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「子どもの権利」の視点から考える少年事件報道・平野裕二氏との対話(第四回)

藤井誠二ノンフィクションライター

今年2月神奈川県川崎市で13歳の少年が殺害される事件が起きた。加害者は17~18歳の少年3人で、主犯は18歳の男だとされる。この事件は連日おおきく報道され、週刊誌は確信犯的に実名報道をおこない、ネット動画投稿サイトには容疑者宅の前から中継する動画も投稿された。この事件の「展開」について、かつて私も活動をともにしていた、国連の子どもの権利委員会を初回から傍聴、日本に伝え続けてきた平野裕二(アークARC Action for the Rights of Children 主宰http://www26.atwiki.jp/childrights/ )と意見を交換した。18~19歳の少年の「実名報道」について議論がかまびすしいが、私と平野の考え方の差異や同調する点を「議論するための前提知識」として、吟味しながら読んでいただきたい。

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■法によって「18~19歳」が大人か子どもかが、バラバラなことをどうか考えれ

ばいいのか

■少年法の「秘密主義」から変えなくては教訓化できないのではないか

■「子どもの権利条約」の子ども年齢「18歳未満」に倣ったらどうか

■社会の受け皿をどう確保していくかのほうが重要ではないか

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■法によって「18~19歳」が大人か子どもかが、バラバラなことをどうか考えればいいのか■

平野:

日本の法律でも、たとえば児童福祉法や都道府県の青少年条例は基本的に18歳未満が対象だし、「大人」と「子ども」の線引きはもともと一律じゃないからね。法律や制度の目的によって線引きは変わってくる。子どもの権利条約も、18歳・19歳の若者に適用する国際法上の義務はないというだけで、たとえば18歳・19歳についても条約の規定を準用するという判断をそれぞれの国で行なうのは自由だ。

藤井:

日弁連は2月26日、たとえ他の法律で「18歳以上は成人」と扱うようになったとしても、少年法は現在のまま「20歳未満」を適用対象とすべきだという意見書を法務大臣に提出したよね。先日、全党一致で賛成している(ただし共産党のみ国会論議を見届けてからという立場)「18歳選挙権」の法制化を意識してのことなんだけど、どうなんだろう?日弁連子どもの権利委員会幹事は斎藤義房弁護士。かつてはぼくもよくお世話になった。「弁護士ドットコム」等のサイトや意見書全文を参照してポイントをまとめてみると、少年事件全体のうち18歳と19歳の少年が被疑者となる事件は約4割を占めていると指摘し、同年齢はまだ精神的・社会的に未成熟で、対象年齢を18歳未満に引き下げれば、「少年の立ち直り・成長支援と再犯防止を阻害する」と批判している。もし、18歳や19歳の若者の事件が通常の刑事手続きで扱われるようになれば、「犯罪の背景・要因となった若者の資質や環境上の問題点に関する調査・分析」や、少年が立ち直るための「手当がなされないまま手続きが終わることにある」と危惧している。

平野:

これは、若者による犯罪にどのように対応すべきかという問題だね。18・19歳が社会的に未成熟というのは事実で、それにもかかわらず成人と同様に扱うようにするのか、引き続き少年法の適用対象にするのか、あるいは少年法の適用対象からは除くけど刑事裁判で一定の配慮を行なうようにするのか。いろいろ考え方があると思う。罪を犯したことに対する「責任」を問うことと、罪を犯したことからの「更生」はどちらも大事だけど、若者に対してはそのどちらをより重視すべきか、あるいはどちらを重視することが社会にとって利益になるのかという問題でもある。

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■少年法の「秘密主義」から変えなくては教訓化できないのではないか■

藤井:

日弁連が反対する理由として、「犯罪の背景・要因となった若者の資質や環境上の問題点に関する調査・分析」ができないという指摘があるけど、少年審判で審判となれば情報の一切は出てこず、とくに心理面や生育面での調査情報は今でも被害者遺族側が請求しても出にくい資料。これはぼくがずっと書いてきたことだし、少年法の秘密主義と保護優先主義はセットではじめて成立してる。もし、「犯罪の背景・要因となった若者の資質や環境上の問題点に関する調査・分析」を言うのであれば、まずは少年法の「秘密主義」を自己批判してから主張するべきじゃないのかな?

平野:

誰がどういう情報にどこまでアクセスできるようにするか、そして調査や分析の結果を社会的にどういう形で共有するかは慎重に検討する必要があると思うけど、確かにそれはさらに考えていかないといけない問題だとは思う。

藤井:

それに、こういうときは必ず「発達成長権」を前面に押し出して、少年法を守ろうという論理展開になるよね。「発達成長権」は子どもの権利条約の重要な主旨で基本的にはその理念には誰も反対できないと思うんだけど、そこで子どもの権利条約を出すなら、年齢も条約と同じように18歳未満を子どもにならしたほうが説得力があるんじゃないかな?どうしてそこで「二重性」が出てきてしまうの?そもそも、批准した1990年以降、子どもの年齢をならそうという議論は出てこなかったの?

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■「子どもの権利条約」の子ども年齢「18歳未満」に倣ったらどうか■

平野:

18歳選挙権を求める動きはわりと活発だったけど、さっきも言ったように何歳で線引きするかは法律や制度の目的によって違ってくるから、いろんな分野で全部18歳を基準にしようという議論はあまりなかったんじゃないかな。

藤井:

国民投票法や18歳選挙権の議論や、飲酒年齢とか、そういうものといっしょにするなという議論はなかなか社会の理解を得にくいと思うんだけど。

平野:

個人的には、子どもの権利が幼いころからもっとちゃんと保障されるようにしていけば、少年法の適用対象も18歳ということにしていいとは思う。ただ、いま「18歳選挙権」という形で議論されているのは投票する権利だけなんだけど、たとえば被選挙権は、参議院で30歳、衆議院や地方議会でも25歳だよね。言い換えれば、社会の一員として全面的に責任を負えるのは25~30歳からだ、という認識が残っているということでもある。これを引き下げるという議論は、今のところほとんど聞かないよね。もちろん、議員になれるのは一定の社会経験を積んでからにしようという考え方はあっていいと思うけど、じゃあそれまでは犯罪への対応でも一定の配慮をしようという議論も成り立つんじゃないか。

藤井:

なるほど、そういう考え方もできる。ただ、穿った言い方をするけど、少年法に都合のいい部分だけ子どもの権利条約を使って、でも年齢は子どもの権利条約に合わせないというふうに見えてしまうところもあるんだ。

少年法は2001年から改正を重ねてきて、実質的には、看板や理念は変わらないけど運営面でかなりの変化をしてきた。被害者や被害者遺族の権利が認められ、非公開だった家裁の審判も傍聴・発言できるようになった。原則的に16歳以上が犯した犯罪で、被害者が死亡したケースは、検察官のもとへ逆送致され、大人と同じ刑事裁判に付されるようにもなった。ぼくはこうした改正は厳罰化とはいえないと思うのだけど、昨年(2014年)には少年法の考え方を体現してきた「不定期刑」の上限が上がって15年になった。だから、川崎の事件の主犯を厳罰にせよとか叫んでいる意見を目にすると、そういう改正は知っているのかなとも思う。どういう厳罰かはわからないけれど、死刑にせよと叫んだところで、判例的には難しいし、そういう「現実」をわかって叫んでいるのかな。「不定期刑」を変えるために尽力したのは、大阪の「少年犯罪被害当事者の会」の遺族たちなんだよね。法務省の検討委員会に入ってそこをずいぶん主張されてきた。家族を殺害された遺族の大半が加害者を同じ目にあわせたいと思うのはとうぜんなのだけど、遺族は人達はそんなふうに法律がなっていないことを誰よりも知っているから、現実的かつ冷静に少しずつ少年法を変えてきたという歴史がある。厳罰化を叫ぶ人たちはそういう遺族の懸命の努力を知ってから言ってもらいたい。ぼくは遺族の求める「厳罰化」に反対ではなくて「適罰化」と言っているけれど、ただ死刑にしろと吹き上がるだけでは何の実効性もないよ。さらに厳罰化をするとなると、「同じ罪でも大人より罰を一等減じる」という少年法そのものを壊してしまうか、成人への量刑もふくめて、過去の判例を無視して日本の量刑体系全体を変えて「重罰化」してしまうしかないのだけど、叫ぶだけってほんとうに無責任だと思う。

平野:

おそらくそういう現実はほとんど知らないのだと思う。これはいじめや体罰についても言えることだけど、政治家でも、社会的な耳目を集める事件が起きるたびに思いつきで厳罰化や規制強化を叫ぶことが多いからね。今回もさっそく厳罰化を叫ぶ政治家が出ているようだけど、その前に、これまでの少年法改正の効果をきちんと検証してからにすべきだと思う。

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■社会の受け皿をどう確保していくかのほうが重要ではないか■

藤井:

凶悪な少年事件は減少しているけど、やはり再犯率は高いのが現状。実名報道云々や、大人か子どもの線引きをどうするかという問題の立て方だけで騒いで終わりではなくて──年齢の引き直しや量刑の問題は大事だと思うけれど──むしろ社会に出てからの受けいれ先や受け皿、受けいれる側の人的資源の問題、引き受ける保護者の再教育、少年院や少年刑務所の中での更生プログラムや、被害者や被害者遺族(がいるケース)への贖罪教育等にもっともっと力を入れるべきだと思うんだ。ぼくが取材してきた加害者の再犯を見ているとそう思う。が、それに関わる制度や社会資源が少なすぎる。制度上、「子ども」と「大人」の線引きは必要だけれど、十代は未熟で、少年法に手を出すなという議論と、厳罰化せよという議論だけでは何も前に進まない気がするんだ。

平野:

それは本当にその通りだと思う。実名報道にしても厳罰化の主張にしても、とにかく罪を犯した少年やその親を非難して溜飲を下げたいという気持ちが先に立っているんではないかと感じることが多い。どうすれば、効果的な更生や再犯防止が可能な社会をつくれるのか、そして被害者・被害者遺族の回復を支援できるのか。そういうことを、きちんとした調査研究と分析に基づいて議論すべきだと思う。そのためにも、少年犯罪に関する情報をどう共有するのかというのは大事な問題ではあるんだけど。

藤井:

「厳罰」も被害者や被害者遺族の回復には不可欠な要素ではあるのだけど、それだけでは回復や再犯予防につながっていかない。今回は久々に意見が交換できて、勉強になった。ありがとう。

(終わり)

※本記事は公式メールマガジン「The Interviews High (インタビューズハイ)」の3月23日に配信したものです。

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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