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医者が考える、かかりたくない医者の条件とは?

中山祐次郎外科医師・医学博士・作家
こんな親身な医者ばかりではない(写真:アフロ)

 この記事は、現役医師である筆者が考えた「こんな医者は、医者から見ても嫌だ」という話です。これらは、「私も気づいたらそうなっているかもしれない。気をつけよう」と強く自戒を込めて書いたものです。

 結論は、この4点です。

・話を聞かない医者、話を遮る医者

・白衣がヨレヨレな医者

・看護師や若手医師に異常に高圧的な医者

・「わからない」といえない医者

順にお話しします。

話を聞かない医者、話を遮る医者

 1つ目は、「話を聞かない医者、話を遮る医者」です。

 医者と患者さんの関係とは、どのような関係でしょうか。

 私の頭の中では、「病気」(という一つの敵)に対して、タッグを組んで立ち向かうイメージ。いわば戦友のような関係です。ですから、同じ敵に向かって、手を取りあって作戦を練るはずです。でも、残念ながら医者の中には患者さんの話をろくに聞かなかったり、話を遮ったりする人さえいるのも事実です。同じ敵に向かうチームメイトの話を聞かずに、どうやって戦っていくのでしょう。

 あまり語られないことですが、病院で行う治療というものは、非常に「個別性」が高い分野です。「個別性」とは言いかえると、治療方針は10人いれば10通りあるということです。つまり、どれほど苦しくても生きられるなら辛い治療を頑張りたい人がいる一方で、痛みや苦しみがあるくらいなら命が短くなっても治療は一切したくないという人だっているのです。我々医者は、科学的な根拠のある方法をふまえつつも、あくまで患者さんのやりたいよう、生きたいように手助けするという使命があります。

これからの時代、それはよりいっそう加速されるでしょう。これは、一人ひとりの患者さんに合わせた治療をしていくという意味で「テーラーメイド医療」などと呼ばれています。

 目の前の患者さんが、どんな生き方を望んでいるのか。決して充分とは言いがたい時間のなかで、医者は把握せねばなりません。それを知る唯一の方法は、やはり面と向かっての会話なのです。その意味で、話を聞いてくれない医者は、患者さんに向き合っていないと、私は思うのです。時間がないのは私も医者なので痛いほどわかるのですが、それでも「話を聞く姿勢」だけは死守したいと思っています。

白衣がヨレヨレな医者

 多忙を言い訳に、ヨレヨレで汚い白衣を着ている医者がいます。私は研修医などの若い医師がそのような格好をしていたら、必ず注意をします。

「患者さんは一世一代の大勝負の手術を受けに病院に来ている。家族にとっても、大切な人の命がかかった一大イベントだ。そこに、汚い白衣を着た君が来たら、どう思うか。そんな君に命を預けたいと思うだろうか

 これは、かつて働いていた病院の外科医がいっていた言葉です。私も強く同意します。

 礼儀の意味合いに加えて、私は、医者にとっての白衣は「戦闘服」だと思っています。白衣を脱いだときの医者、つまりオフの医者はだらしなかったり酒飲みだったりしてもいいのかもしれませんが、戦闘服に袖を通した瞬間に「超人」にならなければならないと思うのです。患者さんの悲しみも苦しみもすべて受け止めて、私を滅し働く。唯一の報酬は患者さんが元気に歩いて帰ること。ちょっとカッコつけましたが、本気でそう考えていますし、常に自分もそうありたいと思っています。

看護師や若手医師に異常に高圧的な医者

 医者はとにかく、人から感謝をされ続ける職業です。一日のうちに「ありがとうございます」と頭を下げられる回数は20回を超えます(実際にカウントしたことがあります)。

しかも医者―看護師の関係は、基本的に医者が指示を出し、看護師はその指示のもと動くという関係です。原則、看護師は医者の指示なしに患者さんの療養に関することはできません。法律で決まっています。

 これらの事情のせいか、なにか勘違いしてしまう医者は、たまにいます。まるで自分が神になったかのように不遜な態度をとるドクターです。そんな人に限って、目上の医師に会うと途端に態度を変えてペコペコするのですね。若い医者が年上の看護師に向かって偉そうな口を叩くのは、本当に嫌なものです。「ねえおばちゃん、今歳いくつ?」というふうに。そういう医者にはかかりたくないと思います。こちらがペコペコしないと機嫌を悪くするからです。

「わからない」といえない医者

 意外かもしれませんが、私は「わからない」といえない医者を信用できません。その理由をお話ししましょう。

 医学という世界は、世界中の研究者たちによって毎日進歩しています。とてもではありませんがすべての知見を学ぶことはできません。私なら、専門である大腸がんの知識は最新の知識を学び続けますが、遠い領域(眼科や耳鼻科、精神科)については、国家試験の勉強で得た知識止まりです。私が受験したのは12年も前。その頃学んだ常識は今の非常識になっている可能性だって十分にありえます。

 そんな状況ですから、「医者だから医学全般をわかっている」というのは明確な誤りです。医学が進み、細分化が進んだ現在では、すべてを知っていることよりも、知らないものに出会ったときに、調べて正解にたどり着ける能力のほうが求められます。わかったふりをして、コッソリ外来の奥でスマートフォンを検索している医者はとても多いのですよ。だからこそ、私は「わからない」といえない知ったかぶりの医者を信用できないのです。

(「医者の本音」中山祐次郎 2018年8月 SBクリエイティブより一部加筆して転載)

外科医師・医学博士・作家

外科医・作家。湘南医療大学保健医療学部臨床教授。公衆衛生学修士、医学博士。1980年生。聖光学院中・高卒後2浪を経て、鹿児島大学医学部卒。都立駒込病院で研修後、大腸外科医師として計10年勤務。2017年2月から福島県高野病院院長、総合南東北病院外科医長、2021年10月から神奈川県茅ヶ崎市の湘南東部総合病院で手術の日々を送る。資格は消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医(大腸)、外科専門医など。モットーは「いつ死んでも後悔するように生きる」。著書は「医者の本音」、小説「泣くな研修医」シリーズなど。Yahoo!ニュース個人では計4回のMost Valuable Article賞を受賞。

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