1万円で買えるあなたの人生?!: 人間が一生で処理する情報量とは
はじめに
今回、青色発光ダイオード関係で3人の日本人(一人はアメリカ国籍を有しますが)が受賞しました。ノーベル賞を受賞するほどの研究成果を得る為には、脳としての考える機能を存分に発揮した結果だと考えられます。脳が高度な情報処理を行った結果がノーベル賞の成果につながっているわけです。では、彼らはどれぐらいの情報処理を行っているのでしょうか。ここで与えられる「情報」とは「質」の問題であって、それを比較する事は非常に難しくなります。では、単純化して、一般に人は一生にどれぐらいの情報に接しているのでしょうか。ここでの「情報」は「量」の問題です。「質」を計る事は非常に難しいですが、「量」は比較的計る事は容易です。正確に言えば、比較的、すべての人が同意できる量の基準を設けることが可能であり、結果として計量可能です。
現在、甲南大学理工学部物理学科で、「情報通信科学」という講義を非常勤で担当しています。内容的には、通信工学を中心に、情報科学(コンピュータサイエンス)を教えています。いわゆるレイヤーの低いところでの通信工学と、高いところでの情報科学をどちらも限られた短い時間で講義するということで大変なのですが、細かな事は抜きにしてサーベイ気味に講義を行っています。ここで課した宿題が上記の情報量の宿題です。
情報の質と量
情報通信科学の講義の中でも、情報理論について触れています。情報理論は,情報を如何にして数学的に表し,そして扱うかという情報の基礎理論です。言わば,情報の数と量の理論です。情報には「質」と「量」の性質があります。「質」とは意味内容に関することです。それを定量的に扱うことは非常に困難なので、後者の「量」のみを扱います。その量を数で表現するのです。情報量の最小の単位はビットです。イエスかノーかの選択は、その1ビットの情報量になります。そのイエスとノーを組み合わせることによって多くの情報を送ること、記憶することができるのです。0から9までの10種類の数字を送ろうとすると、4ビット必要です。アルファベットと数字、それに記号を送ろうとするなら、7ビット必要です。情報理論では、ある情報が本質的に何ビットで表現可能かを問題にします。では、新聞100年分の情報量は大よそ何ビットで表されるでしょうか。一日30ページで休みなく毎日発行されたとして、写真を考慮したとしても1GBに満たず、十分、DVDに収まるのです。
人の一生とその情報量
講義の際に、「君たちの一生はいくらか?」という無茶な問いかけを行いました、具体的には、生まれてから死亡するまで、五感を使って得た知識(記憶)をすべて保存したとして、ハードディスクやDVDといった、現在の記憶媒体に換算すると、その購入費にいくら必要かという問いかけです。ある意味、人の一生とは、その人が経験して来た、つまり接した情報とその処理がすべてになります。人の一生を100年としましょう。人の視野を基準にして、カメラで音声とともに記録したとすると、現在実現している高度な画像圧縮技術を用いれば、1時間当たりの記録には10MB(メガバイト)あれば十分です。視覚、聴覚以外の情報を含めても同程度でしょう。24時間活動していると考えて、100年は高々88万時間です。つまり、約8TB(テラバイト)あれば一人の一生をすべて記録できるわけです。10数年前では、世界中のウェッブで見ることができる情報が1TB程度でした。現在、1TBのハードディスクは5千円程度であり、確実に値下がっていくことでしょう。8TBのハードディスクが1万円で購入できる日も遠くはないかもしれません。つまり、人の一生を1万円で記録できるのです。ソフト(情報)が重要なのですが、その入れ物に対してだけであれば、「人の一生、1万円」と言えるかもしれません。