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田代有三&青木剛。「鹿島3連覇」の盟友が語る岩政大樹新監督の人間性、常勝軍団進化への期待

元川悦子スポーツジャーナリスト
今季序盤に代行監督としてチームを率いた経験が生かされるはずだ(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

思惑よりかなり早く名門の監督に

「いろんな面で戸惑いはありますけど、早急に週末に向けて準備をしないといけない。身が引き締まる思いとか、覚悟がどうとか、言葉にすればあるんでしょうけど、とにかく今、何をすべきか頭を巡らせています。

 課題に関しては、かなりいろいろありますけど、サッカー的には今の順位以上にいろんなものが壊れている。そこに整理をつけ、自信を取り戻し、状況が悪い時にも帰るべき場所を認識させないと。迷子の中、暗闇の中でサッカーをするようなことをさせないようにしないといけないと思っています」

 9日の就任会見で、鹿島アントラーズの岩政大樹新監督は、かなりストレートな表現で改革の必要性を訴えた。

 確かに、レネ・ヴァイラー監督が率いた今季の鹿島は思うようにいかないことが多かった。コロナ禍の入国制限で指揮官不在の中、岩政コーチ(当時)がマネージメントする形で始動。2月の開幕直後は選手の個性や特徴を生かしたスタイルがある程度フィットし、4月6日のアビスパ福岡戦までは6勝1敗という快進撃を見せていた。が、4月10日の横浜F・マリノス戦で終盤失速して逆転負け。これが綻びの始まりだったのかもしれない。

選手の立ち返る場所をいかに再構築する?

 レネ監督のタテに速いスタイルは強度が高い分、体力消耗も激しく、90分間同じペースで戦うことはできない。気温の低かった時期はまだよかったが、5月以降、暑くなってくるとその傾向が顕著になり、停滞感が強まった。「5月は引き分けが増え、6・7月はリーグ戦ではほぼ勝てていない」と岩政監督も話したように、選手たちは立ち返る場所を見失ってしまったと言わざるを得ない。

 加えて、上田綺世(セルクル・ブルージュ)という絶対的エースを失った。レネ監督も「彼に代わる存在はそうそういない」と嘆いたというが、上田の今夏の海外移籍というのはクラブ側としても想定内だったはずだ。新助っ人としてナイジェリア人FWのブレッシング・エレケを獲得し、補強したものの、もっと早い対応が必要だったのではないか。

 さまざまなボタンの掛け違いが続いて、結果的に岩政体制へと移行することになった鹿島。ここから本当の戦いが始まるわけだが、岩政氏の監督抜擢を多くの関係者がポジティブに捉えている。

 その1人が、2007~2009年のJリーグ3連覇時のチームメート・田代有三(オーストラリア・MATE FC代表)だ。

「マサさんはいずれ監督になるべき人材。本人もコメントしたように、予定よりかなり早くなったかもしれないけど、つねにどっしりと安心感をもたらせる人なんで、やってくれると思います」と絶大な信頼を寄せている。

岩政とともに前後から鹿島を支えた田代有三(筆者撮影)
岩政とともに前後から鹿島を支えた田代有三(筆者撮影)

「周りのやりやすさを第一に考える人」と田代が太鼓判

 田代は岩政の1つ後輩。2003年ユニバーシアード(大邱)に出場した福岡大学時代から岩政監督とともにプレーしており、鹿島入りも相談した間柄だ。

「伝統ある鹿島は当時からレベルの高いクラブ。『自分が通用するか迷っている』とマサさんに伝えたら、『全然いけると思うよ』と背中を押してくれて、加入を決断できました。

 一緒にプレーした時も僕がやりやすいような配球を心がけてくれた。速いボール、緩めのボールとそれぞれにメッセージがありましたし、つねに状況や対戦相手を考えながらやっているのが分かった。その配慮があったからこそ、僕は前線で生かされた。そうやってすごく周りを見ている人なんで、今の選手たちにも的確な指示ができると思いますね」

 田代の言う「周りのやりやすさを第一に考える人」というのは、同じく鹿島の3連覇メンバーで1つ年下の青木剛(南葛SC=プロフットゴルフ)も認める点だ。青木は最終ラインで岩政とコンビを組むことが多かったが、「自分も全面的に大樹さんを信頼して動いたし、やりやすいようにサポートしてくれた」と証言する。

「大樹さんは勝利から逆算して考えられるし、戦い方や考え方の引き出しが多い。僕なんかが苦手だと感じるプレーを理解したうえで、隣で献身的にサポートしてくれたんで、安心感を持って守備できましたね。

 それに言葉で説明するのが抜群にうまい。当時から『岩政先生』とサポーターから言われてましたけど、僕ら後輩や若手の面倒見がよく、的確なアドバイスをしてくれるんで、すごく助かりました。大樹さんは引退後に本を何冊も出してますけど、あれだけのことを自分で書けるなんて信じられない。さすがの一言に尽きますね」

 青木が神妙な面持ちで語る通り、新指揮官の言語化能力・表現力の高さというのは、誰もが認めるところだ。

現役時代の青木も岩政と名コンビを築いた(本人提供)
現役時代の青木も岩政と名コンビを築いた(本人提供)

「大樹さんは言葉で説明するのが抜群にうまい」と青木も証言

 筆者も岩政監督が選手だった当時、鹿島によく通った1人だが、小笠原満男(現アカデミー・テクニカル・アドバイザー)や内田篤人(JFAロールモデルコーチ)らが多くを語らずにアッサリと帰ってしまうことが多い中、岩政が30分以上、戦術やチームコンセプト、現在の課題などを細かく説明してくれるのが日常茶飯事だった。時には話が1時間以上に及ぶこともあり、多くを学ばせてもらい、記事に書くことができた。

 それでいて、自分の意見を一方的に押し付けてくるわけではなく、こちらの話も聞き、困っていたら面倒も見てくれる。そんな人柄に改めて触れたのが、岩政が鹿島を離れ、タイ1部のBECテロ・サーサナへ移籍した2014年のこと。現地で帰りのタクシーを呼べずに困っている筆者のことを心配し、「選手バスに一緒に乗っていいですよ」と話をつけ、街中まで同乗させてくれたのだ。

 その時に鹿島を離れてタイへ赴いた理由、キャリアビジョンなどを詳しく聞いたが、正直かつフレンドリーに本音で答えてくれた。メディアと選手といった垣根を作らず、フラットに誰とでも接する人柄の素晴らしさを再認識する機会になったのは確かだ。

誰に対しても気配りを忘れず、垣根を作らず本音で話す器の大きさ

「ロアッソ熊本にいた時、マサさんがわざわざ連絡をくれて、『社会人チームでサッカーを続けながらセカンドキャリアへ移行する”のりしろ”の期間を作ったらどうか』と勧められた。その言葉がなかったら、自分は南葛SCに行くこともなかったし、フットゴルフという新たなチャレンジに踏み出すこともなかった」と青木も話したが、離れている仲間の様子にも目を配り、自らコンタクトを取り、アドバイスを送るというのは、なかなかできることではない。岩政大樹という人は、ピッチ外でも「周りがやりやすいように仕向ける」という行動ができるのだ。

 そんな人間性は指揮官となった今、ピッチ上でも必ず生きてくる。試合に出ている人、出ていない人に関わらず、全員に必要なことを指示し、レベルアップに努め、チームの一体感を醸成していくことだろう。

 鈴木優磨も「自分のサッカー人生において、ここまで具体的に言語化できる人は初めて」と語ったというから、やはり近くに寄り添って、言葉で背中を押してくれる存在というのは大きいのだろう。この新指揮官ならば、常勝軍団を復活させ、さらに進化させてくれる。そんな期待を持ってここからの戦いを見たい。

2007~2009年の3連覇の時のような個性あふれる集団構築を期待

 初陣は14日の福岡戦だ。「指導者としての野心はほとんどない」と言う岩政監督はこの3~4日間で選手個々のよさを最大限引き出し、チームとしての総合力を高めるように仕向けてきているはずだ。

現役時代の岩政。当時のような個性あふれるチームを見たい(筆者撮影)
現役時代の岩政。当時のような個性あふれるチームを見たい(筆者撮影)

 就任会見でも「昔で言えば、僕みたいにへたくそだけどヘディングの強さとか口うるささでチームに貢献した人間もいれば、野沢拓也やモトさん(本山雅志=クランタン・ユナイテッド)みたいに、気分屋だけど天才的なひらめきや技術でチームを勝たせる選手がいた。いろんな個性を尊重し、枠組みを作っていくのが僕のやり方」と語ったが、かつての魅力的で強かった鹿島を彷彿させるようなチームを作れれば理想的。もちろんJリーグ監督経験がない分、苦難も伴うだろうが、そういう時こそ、卓越した言語化能力で周りの理解を取り付け、和を作ってほしい。

 いずれにしても、田代、青木というかつての盟友同様、筆者も岩政新監督率いる新生・鹿島の前向きな変化が楽しみで仕方がない。(本文中一部敬称略)

スポーツジャーナリスト

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から7回連続で現地へ赴いた。近年は他の競技や環境・インフラなどの取材も手掛ける。

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