祭りのあと。「M-1」“敗者”たちが歩む世界
「マヂカルラブリー」の優勝で幕を閉じた「M-1グランプリ2020」。
毎年、勝者が生まれるということは、その裏には何千組もの“敗者”が生まれているということでもあります。
最終決戦まで辿り着いたものの、あと一歩届かなかった。決勝の舞台にも届かなかった。いろいろな敗れ方がありますが、それぞれに、それぞれの形の「M-1」が刻まれている。それをこれまでの取材の中でも、強く感じてきました。
07年、優勝した「サンドウィッチマン」に次ぐ準優勝という形になったのが「トータルテンボス」でした。
昨年12月、Yahoo!拙連載用にインタビューをした時の取材メモを振り返ってみます。
藤田:今になってまた思いますけど、やっぱり「M-1」はデカいですよ。僕にとって、最初はきっかけに過ぎなかったんです。「あれに出たら売れる!」という。頑張るため目の前にぶら下げるニンジン的な感じで。
ただ、そうやって本気で漫才に取り組むことによって、漫才の勉強をするようになる。すると、もっと漫才のことが好きになる。結果、売れるためのきっかけではなく、漫才が好きになるきっかけを「M-1」にもらいました。
大村:もちろん優勝したかったです。そのためにやってきましたから。ただ、1位ではなく2位というのにも意味があるのかなとも思います。自由というか、1位の“絶対にヘタはこけない”という枷(かせ)がないというか…。
あと、もし僕らが07年に優勝していたとしても「サンドウィッチマン」のように好感度ナンバーワン芸人には絶対になれてませんし(笑)。
そして「M-1」はどんどん進化してます。スポーツのレベルが毎年上がるように、僕らが準優勝した時よりも今の方が確実にネタの密度も濃いです。
でも、そこで“今の僕ら”が出てもお手上げだと僕は思いたくない。07年の僕らが今の大会に出たら厳しいかもしれませんけど、今の僕らもその頃より進化してますから。
もう一組は「プラス・マイナス」。ラストイヤーだった18年、ネタの完成度、技術、そして予選でのウケ方。どれをとっても決勝進出は確実。さらには優勝候補という声が芸人仲間からも上がっていましたが決勝に一歩届かず、「M-1」への挑戦は終わりました。
こちらもYahoo!拙連載で今年4月に話を聞きました。
岩橋:いろいろなとらえ方もありますけど、僕は「M-1」が終わったことで、残念でもありますけど、自由が手に入ったとも思っているんです。
僕らは「M-1」というものに苦戦してきたコンビなんです。ナニな言い方ですけど、劇場ではウケるけど「M-1」では評価されないというか。客観的に見て“寄席芸”と“競技漫才”の間ですごく苦しんでいたコンビやと思うんです。そこから解放はされた。
これまで漫才をする時には常に「M-1」を意識していて「ここでモノマネを入れたらウケるけど『M-1』じゃ使えないネタになるな」という考えがありました。
それが今は「とにかくウケたらいい」にシフトチェンジしたというか。もう「M-1」関係なく、自分たちがやりたいことをやる。ただ、一点だけ決めごとを作って。
それは「目の前のお客さんを必ず爆笑させる」ということ。そこさえ守れば、皆さん喜んでくださるし、僕らもやっていてうれしいし。若手が挑戦する競技から卒業して、中堅、そして師匠方もいらっしゃる、さらに上のクラス。その一年生という領域に来た気がしています。
兼光:今までも目の前の仕事を大切にしていたつもりだったんですけど、「M-1」が終わってから、それが余計に大切になったと思います。大事にせなアカンという思いが強くなりました。相方が言うように、目の前のお客さんを笑わせる大事さというのも痛感してますし。
岩橋:だいぶ入り組んだ話になりますけど、以前は、兼光を否定していたところもあったんです。「芸人なんやから、もっと声を張って前のめりでやれよ」と。ずっと僕からはそんな発注をしてきたんですけど、18年12月で「M-1」を終え、次の段階の漫才に入って、いろいろ、本当にいろいろ考えました。
そこで「彼の地のキャラクターで行くべき」と思って、話し合った結果、そうなったんです。それが面白いので、しっかりと出していこう。自然な兼光をお見せするという。
このキャラのまんま、ポカンとしてる人間と、細かすぎてクセをこじらせてる人間のコントラストが今となったら妙味になってくるなと。コンビは同じ色やったら面白くなくて、どれだけ距離感が離れた中でキャッチボールするかが面白さに繋がる。
そういう目で見ると、やっぱり、師匠方はコンビのコントラストとバランスが凄いんです。僕なんか言うのは失礼ですけど。若い頃には見えなかったその凄みみたいなものがこれでもかと漫才に乗っかっている。僕らも若手を出てその領域の一年生になったんやったら、やっぱりそこを目指していかなアカンし、そのための積み重ねを日々していくしかないなと。
「M-1」で結果も出ないし、解散も何回も考えました。でも、最近になって、逆に僕らやからこそ、出せるものもあるんだろうなと…。難しいですけど。
僕みたいなボケがいて、そこにシュッとしたツッコミがつっこむ。これはすごくバランスが取れていると思います。「ドラクエ」みたいなRPGで言ったら“戦士”と“僧侶”の組み合わせみたいに、すごく戦いやすいパーティーだと思います。
でも、これは言い方を変えると、ベタと言えばベタなんです。もちろん、その形を否定しているわけじゃないんですよ。ただ、構図として、多いパターンと言いますか。
僕らは“商人”と“踊り子”みたいなコンビで、パッと見たら「なんや、それ!」みたいなパーティーです。ただ、この組み合わせだからこそ、誰も見たことのない戦い方になるし、見たことのないステージに行けるんじゃないか。その入口に立ったのが「M-1」が終わった時だと僕はとらえているんです。
最後は10年に準優勝し、独特のテンポと味わいでブレークした「スリムクラブ」。17年6月にYahoo!拙連載で真栄田さんを取材した際に思いを吐露していました。
2010年の「M-1グランプリ」。準優勝して、明らかに人生が変わりました。
ただ、実は決勝の日、僕、ムチャクチャ緊張してたんです。「エンタの神様」(日本テレビ系)でピンネタとして“フランチェン”というのをやらせてもらっていたのが07年。
それまでは月収5000円くらいだったのが、一気に50~60万円になりました。ただ「エンタの神様」の流れが終わって、また元の5000円に戻った。
しかも、一発屋という見られ方もしていた。ゼロから上を目指すよりも、一発屋というレッテルがある方がより大変。マイナスからの再スタートになってしまう。
だからこそ、はい上がるには「M-1」しかない。その思いが、決勝当日、一気に押し寄せてきたんです。ガチガチに緊張して、余裕がなくなってしまった。
そんな中、本番の生放送がスタート。「絶対に失敗できない…」という感覚がより強くなって、もっと自分をがんじがらめにしているのが分かるんです。
そうしているうちに、出番5分前。ステージ裏に続くエレベーターがあって、そこで極限までガチガチになってしまってました。これはダメだ。さすがにそう思った瞬間、相方の内間がポンとオレの肩を叩いて言ったんです。
「真栄田さん、今までありがとうございました。僕、本当に真栄田さんに感謝しています。それを今どうしても伝えたくて…。僕、ポンコツじゃないですか。ネタも覚えきれない。ネタも書けない。かむ。緊張する。そんな僕が日本の漫才師の9組にまで選ばれました。全部真栄田さんのおかげです。ありがとうございます。僕が見たところ、真栄田さん、今日調子悪いでしょ?実は、僕、今日絶好調なんです。だから、オレを見ててください。オレは真栄田さんが好きだし、真栄田さんのネタが大好きだから、オレは真栄田さんが言ったことで絶対に笑います。今日はいつも以上に笑うと思います。だから、真栄田さんは笑ってるオレだけ見ててください。だったら、何も心配することないでしょ?ここまで連れてきてくれて、本当にありがとうございます。じゃ、楽しい漫才をやりましょう」
一気に涙が出ました。今でも、話してると泣いちゃいます…。そして、颯爽とエレベーターに乗った瞬間、あいつ、つまづいてコケたんです(笑)。一瞬で感動と笑いがやってきて、気づいたら、ふと普段の自分に戻ってました。
「M-1」で人生が変わりました。そして、変えることができたのは、あの場で感謝してくれて、そして、コケてくれた内間のおかげです。
負けた日が次の勝利へのスタートライン。「M-1」をめぐるドラマに、終わりはないのかもしれません。