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梅毒の歴史と皮膚症状 - 500年にわたるパンデミックと人類の闘い

大塚篤司近畿大学医学部皮膚科学教室 主任教授
(写真:イメージマート)

梅毒は、500年以上にわたって世界中で猛威を振るってきた感染症です。その歴史は、罪や恥辱、神の罰といったイメージと結びつき、感染者の人生のみならず、社会全体に大きな影を落としてきました。本記事では、梅毒の歴史を振り返りながら、その皮膚症状や社会的影響、そしてペニシリンの登場によるパンデミックの終焉までを詳しく解説します。

【梅毒の発生と初期の状況】

梅毒は、1495年にイタリアのナポリで突如流行し始めたと言われています。当初は非常に激しい症状を引き起こし、感染者の多くが数週間から数ヶ月で死亡したと記録されています。感染経路が性的接触であることから、道徳的に非難され、差別の対象となりました。梅毒に感染することは、罪深く恥ずべき行為の結果だと考えられたのです。各国は自国の感染を隣国のせいにし、感染者を厳しく取り締まりました。

【梅毒のもたらす皮膚症状】

梅毒は全身の様々な臓器に影響を及ぼしますが、特に皮膚症状は深刻です。感染初期には、無痛性の潰瘍が現れ、数週間から数ヶ月後には全身に発疹が広がります。この発疹は、掻痒を伴う紅色の斑点や丘疹で、時に膿疱を形成することもあります。さらに病気が進行すると、結節やゴム腫と呼ばれる大きな腫瘤が皮膚や粘膜に現れ、醜状を呈します。

これらの皮膚症状は、感染者の容姿を大きく損ね、差別や偏見の原因となりました。また、他の皮膚疾患と混同されることも多く、診断や治療を難しくしていました。梅毒の皮膚症状は、感染者の肉体的・精神的苦痛だけでなく、社会的な排除や孤立をもたらした点で、特に大きな問題だったと言えるでしょう。

【先天梅毒児の悲劇】

梅毒に感染した妊婦から生まれた先天梅毒児も、重篤な皮膚症状に苦しめられました。生下時は症状がなくても、数ヶ月後には全身に発疹が現れ、適切な治療を受けないと、ハッチンソン歯や鞍鼻、角膜炎などの特徴的な症状が現れます。多くの先天梅毒児は、早期に命を落とすか、一生涯にわたって症状に苦しめられました。

【不十分な治療と社会的影響】

500年近くにわたり、水銀や砒素を用いた不十分な治療法が行われましたが、効果は限定的で、多くの患者が長期にわたる苦しみを強いられました。19世紀末になってようやく、梅毒の原因である梅毒トレポネーマが発見され、血清学的診断法が開発されました。しかし、根本的な治療法の開発にはさらに時間がかかりました。

梅毒は社会に大きな影響を与えました。感染者は差別や偏見にさらされ、社会から隔離されました。特に売春婦は、梅毒蔓延の主な原因と見なされ、厳しい取り締まりの対象となりました。一方で、梅毒は芸術家や知識人の間でも流行し、創造性を高めるという誤った考えから、感染を望む者さえいました。

【非倫理的な臨床研究】

20世紀に入り、梅毒に関する臨床研究が行われるようになりましたが、倫理的に問題のある研究もありました。米国で1932年から1972年まで行われたタスキーギ梅毒研究では、感染者に適切な治療が行われず、結果として多くの被験者が重篤な症状に苦しみ、命を落としました。この事件は、人権を無視した非倫理的な研究の危険性を世に知らしめる契機となりました。

【ペニシリンの登場と梅毒パンデミックの終焉】

1940年代にペニシリンが登場し、梅毒のパンデミックは終焉を迎えました。しかし、抗生物質への耐性が生じる可能性や、ワクチンが存在しないことから、再び流行する危険性は残されています。また、近年、男性同性愛者の間で梅毒感染が増加傾向にあることが指摘されています。

梅毒の歴史は、感染症がもたらす差別や偏見、社会的排除の問題を考えさせてくれます。同時に、感染症との闘いにおける医学の重要性と、倫理的な研究の必要性も教えてくれます。梅毒の恐ろしい皮膚症状と、それが感染者の人生に与えた影響を知ることは、現代に生きる我々にとって貴重な教訓となるでしょう。

参考文献:

1. Tampa M, et al. Brief History of Syphilis. J Med Life. 2014 Mar;7(1):4-10.

2. Frith J. Syphilis - Its Early History and Treatment Until Penicillin, and the Debate on its Origins. J Mil Veterans' Health. 2012;20(4):49-58.

3. Acta Derm Venereol. 2024 Mar 4:104:adv34879. doi: 10.2340/actadv.v104.34879.

近畿大学医学部皮膚科学教室 主任教授

千葉県出身、1976年生まれ。2003年、信州大学医学部卒業。皮膚科専門医、がん治療認定医、アレルギー専門医。チューリッヒ大学病院皮膚科客員研究員、京都大学医学部特定准教授を経て2021年4月より現職。専門はアトピー性皮膚炎などのアレルギー疾患と皮膚悪性腫瘍(主にがん免疫療法)。コラムニストとして日本経済新聞などに寄稿。著書に『心にしみる皮膚の話』(朝日新聞出版社)、『最新医学で一番正しい アトピーの治し方』(ダイヤモンド社)、『本当に良い医者と病院の見抜き方、教えます。』(大和出版)がある。熱狂的なB'zファン。

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