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奇襲に成功したアベノミクスと高橋財政の違い

久保田博幸金融アナリスト

アベノミクスがスタートしたのは、衆院解散が正式に表明された2012年11月14日とされる。この日を境に円安の動きが加速され、日経平均が上昇トレンド入りする。安倍首相誕生への期待から円安・株高が急速に進むことになる。

市場に対する奇襲攻撃が開始されたのは、11月16日の衆院解散の翌11月17日における熊本での安倍自民党総裁の街頭演説であった。安倍総裁は、衆院選後に政権を獲得した場合、金融緩和を強化するための日銀法改正を検討する考えを重ねて表明した上に、建設国債をできれば日銀に全部買ってもらう。新しいマネーが強制的に市場に出ていくと述べた。さらに同日の山口市での講演では、安倍総裁は、輪転機をぐるぐる回して、日本銀行に無制限にお札を刷ってもらう、と発言したのである。

これ以前に、安倍自民党総裁は政権奪還後、政府と日銀はアコードを結び、インフレターゲットを設定する。目標達成までは無制限な対応を行い、もし政策目標達成できなければ、日銀には説明責任を求める。さらに日銀法改正も視野に入れている旨を示唆していた。政府と日本銀行が政策協調してデフレ脱却をして円高を是正し、経済を成長させていく新しい成長戦略を前に推し進めて行かなければいけません、との発言もあった。

11月17日の発言の前までは、「インフレターゲットの設定」、「日銀法改正も視野」、などリフレ派の影響がみられる発言をしていたが、あくまで野党党首であり、当時の民主党政権との政策の違いを強調するための発言と私自身は受け取っていた。

ところが、衆院が解散されたとなれば、次期首相の可能性が極めて高くなることで、そのタイミングで、財政ファイナンスを意識させるような発言が飛びだしたのである。まさにこれは結果からみて見事な奇襲作戦と言えた。

その作戦を具体化したのは2013年3月20日に日銀総裁に就任した黒田東彦氏であった。日銀での経験のない黒田氏が、早期に安倍政権の意向に沿った金融緩和を決定するのは、難しいのではとの見方がある一方、臨時会合を開いて早期に実施するのではとの一部の期待もあった。実際には4月3日、4日の通常会合を視野に安倍政権の意向に答えるかたちで密かにあらたな金融緩和策が練られていたようである。

4月4日の金融政策決定会合で決められた異次元緩和と呼ばれる政策は、市場の予想を大きく上回るものとなった。リフレ派の意向をそのまま具体化したようなものとなり、市場に対しては「真珠湾攻撃」の如く、さらなる円安・株高という結果をもたらせた。

このアベノミクスで起きたようなことが、1931年12月にも起きている。犬養内閣の成立にともなって高橋是清が蔵相に就任、直ちに「金輸出が再禁止」された。12月13日の金輸出禁止のニュースを受け、これを好感した14日の東京株式取引所は買い物殺到で整理がつかず、15日から17日は休場せざるを得なくなった。

金輸出禁止に加えて、円安政策をとったことから、外為市場では円が急落。金本位制を離脱したことにより、金の保有量に制約されずに積極的な財政政策を行いやすくなった。当時の国債市場は未整備であり、大量の国債発行を円滑に進めるために高橋是清が取った手段が「日銀による国債引受」であった。これは積極的な財政政策にともなう巨額の国債発行を行いやすくさせるための手段との位置づけであった。

いわゆる高橋財政と呼ばれたこの政策により、円安・株高が進み、景気も一気に上向くことになる。

ここで注意しなければいけないのは、高橋財政には経済に直接働きかける手段があったという点である。つまり金本位制に縛られ、円安政策も財政政策も取れず、緊縮財政で景気が極めて低迷していたところに、金本位体制という障害を取り外すことで、効果的な政策を取ることが出来た。高橋蔵相への期待もあったことで、期待に働きかけた側面も否定はしないが、期待のみで高橋財政によるデフレ脱却が可能となったわけではない。

これに対してアベノミクスで行った手段は、財政ファイナンスを意識させるような金融政策により、円安・株高を進めることにあったと思われる。ただし、いまのところはデフレ脱却による円高修正というよりは、円高修正によるデフレ脱却を進めるという格好になっている。

高橋財政も景気が底打ちしていたタイミングであったことで、景気回復を加速させた面があった。アベノミクスによる円高修正も根底には、欧州のリスク後退による円高修正がすでに入っているなかで、円安の動きを加速させた。米国の株式市場も世界的なリスク後退もあり、過去最高値を更新するなどしたことも東京株式市場の上昇の背景となっている。

問題となるのは、高橋財政にはその後の景気回復やデフレ脱却に向けてのトランスミッション・メカニズム(波及経路)がはっきりしていたが、アベノミクスはそこが極めて曖昧となっている点である。もちろん日銀の異次元緩和だけで、2年間で2%の物価上昇が確実だというのであれば問題はないのかもしれないが、本当にその理論は正しく、副作用はないのか。過去日銀が、ここまで大胆な政策を講じなかったのは、その効果への疑問とともに副作用にも目配りしていたからではないのか。奇襲には成功したアベノミクスだが、成果が問われるのはこれからであり、高橋財政のような具体的なデフレ脱却への波及経路が示されないと、円安・株高を加速させただけの政策ともなりかねない。

金融アナリスト

フリーの金融アナリスト。1996年に債券市場のホームページの草分けとなった「債券ディーリングルーム」を開設。幸田真音さんのベストセラー小説『日本国債』の登場人物のモデルともなった。日本国債や日銀の金融政策の動向分析などが専門。主な著書として「日本国債先物入門」パンローリング 、「債券の基本とカラクリがよーくわかる本」秀和システム、「債券と国債のしくみがわかる本」技術評論社など多数。

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