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ベトナム人が見た日本 ~実習生・留学生急増の陰で~

阿佐部伸一ジャーナリスト
ビデオリポートのタイトルから

人口減少の日本と増収を望むベトナム

 日本の昨年の新生児は94万人、人口の自然減は40万人以上。出生率の回復は見込めず、再来年の20年には416万人の労働者が不足するという試算もある。企業や政府はその不足を外国人で埋めようとし、今や日本で働く外国人は128万人に達した。なかでも技能実習生と留学生がその4割を占め、中国人に代わってベトナム人が急増している。

 だが、外国人を受け入れる制度や法律、そして我々の社会はまだまだ熟れておらず、個々のケースでは人権問題に、総じては社会問題になりつつある。賃金の不払い、超過勤務、旅券の取上げ、パワハラ・セクハラ、強制帰国、保証金の徴収、アジア人蔑視・差別。そうした問題が起こるのは、ひとえに彼らの本国での暮らしぶり、思い、そして、来日のために抱えた多額の借金、そうした背景を理解していないか、見て見ないフリをしているからだ。

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写真:近年は台湾や韓国へ嫁ぐ女性が多いというメコンデルタ。ビデオリポートに登場する技能実習生、コンさんの留守宅はここからボートで30分の中洲にあった=2018年9月、ビンロンの船着場で。筆者撮影

 いま日本で働く約20万のベトナム人たちの故郷は、無数のバイクと車がひどい渋滞を起こし、高層ビルが次々と建設されているハノイやホーチミンシティではない。その殆どが経済発展から取り残された地方の人たちだ。今回は『ベトナム人が見た日本』という題で、彼らの出身地を訪ねた。

まずはビデオリポートをご覧いただきたい。

ベトナム人がいる職場へ

 そもそもこの取材を敢行したのは「急増している」というベトナム人労働者をこの眼で確かめようと、食品工場と宅配便の仕分け場で働いてみたことに始まる。

 その日は日曜日だった。最寄り駅から食品工場へ向かうマイクロバスは満席。何でも日本語能力検定の試験日で、外国人の工員がごっそり休んだ穴を派遣労働者で埋めるとのことだった。場内は想像を超え、衛生遵守条項や作業手順を説明する掲示物は全てベトナム語との併記になっていた。中国人とフィリピン人が少数いるが、7、8割がベトナム人だ。各セクションのリーダーも、日本語がある程度できるようになったベトナム人が担っている。日本人といえば、事務員と現場監督、そして、休んだ外国人を補填する我々派遣といった具合。時給は1,000円ポッキリ、最寄り駅までの交通費も出なかった。

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写真:盆休みの夜、コンビニ弁当工場の終夜勤務に向かうベトナム人たち=神戸市東灘区で。筆者撮影

 また、ネット通販の激増に伴って深刻な人手不足が続くという宅配便業者では、仕事の流れや注意点を説明するビデオに、またもやベトナム語の字幕が入っていた。タイムカードの氏名を見たり、周囲の会話に聞き耳を立てたりすると、やはり相当数のベトナム人に頼っている様子だ。

「人気」の理由

 この二つの事業所は連日インターネットでも求人していて、人が足りない日には「急募」と見出しが立ち、その日だけ時給を上積みし、交通費も支給。そんな職場でベトナム人たちと一緒に働いて思った。彼らの健康と志気、品質維持のためにも90分毎くらいに小休止を入れるべきだ。たとえ弁当や宅配便が100円値上げされても、不買運動は起こらず、社会も混乱しないだろうにと。

 だが今回、ベトナム人たちに聞いてみて驚いた。日本人が嫌がり、真っ先に人手不足に陥っている職場でも、彼らにとっては人気の仕事なのだ。その理由は、まず日本語が話せなくてもできる仕事であること。次に、残業がなく、確実に休日が取れることだという。

 日本語能力を求められる仕事に就くまでには、授業料や学習時間などの先行投資が必要。また、零細企業では報酬や勤務時間、休日が曖昧になりがち。「人気」はそんな判断によるものだった。

「奴隷」と非難される技能実習制度

 1993年に始まった外国人を実習生として受け入れる「外国人技能実習制度」。当初それは日本の技能を途上国の経済発展につなげてもらう「国際協力」を目的としていた。今や対象は農漁業や建設、介護など77職種に拡大され、実習期間は最長5年となっている。国際研修協力機構(JITCO)によると、団体管理型の受け入れが96.4%、7割近くが従業員数19人以下の零細企業で働く。技能実習生は昨年末で27万4千人と、4年前の約1・8倍に増えている。

 この団体管理型というのが、当リポートで焦点を当てている型式。実習生は送り出し企業に斡旋(手数)料を払い、送り出し企業は実習生に来日前の日本語研修を施し、就労するために必要な書類も作成、来日後の見守りやトラブル対応も一応はすることになっている。だが、実習生の負担となるこの斡旋料の内訳が不透明で、送り出し企業によって40万円から100万円以上と幅があり問題視されている。

 また、「国際協力」という建前と「安価な労働力確保」という本音の間には大きな隔たりがある。厚生労働省の報告をみても、受け入れ企業の約7割に労働法規違反があり、指摘された事業所は4千を超える。違反内容は多い順に労働時間、安全基準、割増賃金、衛生基準で、違反が重複しているブラックな企業もある。外国人ということで、差別はないか。「奴隷制度」や「人身売買」だという国際的非難が起こっていて、日本の評価を下げている。

実習先企業の接待場

 「シャチョ、シゴト何?メンセツ?」。片言の日本語で聞いてくるホステス。シャツの間から手を入れて胸を触りながら話しかけてくる。客は多い順に日本人、韓国人、中国人とのこと。自分も日本に行きたいとせがむ女性がいたり、ベトナム人を受け入れたい日本企業が多く来ているようだ。ビデオでの送り出し企業の幹部の証言にもあった日本企業を接待しているという“KTV=カラオケ”へ行ってみた。

 重厚な扉の外へ40歳くらいのママが出てきて、ホステスとの店外デートを含め、料金を米ドル建てで明確に日本語で説明。口の字型に走る廊下の両側に12畳くらいの個室が10室ほど並び、カラオケの音響機器やソファー、絨毯は高給クラブなみ。ここは怪しい歓楽街などではなく、首都ハノイの四つ星ホテルの地下。客は選んだホステスと個室で酒とカラオケで遊んで自室へ、そのホステスが深夜零時に客の部屋を訪れるというシステム。道理で不釣り合いなカップルを街で見かけないはずだ。

 料金だが、一人当たりのGDPがベトナムの2・5倍ほどのタイの相場より高い。日本語を話すホステスの希少価値もあろう。だが、この国で風俗業は黙認ではなく、厳しく禁止されている。それだけに警察や監督官庁へ納める目こぼし代もかなりの額なのだろう。

 人手不足で困っている所へ、働きにきてもらう実習生の斡旋料に上積みされるこうした接待遊興費。彼らは日本で寝ずに働いて、その借金を返している。百歩譲って、実習生の面接に来る日本企業は、個人のポケットマネーで遊ぶべきである。

名ばかりの留学生

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写真:「仕事の話は聞かないで!」と手をかざす元留学生のクァンさん=ベトナム・ハノイ市のカフェで。筆者撮影

 日本でしか学べないことはそれほど多くなくても、留学生は増え、史上最多となっているのは、やはり勉学が目的以外の人たちにも政府が門戸を開き、入り易くしたからだ。留学生の人数でも今年ベトナム人が7万5千人と、実習生同様に中国人を抜きトップとなった。ベトナムでは斡旋業者が日本留学ブームを煽り、留学生は毎年1万人ずつ増えている。法律で週28時間までアルバイトが認められている留学生。彼らも人手不足に悩む現場を支えている。

 転職できず、在留期間が5年という実習生に対し、留学生はアルバイトを自由に選べ、進学すれば日本に居続けられる。しかし、留学生は来日のための斡旋料だけでなく、日本での授業料と生活費を自分で払わなければならない。そのため殆どの留学生は違法となる「週28時間」以上のアルバイトをしている。在留資格を維持するために昼間は授業に出なければならないので、夜勤に就いていることが多い。

 留学生はアルバイトで疲れ、学習に身が入らないが、斡旋業者とアルバイト先の企業、それに日本語学校は潤っている。

 ところで、ベトナムの送り出し企業へ払う斡旋料は、いま80万円から100万円が相場という。一人当たりのGDPが2千ドルを超えたばかりのベトナム人の感覚では500万円以上だ。その内訳は、ベトナム政府に納める約40万円と事前研修費、渡航費が主だ。しかし、その他に保証金やブローカーへの手数料、ビデオリポートでも指摘した実習先の日本企業を接待する費用が上乗せされることもあって100万円を超すことも。

 神戸とハノイの両方で話を聞いたクァンさん(28)も、こうしたベトナム人留学生の一人。日本語学校と専門学校に計4年通ったが、アルバイト漬けとなり、日本語もあの程度しか身に付かなかった。そのうえ、短期間に大金を稼ぐことを第一義に考えるようになり、帰国後に就職した送り出し企業については堅く口を閉ざした。

 日本政府は20年までに留学生を30万人にまで増やす計画で、日本語学校は急増し、過去最高の640校を超えている。外国人専用のような専門学校さえ出現している。しかし、学校法人は4分の1以下で、不動産業や人材派遣業などが経営する学校が7割近くを占めている。

板挟みにあう日本語教師

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写真:「移民と言えば、政権が持たないから、あんな留学生たちが来るんでしょう」。日本語教師の悩みを明かす尾崎康宏さん=大阪府の自宅で。筆者撮影

 日本語学校では全員がベトナム人というクラスも多くなっている。千葉県在住の日本語教師、ハンドルネームnaonaoさん(40)は「ビザを取らせるためだけの日本語学校が増えています」と。彼女は日本語を教えたくて日本語教師になったが「生活指導ばかりになる学校もあります。最初から学びたくなかったり、疲れて寝ていたりする生徒たちに教えるのが空しくて、教師を辞めてしまう人もいます」と明かす。彼女も日本語学校に嫌気がさしているようで、生徒を選べるよう「フリーランスの日本語教師」と名乗っている。

 また、大阪府在住の日本語教師、尾崎康宏さん(66)は「彼らの目的はアルバイトをすることで、日本語を学んだり、進学したりするために来ているのではありません」と断言する。夜勤を終えて登校し、学校は睡眠を取る所といわんばかりに机に突っ伏して眠り、宿題はせず、教科書も持って来ない生徒が多いという。最初のうちは厳しく注意していたが、ストレスから心臓の持病が悪化したのを機に放置するようにしたそうだ。

 大学進学や研究が目的でなくても、外国で働き、生活するにも、その国の言葉を習得することが必要だ。職場や日常生活で困ったことがあっても、話せないことにはその国の友人もつくれないし、相談することも、助けを求めることもできない。ベトナムの地方から初めての外国、日本という国に来た若者たちは様々な困難に遭遇している。日本語教師は生徒たちが困らないためにも早く日本語を習得してほしく思ってはいるが、彼らは借金を返し、日本での授業料と生活費を稼ぐことを優先する。naonaoさんも尾崎さんも、政府が即労働力として入国させた何万人もの“留学生”に当惑し、疲れ果てているように見える。

元ベトナム難民の奮闘

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写真:岡部さん(左)に保護された技能実習生のコンさん=福島県郡山市で。筆者撮影

 愛知県労働組合総連合によると、技能実習生の「失踪者」数は昨年7,089人に上った。ビデオリポート冒頭の技能実習生コンさん(34)は鉄筋の技能を実習するために来日したのだが、溶接や建物解体のほか、福島原発事故で放射能汚染された下水管の除染作業を1年半もさせられた。月給は8、9万円で、危険手当なども付かなかった上に、雨天で仕事ができない日には逆に5千円余りを徴収されたという。どんなに低賃金で劣悪な労働環境であっても、実習生は不満を言うと「強制帰国」させられたり、辞めると「失踪」とされたりする。自力で次の仕事を見つけたとしても、こっそり働くしかない。或いは、自費で帰国するしかない。

 そうした受け入れ企業の契約違反などで行き場がなくなった実習生らを、今年1月から福島県郡山市にあるシェルター『HINATA』で保護していたのが、福島外国人実習生・留学生支援ネットワーク代表の岡部文吾さん(37)だ。遠くは福岡県から新幹線を乗り継いで助けを求めてきたベトナム人女性もいた。最も多い時期は15人を保護し、企業や役所との間に入って未払い賃金の請求や失業保険の申請、実習先の変更などにも尽力していた。

 ビデオリポートで触れたが、岡部さんはベトナム難民の一人。統一後の南への迫害・弾圧を逃れ、ボートピープルとして国を脱出した両親に連れられ、マレーシアの難民キャンプを経て、8歳の時に日本にやって来た。日本の小学校へ編入したが日本語が分からず、同級生だけでなく教師からもイジメにあったという。彼は中学2年の夏休みに初めて里帰りした時のことを振り返る。「困窮するベトナムと日本の格差に驚き、自分は日本で何不自由なく育ち、教育も受けられ幸運だったと、そして、なんて不公平なんだと思いました」。彼が実習生らを保護したのは、そのショックと憤りが原点にある。

シェルターの限界から

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写真:「理想の送り出しを」と岡部さん(左端)も幹部に入った『タイン・ドー国際人材育成』の来日前研修=ベトナム・ハノイ市で。筆者撮影

 だが、シェルター運営には実習生の生活費と、交渉や相談のために実習先や入管、労働組合へ実習生を連れて行く交通費などで月々40万円以上を要したという。当初の寄付金は空き家を住めるようにするための修理費で消え、借入金だけが増えていった。岡部さんは行政やNGOにも支援を求めていたが「誰も助けてくれなかった」と言う。国が受け入れを認めた実習生なのだから、彼らのセーフティネットも国が設けるのが筋であるが、未だ公的な制度も施設もない。

 岡部さんは資金の限界以外に「シェルターは必要でも緊急援助であって、実習生や留学生の根本的な救済にはなりません」と、今年8月シェルターから手を引いた。そして9月からベトナムの送り出し企業と日本の受け入れ団体で働き始めている。両社は提携関係にあり、日越バイリンガルである彼には最適のポストだ。

 彼はトラブルを減らすためには来日の斡旋料を安価にし、実習生には「転職の自由」を認める2点を力説し、理想の送り出し・受け入れを目指している。確かに、その2点の改善で無理な働き方をしたり、「失踪」したりする必要はなくなる。同時に、日本語学校では眠る留学生が減り、実習生の受け入れ企業はより良い賃金と労働環境への努力をするだろう。 

拡がらない教訓

 「3年留学すれば、実習生で5年働けば、300万円仕送りできる」。ベトナムではそんな甘い口車に乗せられ日本を目指す若者が後を絶たない。

 今回の取材期間中、かつての研修生も含めて既に帰国している人から、これから日本へ行こうとしている人へ、ベトナム人同士での情報共有はできないものかと思った。その道具、スマホは地方でさえ日本並みに普及しているからだ。しかし、ブラックな斡旋業者や受け入れ企業の情報は、アップした者が嫌がらせを受けたり、情報自体が削除されたりし、ネット上には運良く良心的な業者や企業に当たった話だけが残っている。

 一党独裁の国では新聞テレビも政府事業の陰の部分に触れることはない。外国人ジャーナリストの小生も、外務省プレスセンターに高額な“みかじめ料”を払って監視員を付けていなければ、いまだに公道や公園ですらカメラを構えると公安に制止される始末だった。それゆえ日本側がイニシャティブを取らねば改善は難しい。

危うい見通し

 今年6月15日『経済財政運営と改革の基本方針2018(骨太の方針)』が閣議決定され、日本政府は本格的な外国人労働者受入れに踏み切った。それが目指しているものは、5年間の技能実習を終えた外国人や、一定の技能と日本語を身に着けた外国人を対象に、建設と農業、介護、造船、観光の業種で、さらに5年間の就労を認める新たな在留資格『特定技能(仮称)』の来年4月導入だ。

 しかし、計10年の在留ともなれば、その人の生活権はもとより、家族や結婚、子どもへの配慮が不可欠となる。福利厚生は考えているのだろうか。ビデオのコンさんの家族も、5歳の二女は無理もないが、小学5年生の長女すら父親のことを忘れかけていた。ベトナムの正月『テト』に休暇を与え、毎年里帰りさせている企業もあるが、まだ経営者の裁量しだいだ。

 また、政府は昨年11月「介護」を技能実習制度の対象に追加している。だが、日常会話ができる程度の日本語能力などの要件を課したため、介護実習生は中国からの2人にとどまっているという。そこで政府は20年夏までにベトナムから介護要員1万人を受け入れるという数値目標を新たに設定。日越政府間で覚書を結び、1年以内に3千人を目指すという。

 来日前の日本語研修費を支援するそうだが、そこには日本語より大きな障壁がある。今回現地取材をしてわかったが、日本の「介護技能」を習得しても、介護保険制度や高齢者施設などがないベトナムでは収入に繋がらないのである。外国人に「介護」してもらうには、彼らが長年日本に住んでからか、彼らの国に高齢者向けの産業が興ってからのことになろう。

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写真:日本へ行く前に『ラジオ体操第一』を覚えた若者たち=ベトナム・ハノイの『タイン・ドー国際人材育成』で。筆者撮影

日本を嫌いになってしまわないように

 これまでのフィリピンやイラン、タイ、中国などからの労働者と、今のベトナム人はその人数も、社会における位置づけも大きく異なってきている。今や外国人の存在なしに日本社会は成り立たない。その場しのぎの「労働力」ではなく「生活者」として受け入れるため、政府は現実に即して制度を見直すべきで、同じ社会に暮らす我々日本人も意識を変えていかねばならない。でなければ、混乱を招くばかりで、日本は魅力のない国になってしまう。

 中国人は自国経済が発展して日本との賃金格差が小さくなったことから減り続けている。また、労働者が行き先の言葉を習得しなければならないならば、汎用性が高い英語を話す国々を希望する。すでに台湾や韓国では語学研修や家族帯同を含め、ベトナム人労働者を日本より手厚く扱っている。労働対価はもとより人権意識でも日本より条件が良い国はたくさんある。ベトナム人労働者が日本で苦い経験をするばかりで、日本を嫌いになってしまっては先がないのである。

 技能実習生コンさんのその後だが、岡部さんの奮闘で待っていた離職票がようやく発行され、失業保険を遡って受け取れた。コンさんは「良い子にお土産を持って」ベトナムへ帰るそうだ。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の動画企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

 

ジャーナリスト

全国紙と週刊誌編集部、ラテ兼営局でカメラマンや記者、ディレクターとして計38年、事件事故をはじめ様々な社会問題や話題を取材・報道してきました。そのなかで東南アジアは1987年に内戦中のカンボジアへ特派員として赴いて以来、勤務先の仕事とは別にライフワークとしています。東南アジアと日本は御朱印船時代から現代まで脈々と深い繋がりがあり、互いに大きな影響を受け合って来ました。日本の人口減が確実となり、東南アジアの一般市民が簡単に来日できるようになった今、相互理解がますます求められています。2017年に定年退職しましたが、まだまだ元気な現役。フリーランス・ジャーナリストとして走り回っています。

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