさしく劇的な同点弾。赤いユニホームの歓喜の輪が跳ねる。中心にいたのは茂木だった。

土壇場で、それもあの密集で、それでもツータッチ。慌てて打たなかった。さすがはベテラン。さすがは元FW。落ち着いていた。

ちなみに福島市の出身。市内の松川スポーツ少年団、松陵中学、聖光学院と進み、プロサッカー選手になった。J1で20ゴールを決め、日の丸もつけた。そんなサッカーの道の最後に、再びここに戻ることを選んだ(J1のヴィッセル神戸でプレーした後、「最後は地元で」とJ3福島へ入団したと何かで読んだことがある)。

故郷で、いい仕事をした。

おまけにこの日のボールボーイは聖光学院サッカー部だった。

後輩たちの目の前で、いいゴールを決めた。

当たり前ではない

試合後、福島ユナイテッドFCの栗原監督は「前半は相手に対応できず、受けに回ってしまうことが多かったが、そういう状況でも選手たちは『絶対にやらせない』という気持ちでしのぎ切ってくれた。 戦術的に形を変えた前半30分以降は安定して守備ができた」と振り返った。

確かにミスマッチが解消してからは、福島は徐々に落ち着きを取り戻した。混乱していた立ち上がりに失点しなかったのは、GK植村をはじめとしたDF陣が「気持ちで」防ぎ続けたからだった。

ブラウブリッツ秋田の間瀬監督もそこに触れた。

「決定機に見えたかもしれないが、最後の球際のところは福島の選手がしっかりシュートブロックにきていた。福島の気迫のディフェンスに止められたんです」

両監督が、戦術を超えた「気持ち」や「気迫」に言及したのは、やっぱりこの一戦が特別な試合だったからだ。

会見冒頭で間瀬監督がやや言葉を詰まらせながら口にした。

「スタジアムに到着したときに、本当に多くのサポーターがコールを送ってくれた。正直、涙が出そうになった。……今日の開幕戦が当たり前のように行なわれたように見えますが、東日本大震災から5年と2日の時を経て、この福島の地でこうして試合ができることがどれだけ素晴らしいことか。両チームの選手、スタッフ全員はそんな思いをピッチで体現した。最後の瞬間まで全力で戦う姿を見せた。素晴らしい試合だったし、誇りに思います」

栗原監督もまた「震災から5年と2日の月日が経った。選手たちには『今日は戦術うんぬんではなく、どんな状況になっても絶対に下を向かず、苦しいときも前を向いてプレーする。見に来た人たちに思いが伝わるようなプレーをしてほしい』と伝えた。選手たちはその通りに残り少ない時間でも諦めずに戦い、しかも追いついた。勝てなかったが、いいゲームだった」と胸を張った、

「あの日」から5年と2日

思い返せば、5年前、福島ユナイテッドFCはまだ東北リーグにいた。前年には経営悪化でクラブは危機的状況にも陥っていた。新会社を立ち上げ、体制を一新し、地元財界の支援を受け、さあこれからリスタート……というまさにそのとき、突然「あの日」が訪れた。

2011年、東北リーグが開催できたのも奇跡的だが、そこに福島ユナイテッドが参加できたことも、いま改めて考えてみてやっぱり奇跡的だったと思う(県内の他チームはすべて出場できなかった)。

しかも、被災地域の中でも、とりわけ原発立地県である福島にとって、あの日は甚大な自然災害であるだけでなく、「目に見えず、先も見えない日々」の始まりでもあった。

福島県内でのホームゲームは行えなかった。観客もほとんどいなかった。140人という試合さえあった。

あの日から5年と2日。スタンドには2136人の観客が集った。ホーム開幕戦での最多入場者を記録した。

秋田からの観客も多かった。間瀬監督が「東北のライバルらしい激しいゲームになった」と評した熱戦を、2136人の観客が前のめりになったり、溜息をついたり、ガッツポーズをしたり、天を仰いだりしながら楽しんでいた。

そんな当たり前の、だからこそ素晴らしい風景が、みんなのスタジアムにはあった。

未来を信じて

最後に3年目のJ3についてごく簡単に。

今季からガンバ大阪、FC東京、セレッソ大阪のU-23チームが参加。J2から降格のカターレ富山、大分トリニータ、それにJFLから昇格の鹿児島ユナイテッドFCを加えた16チームが2回戦総当たりで戦う(去年までは3回戦だった)。

当然、J2昇格を目指しての戦い……ではあるが、勝てばすんなり昇格できるわけではない。

例の「ライセンス」があるからだ。

早い話、今季のJ3チームで昇格の権利を持っているのは(つまりライセンスを取得済なのは)、富山、大分、AC長野パルセイロの3チームだけである。

言い換えれば、それ以外のチームは、たとえ優勝してもJ2へは上がれない。福島が今季の目標として「J2昇格圏内」という表現を使っているのもそのためだ。

「J2昇格」ではなく「J2昇格圏内」。そんな回りくどい表現をしなければならないのが、Jリーグのややこしいところだが仕方ない(ややこしさについては昨年末にも書いた)。

とにかくチームの戦績だけで上位リーグへ上がっていけるわけではないことは知っておかなければならない。JFL、J3をそれぞれ1年で駆け抜け、今季からJ2で戦うレノファ山口のようなケースはそうそう起きることではないのだ。

福島に関して言えば、年間予算が3億円を超え、戦力も安定。チームの成績も向上しつつある(一昨年、昨年と順位はいずれも7位だが、一昨年は下位に近い7位で、昨年は上位に迫った7位だった)。

栗原監督のチーム作りも3年目を迎え、成果を期待できるシーズンでもある。

だからこそ、勝利が昇格に直接結びつかないもどかしさは強いが、それでもホームタウンを動かすためにはやはりチームは勝たなければならない。

勝利を積み重ねた先にきっと――そんな未来を信じて戦う3年目のJ3である。

フリーライター

1965年生まれ。早稲田大学中退後、『週刊宝石』にて経済を中心に社会、芸能、スポーツなどを取材。1990年以後はスポーツ誌を中心に一般誌、ビジネス誌などで執筆。著書に『冒険者たち』(学研)、『星屑たち』(双葉社)、『日韓ワールドカップの覚書』(講談社)、『東京マラソンの舞台裏』(枻出版)など。

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