Yahoo!ニュース

ある「人を殺してみたかった」事件の精神鑑定書を再読して考えたこと

藤井誠二ノンフィクションライター

またも「人を殺してみたかった」という動機を加害者が口にする事件が愛知県名古屋市で起きた。加害者は名古屋大学理系学部に通う女子大学生で、被害者は宗教の勧誘に加害者のアパートを訪問した七十代の女性だった。被害者の女性の行方がわからなったという届けを受け、警察が捜査をはじめたところ、被害者が行方不明になる直前にふたりが一緒にいるところが目撃されていたところから、捜査線上に女子大学生が浮かんだ。

女子大学生は自宅アパートで女性を手斧とマフラーを使って殺害し、浴室の洗い場に遺体を放置したまま宮城県の実家に帰省していた。警察は女子大学生に電話をかけ、任意で名古屋へ戻るように求め、アパートへ同行、殺害から一ヶ月以上経った遺体を発見する。女子大学生は緊急逮捕された。警察からの電話に対して女子大学生は「名古屋に戻る予定はない」と告げたというから、いったい遺体をどうするつもりだったのか。

私は事件の翌日、取材を続ける朝日新聞記者から情報をもらいながらインタビューを受け、女性のツイッターに書き残した言葉の数々も読んだ。犯行当日とされる十二月七日には〔ついにやった。〕と書き込んでおり、前々日には〔名大出身死刑囚ってまだいないんだよな。〕ともある。女子大学生徒の書き込みには、一九九七年に神戸で起きた児童連続殺傷事件の加害者(当時十四歳)への憧れを示す書き込みも多いが、思えば神戸事件の加害者も「人の死を理解するためには人を殺さなければならない」と供述していた。名古屋大学の女子大学生は子どもの頃から毒物の研究をおこない、高校時代に男子高校生に毒物を盛り、視力をほとんど失わせたという。

二〇〇〇年には愛知県豊川市で男子高校生が学校近くの老女を殺した。二〇〇八年には奈良県大和郡山市で十七歳の長男が斧とサバイバルナイフで就寝中の父親を襲い、殺害している。両方の事件とも「人が死ぬところが見たかった」「人を殺す経験がしてみたかった」ということを供述している。さらに、昨年(二〇一四年)三月に長崎県佐世保市で起きた同級生を殺害した女子高校生も同様の動機を語ったとされるのは記憶に新しい。少女は被害者を「解剖」するように損壊した。少女はかつて農薬を給食に入れたことや、事件直前には父親をバットで襲い、撲殺しようとした。父親殴打は事件化されなかったが、娘が殺人を犯したあと父親は自殺した。すべての加害者に共通するのは、罪悪感を持つことができず、淡々と事情聴取に対しては動機めいたことを話し、「反省」を求められても、どう反省をしていいのかわからないことだろう。

私が徹底取材をして単行本『人を殺してみたかった』(双葉文庫)にまとめたのは、豊川市で起きた事件である。家裁が採用したのは弁護側がおこなった精神鑑定で、大まかに内容を説明すると、少年は先天的な発達障害の一種で、それゆえに「人の死」へのこだわりがとれず、一般的に他者が感じる「痛み」に対して共感力が著しく欠落しているという特性や家族環境も手伝い、「経験殺人」を制御することができなくなってしまったというものだ。発達障害は事件の直接的原因ではないが、そのパーソナリティが何らか影響しているのでないかと指摘をしたのだ。家裁は加害少年を医療少年院へ送致した。

その事件以降、同類の十代や二十代の若者が引き起こす事件の精神鑑定にはこの先天的な発達障害や行為障害が必ずといっていいほど持ち出されるようになった。刑法三九条の「心神耗弱」や「心神喪失」と違って、減刑や寛刑の理由にはならないし、するべきではないが、「障害」を持ち出して説明されることにより、彼らの理解しがたい動機を「社会」と切り離すような印象を私たちはいつしか抱くようになってしまっていないだろうか。「人を殺してみたい」という言い方はたしかに病理的だし、サイコパスであると決め付けてしまうのはたやすい。しかし、あえて彼らの言葉を病理の範疇に入れず真正面から受け止め、彼らの悪びれない姿を、心や感情を何を動かすことができない様を、私たちの生きるコミュニケーション環境に引きつけて考えていくべきではないかと思うのだ。そもそも、何らかの発達障害であると精神鑑定をされても、それは殺人を犯したことの説明にはならないし、たとえば豊川事件は専門家の中でも意見が分かれ、「発達障害」の専門家が発達障害とした精神鑑定を否定することも起きた。議論を深めるためには少年法等でプライバシーを理由に、事件の詳細を隠蔽するべきではないだろう。

一昨年亡くなった、犯罪心理学者の小田晋氏が書いた、豊川事件についての「精神鑑定書」を私はいま読み直している。事件は家裁で保護処分が決定したため、この資料は公開はされていない。私が独自取材で入手したものだ。その鑑定主文から何カ所かを抜き書きしてみたい。まず、〔被疑者の死に対する興味について〕という部分から。

〔(前略)小学校時代から「死」について関心があったと述べている。内容は「なぜ生き物は死ぬのかな。死んだらどうなるのかな。」というものだという。鑑定時の問診では、「人を殺すことを考えたのは、小学校高学年の時じゃないか。ニュースで殺人事件を見て、「自分が人を殺すとどうなるのかな」とか、「人が埋葬されてお墓に入るというイメージ、幽霊みたいなものもあるのかなとか思った」と述べたり、「中学校時代、戦争の話しとか、死に方の話とかきいて、自分はどんな死に方をするのかなと思った」と述べたり、「中学校時代、殺すならどうやって殺すのかなと考えた」などと述べている。また、「自分が誰かを殺してみよう」と思ったのは高校に入学してからで、特にきっかけはなく頭に浮かんできたと言う。高校一~二年の頃、「誰か殺そうかな。殺したらどうなるのかな、どうやって殺すのかな」という考えが出てきては馬鹿馬鹿しいからやめようと思ったことがあったという。それは徐々に進展したものではないと言う。今回の殺人決行についての決断理由は絞り出さないと出てこないくらい思いつかないと言い、部活動を引退してすることがなかった、刑務所生活がしてみたいというのもあった。漫画「バガボンド」で人が死んだシーンも影響があったと思ったので、警察や検察ではそういうことにした、と述べている。また、神戸酒鬼薔薇事件については覚えているが、自分の犯行が影響を受けたことは否定している。〕

そして鑑定主文として次のように書いている。

〔被疑者は知的には優秀で、犯行当時意識障害、幻覚、妄想、思考の障害、痴呆などを呈する精神病の状態は存在せず、抗拒不能の衝動を生むような精神障害も存在しなかった。被疑者は分裂病質人格傷害または高度の分裂気質者であるとは考えられるが、行為障害、反社会性人格障害には属していない。いわゆる境界例というのとも異なる。

犯行は、殺人および殺人犯になることを体験したいという願望に基づく「殺人のための殺人」あるいは「退屈からの殺人」が動機というほかはない。背後には分裂性性格の病的な合理主義、無感動が、思春期における分裂気質特性の前景化と意識下の衝動の亢進が存在したがそれらは精神分裂病気質によって生み出されたものとは言えない。

従って犯行当時被疑者は精神の障害によって、事理を弁識に従って行為する能力を失っていたわけではなく、これが著しく障害された状態にあったということもできない。〕

加害少年の言葉等、事件の詳細については『人を殺してみたかった』に書いたが、あらためてこの鑑定書を読んでみると、病理に押し込めるだけではなく、人間とはいったいどのような生き物なのかという問いかけを止めないことが、やはり必要なのではないかと思わされる。加害者は鬼畜で野獣のような少年や少女たちではない。彼らの「冷酷な合理性」は人間の不条理性を具現化したようかのように思えるが、それはいったいどうしてなのだろうか。

いま子どもたちをめぐる精神医学や心理学の世界は「発達障害」ブームともいえる。私が『人を殺してみたかった』を書いていたときには小学生の数人に一人は発達障害だという説を唱える専門家が注目されだしたし、「学級崩壊」などクラスに数人はいる多動性の発達障害の子どもたちが関係しているという説も普遍的になりだした。最近では大学に入学してくる生徒の過半数が診断的には「広汎性発達障害」の範疇に入るので、有名大学では対応に四苦八苦しているという話も聞こえてくる。こうなってくると、すでに「精神病理」の範疇を超えた「社会病理」だとも言えるが、むしろ「社会病理」の中に私たちの姿を映し出してみせたほうがいいと思うのだ。

(この文章はインターネットニュースサイト「THE・PAGE」2015.2.9配信の文章に加筆を施したものです)

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

藤井誠二の最近の記事