「バスに乗り遅れるな」そのバスは大抵間違った方向へと走っている
「バスに乗り遅れるな」の起源はさほど古くない
「バスに乗り遅れるな」とは1929年に始まった世界恐慌後の世界情勢において、「強い指導力の下に挙国一致で国を動かす」全体主義が、国の経済的・社会的苦境を救うとの気運が高まったことを受け、その時流に乗り遅れないようにとのスローガンとして用いられた言葉。意味としては「勝ち馬に乗り遅れるな」「早く話に乗らないと損をするぞ」。
そして「バスに乗り遅れるな」には、「正しい方向に進む」に加え、「とにかく乗り遅れるな」との意図が加わっている。むしろ後者が優先している場合が多い。要は「急かせて聞き手に熟慮させる余裕を与えない」との意志が少なからず盛り込まれている。もしその事象が本当に正しいもの、価値あるものだと自信を持って聞き手に推奨できるなら、わざわざ「早く話に乗らないと損をするぞ」的な表現を使わなくとも済むはずである。そして多くは「正しく無い(かもしれない)けれど、急かして同意させよう」という意図があることが見えてくる。
「乗り遅れた」ら恩恵にあずかれないではないか、とする反論もあろう。しかし概して熟慮する位の時間はある。本物のバスではないのだから。
そして「とにかく乗れ、乗り遅れるな」と急かされたそのバスが、正しい方向に向かっているとは限らない(経験則の限り、むしろ間違った方向であることが多い)。少なくとも急かされて乗ってしまった場合、十分に判断した上での選択では無くなる。それは多分に急かした側に誘導された結果となってしまう。
飛び乗ったのは正しい電車か
発車時間ぎりぎりで駅に駆け込んだところ、目の前で扉が閉まる寸前の電車に遭遇し、慌ててその電車に飛び乗る。落ち着いて車内放送に耳を傾けたら、まったく別の方面に向かうものだった……という経験はあるだろうか。これは「正しい電車に乗る」よりも、「扉が閉まる目の前の電車を逃さないように、乗り遅れないように、とにかく乗る」との判断が優先した結果起きたミスである。
このパターンは「振り込め詐欺」にも似ている。「振り込め詐欺」とは電話越しに親近者に成りすまして危機を訴え、すぐにでも対応行動(多くは特定口座への金銭の振り込み)をするように急かすものだが、心理的な仕組みとしては次の通りとなる。
人間の判断は大きく「自動的処理」「熟慮的処理」の2過程を経ることになる。そこで対象者を急かしたり脅迫することで「自動的処理」を優先せさ、「熟慮的処理」をないがしろにさせてしまうことにより、誤った判断をさせるというものである。次の図は2008年10月に内閣府が公開した「振り込め詐欺」に関する分析「消費者の意思決定行動に係わる経済実験の実施及び分析調査」に当方で追記した、振り込め詐欺でだまされてしまう人の心理パターンを図式化したもの(詳しい分析は「オレオレ詐欺、最大の防止策は「ゆっくり考えていってね」」で行っている)。
この流れは、「バスに乗り遅れるな」の仕組みとよく似ている。つまり「乗り遅れるな」と急かすことで「自動的処理」を聞き手に優先させ、「熟慮的処理」をないがしろにさせている次第である。
群衆心理も作用する
また「バスに乗り遅れるな」は、「周囲の人達があのバスに乗っているのだから、あなたも早く乗らないと」という、群衆心理をも利用している。この群衆心理とは「見も知らずの周り人が走っているから自分も一緒に走ってしまう」「何が売っているのかも分からずに、行列があるからそこに並ぶ」が良い例。
これは個々の状況が(特に精神的・情報量的に)不安定におかれている場合に、特に良く起きる。個々の意志が強固であれば自分の判断で考える心の余裕があるが、足元がぐらついていたり自信がない状態では、つい流れにさからわずに従ってしまう。明確な判断力の欠如した状態において、群衆心理を突いた誘導、そして場合によっては乗り遅れることによるマイナス要素の提示という圧迫により、人は流れに従い、「バスに乗ってしま」いかねない。
さらにいえば、「熟慮的処理」をさせないことに加え群集心理を巧みに使った切り口としては、通信販売などにおける限定販売が好例となる。販売数限定商品を「思わず」購入した後、何でこのようなものを買ったのかと後悔したことがある人は多いはず。ましてやネット上で他に買った人の話を見聞きすると、ついつい「あとさき考えずに」購入ボタンに手が伸びてしまうものだ。
そのバスは本当正しいのか、最良の策は「少し待つ」
よく考え直してみよう。「バスに乗り遅れるな」と急かされた、その内容は本当に正しい選択肢なのか。自分にとって、皆にとって、プラスとなる選択肢なのか。
「オレオレ詐欺」における最大の対策は、熟慮の時間を確保するため、「少し待つ」ことであるとされている。この対策は「バスに乗り遅れるな」にも当てはまる。「バスに乗り遅れるな」との言葉と共に、何かを急かされる選択に遭遇したら、逆に足を止め、じっくりと時間をかけて考えるべきである。むしろその言葉「バスに乗り遅れるな」を、熟慮のシグナルと見なしても構わない。
どのみち「バスに乗り遅れるな」とされる選択肢は、明日も明後日も同じように語られ、選択を迫られることになる。考える時間はそれなりに残っている。言われたその場で即決する必要など無い。本当に「バスに乗り遅れるような状況」ならば、その言い回しすら使われないからだ。
標語にすれば「あわてるな そのバスホントに 正しいの?」とでもなるのだろう。
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