SNSで比べる時代「信念と衝動があるなら、結果はどうあれ追求するべき」ミュージシャン、セン・モリモト
セン・モリモト(30)。日本人を父に持つ米国育ちのマルチインストゥルメント アーティスト。シカゴを拠点にさまざまなアーティストとのコラボレーションやプロデュースを手がけ、近年は Rolling Stone などの音楽誌に取り上げられ、DIY (自主制作)ミュージックシーンで注目を集めてきた。そして2023年7月21日。シカゴでの大規模野外音楽フェスティバル「Pitchfork Music Festival 2023」のステージに立った。12年前から音楽ファンとして毎年見てきた憧れの舞台だった。幼い頃からプロを志し、父からは応援されながらも「貧乏でいる覚悟をしろ」と言われて育ったセンは、この日までの道のりを「大きな旅(Journey)」と語る。その生い立ちやミュージシャンとしてのあり方に追った。(Yahoo!ニュース ドキュメンタリー)
セン・モリモトとPitchfork Music Festival
セン・モリモトはいくつもの楽器を奏でるマルチ奏者として知られ、ラッパー/ソングライター/プロデューサー/レーベルオーナーの肩書きを持つ。音楽的なバックグラウンドは主にジャズだが、幼い頃から吹いていたサックスの他にキーボード、ギター、ドラムなどを独学でマスターし、異なるジャンルを巧みに融合させる独創的なサウンドと、自身の感情や経験を素直に表現する歌詞が特徴だ。
Pitchfork Music Festivalは、毎年7月にシカゴのユニオンパークで開催される。3日間で約6万人を動員する米国屈指の 野外フェスの一つだ。インディーカルチャーに大きな影響を持つ音楽メディア Pitchfork が主催し、主流の音楽よりも「独自性と革新性」を追求するイベントとして知られている。過去にケンドリック・ラマー、BECK、ローリン・ヒルやBJORKなど数々の有名アーティストたちが出演してきた。
センは、高校生の頃から Pitchfork Festivalで開かれる中古レコード市の臨時販売員として働いていた。当時住んでいたマサチューセッツ州からドライブで15時間の距離。そのシカゴでの憧れのステージに、やがて自分が立つことになるとは思いもよらなかった。
日本生まれ、米国育ち。アイデンティティに悩んだ
1993年、京都で日本人の父俊二(68)と米国人の母レノア(64)との間に生まれた。1歳にならないうちに家族で米東海岸のマサチューセッツ州へ移住し、高校時代まで過ごした。周りにアジア人はほとんどおらず、白人ばかりの中でマイノリティであることが際立った。一方で幼少期には日本語がほとんど話せず、日本人としてのアイデンティティにも悩まされた。
幼稚園の頃から週1回、日本語補習校へ通い始めた。それでも日本語は上達せず、2回続けて留年した末に教員から「これ以上留年はできない。日本語を話せないなら授業を受けさせられません」と告げられてしまう。日本語の習得と日本文化に触れるため、6歳の頃から毎年夏に父親と日本へ通うことになった。
ミュージシャンとしての始まり
母の勧めもあり、学校でサックスのレッスンを始めたのは10歳の時だ。当時、近くに住んでいたグラミー賞受賞者チャールズ・ネヴィルからもジャズレッスンを受け、幼い頃から即興の楽しみを覚えた。18歳になるとクラスメイトたちとオリジナル曲を作り始めた。当初はパンクやヒップホップなど、反逆的な音楽に影響されていた。
センが後にジャンルの融合とマルチ奏者として知られるようになったのも、この頃から複数のバンドに属し、さまざまな楽器を担当したことで「自然とそうなった」結果だという。
「音楽でやっていくなら貧乏を覚悟しとけ」
センの一家が移住したのは、両親が「3人の子供たちに米国でも育ってほしい」と思ったからだ。父は米国の音楽文化が好きで、家にあったオルディーズの名盤コレクションを聴いてセンは育った。母にも音楽の経験があり、両親そろってセンの活動を応援していた。「音楽に関心ある家族に育てられてよかった」とセンは振り返る。
俊二は40年のキャリアを持つ指圧師。センの背中を押しつつも、「ミュージシャンになるなら、貧乏でいる覚悟をしろ」と言い聞かせてきた。
「自分の好きなことをやっているなら、貧乏も耐えられるでしょう。なんでも続けることが大事。小さい頃から音楽の才能はあると思ったけど、才能だけじゃうまくいかない。地道にやっていくしかない」
2000年代初期、センは自分の音源をネットで音楽を紹介するブロガーたちにひたすら送り続けた。その努力が実を結ぶことはなく、たまに返信があっても批判的な意見が多かった。ただ、それがセンのモチベーションを高めていった。
「思い知らせてやろうって、燃えていた。若かったんだろうな。今だとそんなにダメ出し食らったらちょっと考えちゃうかも(笑)」
プロへの転向・転機となった来日公演(サマーソニック)
2014年、センはシカゴに住む友人を訪ねた。そこで現地のミュージックシーンに刺激を受け、移住を決めた。シカゴは米国を代表する大都市のひとつ。多くの音楽ジャンルの発達に貢献した歴史を持ちながらも、ニューヨークやロサンゼルスほど大きな「音楽業界」の存在がなく、自主制作(D I Y)が盛んだった。
レストランやバーでアルバイトをしながら、合間にソロで音楽活動を続けた。ミュージシャン仲間も増えていった。他のアーティストのプロデューサーも務め、次第にシカゴのD I Yシーンで存在感を高めていった。
「D I Yの逆は『 我先に』。言葉ではDo It Yourself(自身でやる)だけど、アーティストがお互い助け合いながら、一緒に作り上げていくのがD I Yミュージックだ」とセンは語る。
2018年、自身のインディーレーベルから初のアルバムとなる「Cannonball!」を完成させた。その後、姉が住むハワイでファーストシングルのプロモーションビデオを家族で撮影した。
若い頃やっていたように、その映像をたくさんのメディアへ送り付けた。昔との違いは、新たな仲間の数と組織力。そのうち、アジア出身のアーティストを世界に発信する米国のメディアプラットフォーム「88 Rising」に注目され、アルバムは彼らとの共同プロデュース・リリースとなった。
アルバムで全ての楽器を自分で演奏したことや、曲の複雑なリズム構成などが話題となった。それが、日本で開催される「SUMMER SONIC 2018」への招待に結びついた。それまでほとんどツアーもしたことなかったセンには、思いもよらないチャンスだった。
日本公演に向けての準備で、アルバイトとの両立が厳しくなった。ここで仕事を辞めたことが、プロミュージシャン転向へのきっかけとなった。
センが真っ先にしたかったのは、父親を日本へ招待することだった。「幼い頃から日本に通ずる記憶は全て父と共にあり、自分の音楽も聴いてもらえる機会だった」とセンは振り返る。「あと、自分の進路が間違ってなかったことを見せたかった」
俊二にとっても、日本公演の印象は鮮烈だった。
「日本のフェスに出ると聞いた時、だれもまだセンのことを知らないと思ってたけど、(日本の知り合いに知らせるため)電話してチケットを買ってもらおうと思ったけど、みんなもう、すでに知っていた。そして日本に行ってみたら、あっと驚いた。いつの間にかファンがいっぱいいて、『あ、もう私の必要はないな。この人はもう十分、自分でやっていける』とその時思った」
初の日本公演について、センはこう振り返る。
「以前、自分の日本人としてのアイデンティティは『家族とのコミュニケーション』が基盤であって、自分の音楽への情熱とは関係ないと思っていた。こんな形で日本と音楽が結びついて、これまでで最も充実した経験の一つとなった」
センはその後、コロナ禍をまたいで2回の日本ツアーを行なっている。ライブ中に日本語でMCする場面も増えてきた。
「今まで自分の下手な日本語を恥ずかしく思っていたけど、ライブを通じてそれをもっと出していきたいと思えるようになった。今後も日本のオーディエンスとつがっていきたい」
これからの展望
「ステージが大きくなるにつれて、僕も成長しなきゃいけない」。Pitchforkのステージをへて、センは自身のこれからをこう語る。
彼がいま意識しているのは、まずはミュージシャンとレーベルオーナーの立場を通じて若手ミュージシャンを支援し、地域コミュニティの文化活動にも積極的に関わることだ。さらに、ツアーするバンドメンバーたちがハッピーでいられること、プロデュースする若手アーティストたちが活躍できる基盤をつくることもめざしている。
「ミュージシャンとしての『成功』は定義が決まってなくて、人それぞれの道がある。今では特にS N Sとかで他人と自分の『成功』を比べがち。だけど、自分のやることに信念と衝動があるなら、結果はどうあれ追求するべきだと思う」
私、Yuya J Morimotoはセンの兄として幼い頃から彼の成長を間近で見てきたが、今回このような形で彼を取材し世に発表できることをとても嬉しく思う。
Really proud of you, Sen!
【この動画・記事は、Yahoo!ニュース エキスパート ドキュメンタリーの企画支援記事です。クリエイターが発案した企画について、編集チームが一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動はドキュメンタリー制作者をサポート・応援する目的で行っています。】#Yahooニュースドキュメンタリー
Filmed & Edited by Yuya J Morimoto
Music by Sen Morimoto
Produced by: Yumi Hatsushika
Article Edited by: Takashi Kokubo
Additional Filming by: Chris Rudz, Thomas Kimmerlin Poupart
Special Thanks: Pitchfork, Shunji & Lenore Morimoto, Satoko Okuda, Hayato Kamiya, Hachi Record Shop and Bar, Kaina, Sooper Records & The Chicago Crew, Miya, Ayano & Noemi