ロシア危機のあった1998年に日本であった出来事
昨日のコラムでは「ロシア危機再来の可能性はあるのか」と題して、1998年のロシア危機について触れたが、その1998年には何が起きていたのか。この年は日本の債券市場にとっても大きな区切りの年となっていた。この年に何が起きていたのか。すでにネットで「債券ディーリングルーム」が存在しており、当時自分で書いていたものからピックアップしてみたい。
1998年1月5日のコラムでは「日本景気の先行き不安から円安も進行している。金融システム危機もまだまだ続きそうである。日本版ビックバンもいよいよスタートする」と書いていた。 ホケットモンスターにも触れており、流行の兆しを見せていた。2月7日からは長野冬期オリンピックが始まった。
3月には日銀の証券課長が収賄容疑で逮捕された。漏らした情報のなかには日銀のオペに関することや短観の情報も含まれているのではにいかとの容疑がかけられていた。ウィンドウズ98のベータ版が届いたとあり、今回の日銀総裁人事は速水優氏に決定したとも。ジェームズ・キャメロン 監督のタイタニックが、アカデミー賞を11部門で獲得した。
4月にビックバンがスタートした。5月には最近、音声入力装置付きのパソコンが売り出されているとの記述も。「なんでこんなに金利は低いのか」という企画もやっていたようだが、1998年5月頃の長期金利は1.5%近辺であった。それでも低く感じたのは長期金利は1990年の8%あたりから下落傾向を辿って過去最低を記録していたためである。
6月からフランスにおいてワールドカップが開催された。円債が一時急落したが火を付けたのは、久しぶりに大きな手口を見せたヘッジファンドといわれた。日米の金融当局は、ドル高円安の動きを止めるべく円買い介入を実施した。
7月に金融再生トータルプランが正式に決定した。ムーディーズは日本国の外貨建て債務および銀行預金に対するカントリー・シーリング、および日本政府が発行もしくは保証する円建て債券の格付けを現行のAaaから引き下げの方向で見直すと発表。小渕内閣が誕生。これほど期待されていない総理大臣もめずらしいとコメントしていた。
8月に金融市場が最も注目しているのが、大手銀行の破綻問題とあった。9月10日に日銀は無担保コール翌日物金利の誘導目標を0.25%前後に引き下げた。3年ぶりの金融緩和である。11日には長期金利が1%を初めて割り込んだ。
そして、こんな記述もあった。アジアの金融危機が飛び火したのがロシアと中南米である。米露首脳会談がモスクワで開かれているが、ルーブルを切り下げてもさらに混乱を加速させたロシアは、首相の承認すらままならない。エリツィン大統領もかなり追い込まれている。そして、先進国で唯一景気がしっかりしていた米国が揺れている。スイス金融機関も損失の原因がロシアであったようにロシアの金融危機がユーロに影響を与え、またメキシコ、大幅な金融引き締めをせざるを得なくなったように中南米へと影響が広がった。
10月に入ると世界のマーケットが動揺していたとある。日銀短観が予想以上に悪化し、日本の景気悪化により円安が進行し、それはエマージング市場と呼ばれるアジア市場を直撃した。それはアジアでもっとも成長が期待されていた中国にも影響し人民元の引下げ観測を呼んだ。こういったアジア諸国の動揺は、南米諸国にも影響、またロシア市場にも大きな打撃を与えた。10月3日には当局のチーペスト絡みのヒアリングの噂で、債券急落との記述もあった。
11月2日に東京証券取引所の先物端末が変更された。これまでと違い成り行き注文が入ると原則として止めなくなり、あっという間に値段が動いてしまうとの記述も。11月17日にムーディーズは、日本政府が発行もしくは保証する円建て債券の格付け、及び日本国の外貨建て債務及び預貯金に対するカントリーシーリングをAaaからAa1に引き下げた。これによる債券市場への直接的な影響はほとんどなかった。11月24日に東証でシステムトラブルがあった。
そして1998年12月に国債は急落し、運用部ショックが発生する。第三次補正予算が決定しそれによる大量の国債増発額が決まり、加えてこの時点で運用部の国債引き受けのシェアーは大幅にダウンした。これは一時的なものでないことが1999年度の国債発行計画で明らかとなった。資金運用部の余資は限られていた。過去最大規模の国債発行額だけに市中消化は60兆円を超えるものとなっていた。
これらをきっかけに債券先物は1988年8月以来、10年ぶりにストップ安をつけるなど急落したのである。この背景には日銀の緩和策、1%を割り込んだ長期金利の反動、日本国債の格下げ、東証のシステム変更なども影響した可能性があるが、国債需給による影響が大きかったといえる。