対談:Netflixが変える日本のエンタメ労働環境 なぜリスペクト・トレーニングが必要なのか
「セクハラ、パワハラが横行する業界を変えるか? Netflixのリスペクト・トレーニング」で紹介した、Netflixが作品作りの現場に取り入れているリスペクト・トレーニング(ハラスメントを未然に防止するトレーニング)、インティマシーコー・ディネーター、24時間ホットライン、労働時間の規制とは...Netflix プロダクション・マネジメント部門 小沢偵二さんと対談しました。
白河 政府の「働き方改革実現会議」有識者議員をした経験から、エンタメの業界の、特にフリーランスの人へのパワハラセクハラの防止、労働時間のあり方などに課題があると考えていました。先日の「表現の現場調査団」の報告でも、アンケートに答えた1449人のうち、1195人がハラスメント経験がありました(表現の現場ハラスメント白書 2021より)。
今、現場が抱えている課題について教えてください。
小沢 最初に、われわれがなぜリスペクト・トレーニングをやるのか、説明させていただきます。
私は日本のオリジナル実写作品のプロダクション統括をしています。労働時間も含めて、弊社ではキャスト・スタッフの皆さんが働きやすい環境、つまり安心で安全である職場を作ることによって、そこからいい作品が生まれる、そんな作品をメンバーの方皆様に届けたいという思いが、強く根底にあります。
世界中で製作されているNetflix作品の全ての現場で、このリスペクト・トレーニングが行われています。グローバルでオリジナル作品を作り始めたのは2017年からですが、リスペクト・トレーニングは、すべての国で同じことを実施しているわけではありません。アメリカでのオリジナルで作られたフォーマットを各国でローカライズして、日本の文化に合うような形にしています。
白河 では元々のベースはアメリカで導入されたものなんですね。
小沢 ただ翻訳するだけではなく、この言葉でよいのか、一つ一つ検討してていねいに日本語化作業を行いました。大学を出た人もいれば、職人さんでずっとやってこられた方もいる。可能な限り分かりやすい形で伝えられるようにしています。
白河 ハリウッドではもうすでに当たり前になっているのでしょうか?
小沢 ハリウッドでは他社さんでもやられているハラスメントのトレーニングがあります。しかし全世界でやろうと言ったのはNetflixが初めてだと思います。
若い世代は仕事が生活の全てになることを受け入れられない
白河 労働環境などのテーマでテレビ局などのメディアに講演に行くと、「若いうちはしごかれなきゃ一人前になれない」、「長時間やらないといいコンテンツなんかできない」と言われます。広告業界、新聞、テレビ局、同じように言われますね。作品の質と安心安全な働く環境については、どう思われていらっしゃいますか。
小沢 私もこの業界に30年以上おります。若い頃はそんな現場が、自分もいい方法だなって思ったのですが、やはり時代がもう変わったと思います。
若い世代の人たちはやめていってしまうんですよ。興味を持ってせっかく業界に入ってこられた若い人たちに「俺の背中を見て学べ」といっても、もう学べない。自分の時間を大切にする世代の人たちなので、仕事が生活の全てになってしまうと受け入れられない。変えるべきだなと強く思っています。
白河 小沢さんはどういう経歴でNetflixにいらしたのですか?
小沢 最初は日本で助監督をやっていまして、その後思い立ってアメリカの大学の映画学科に入って卒業しました。卒業後ハリウッドで3年ぐらい映画やミュージックビデオなどの現場での撮影助手など、さまざまな仕事をして日本に戻ってきたんです。
だから日米、どちらの現場も見ています。向こうの良いところ日本の良いところ、両方を知っている。
日本に戻ってからでは、制作部に入りキャリアを積んで、佐藤信介監督の『キングダム』ではラインプロデューサーを務めました。そしてNetflixに3年前に入りました。
白河 日本とアメリカの両方の現場を知った上で、問題意識を持っていらっしゃるんですね。
2020年から企業の措置義務としてパワハラ防止が法律になり、一般企業も変わってきています。一つの作品には大変な数の方が制作にかかわっていますよね。このトレーニングはスタッフ全員が受けるのでしょうか?
小沢 基本的には全員参加を目指しています。たとえば撮影の後半にしか出ないキャストの方もいますが、大勢で意見を交わすものなので一人でトレーニングはできません。その場合はわれわれが作成したビデオや資料でフォローアップします。でも、基本は全員参加です。キャストもスタッフの皆さんも全てです。
立ち止まって考えるための対話型トレーニング
白河 会社員ではない方はそもそもハラスメント講習を受ける機会もないし、このような研修を受けないと撮影が始まらないことに、びっくりする人も多いのでは?
小沢 巷で行われているハラスメント講習と、リスペクト・トレーニングの違いがわからないまま来られる人が多いです。
最初に必ずお伝えするのが、これはトレーニングです、と。インタラクティブ(対話型)に行いたいので、皆さん質問なり意見がある方はどんどん言って意見を交わしましょう、という話をしますね。
その理由は、日本の現場の働く人たちは、こんなことをしたらいけない、あんなことをしてもよいのだろうか、と立ち止まって考える筋肉のようなものが培われていないんです。そこで、それを培っていただきたい。
明日からすぐに皆さんが変わるのは難しいと思いますが、将来――5年、10年後を見据えて、皆さんが立ち止って考えられるようにしたい。これ以上やったら駄目なんじゃないかと立ち止まるきっかけを作りたい。それがハラスメント講習と、このリスペクト・トレーニングの一番大きな違いだと思います。
白河 実際に拝見して、良い仕組みだと思いました。いわゆるハラスメント講習はただの講義が多いのですが、お互いに対話が起きるような仕掛けを施したものになっていますね。
小沢 その場で聞いただけでは、忘れちゃったりするんですよね。本当に変わるまでは、かなりの仕掛けが必要だと思っています。
そもそも日本人は人前で意見を言うのにも慣れていないのが課題です。発言を促す、会話が生まれるような流れを作ることが大事です。うまくいかないこともありますが、うまくいった時は議論が起きて、頭に残るんです。
その時にリスペクトという言葉がすごくフィットすると、経験上分かっています。日本語で言うと、尊重の精神、思いやりになりますが、それよりもリスペクトという言葉に色々な意味が含まれていると思っています。
白河 効果を実感されることがありましたか?
小沢 撮影中の現場をのぞいた時に、男性スタッフが自分の部下である女性スタッフのことをちょっと茶化したりしたんですよ。その時に、周りにいたスタッフが「それってリスペクトがないじゃない?」って言ったんですよね。周りのみんなが「そうだそうだ」となって、言われた本人も「すみません。僕リスペクトがありませんでした」となりました。
やはり思いやりとかではなく、「リスペクト」という言葉だから言いやすい。撮影が和やかな雰囲気で行われたのを見ていて、こうした広がりが大事だと思いました。メッセージとして動き始めている実感があります。
白黒を決めるトレーニングではない
白河 企業の人にNetflixがリスペクト・トレーニングというのをやっていると話したら、みなさん「リスペクト」という言葉にすごく反応していましたね。
実際にやられてみてネガティブな反応はありますか? やはりこの業界が長い方、すでに偉い方にとっては「過去の否定」のようにとられるのでは?
小沢 まあ、あります。ネガティブというよりも、どうしても皆さん白黒つけたがる。あれはだめ、これはよいと線引きしたがりますよ。
われわれはこのトレーニングは白黒を決めるトレーニングではなく、自分の中で咀嚼して考える筋肉、マッスルを作るトレーニングですと話しています。皆さん最後に腑に落ちて帰られるので、白黒じゃないというのを丁寧に伝えることが凄く大事なところだと思っています。
白河 私はハラスメントの本(『ハラスメントの境界線』)を出していて、講演を頼まれることがあるのですが、そもそもみなさんが知りたいのは「自分がハラスメントで訴えられないように」という自分のことだけなんですよね。現場や業界全体ではなく自分のことしか考えていない。このトレーニングは目的が違います。
小沢 はい。私も若い頃から上司に蹴られたりしてきたんですが、「その行動にリスペクトはあったか?」と考えると、自分でもなるほどと思います。この業界に長くいますが、だんだん減ってはいても、ハラスメントは根強いものがあります。これでは下の若い世代は残ってくれない。内から変えていきたい。考える習慣、筋肉を作るというのは、長い目で業界全体を見据えた取り組みです。
白河 一時的なことではなく、今のチームは解散しても、その筋肉を持った人がまた別のチームに行って、またそのチームを変えていく。そんなふうに広がるといいですね。
小沢 われわれもそう思っていまして、トレーニングを受けた人が他で話していただくことが多く、問い合わせも結構受けています。特にキャストの皆さんが一番受けて良かったとおっしゃっています。
先日リスペクト・トレーニングを受けた『孤狼の血Ⅱ』のチームは、Netflix作品ではありませんが、業界に影響力のある白石和彌監督などが取り入れてくださった(「変わらなければ日本映画に未来はない」白石和彌監督が映画『孤狼の血』続編で実践した“リスペクト・トレーニング”とは)ことで、他の作品にも広がっていくとよいと思っています。
やればやるほど内容もブラッシュアップされていきますし、色々な人にメッセージが伝わっていって、業界全体が良くなってほしいという思いがあります。
声を上げにくいフリーランスに対応
白河 私もずっと働き方や、フリーランスの人へのハラスメントを見ていて、声を上げにくい構造があると思っていました。Netflixの取り組みが大きなターニングポイントじゃないかと思っているんです。
これだけ世界で面白い作品を生み出すNetflixがやっているのですから、いちいちハラスメントと言っては面白い作品はできないという言い訳は通用しないですよね。
小沢 声を上げづらいというのは一つのポイントで、そのためにハラスメントホットラインも設置しています。われわれのトレーニングを受けていただいた方が、上司などに直接いえない場合もあるので、その時は無料の24時間ホットライン窓口にメールやオンラインで連絡してもらうシステムです。毎日現場で配るスケジュールの目立つところに必ずホットラインの連絡先が書いてありまして、その作品に関わっている間、誰でもいつでも使うことができます。
メンタルサポートホットラインというのもあって、ハラスメントだけではなく、「子供を預けるところがない」などちょっとしたことも相談できる。長年やっていますが、そうしたことを提供してもらった日本の現場はないですね。
制作チームは、みな上の人から声をかけられて雇われているので、言いにくいことがあれば、このようなホットラインを使っていただけます。第三者機関が対応するので、個人情報の詳細がわれわれまでくることはありません。
白河 特定の人がかなり悪質だと第三者機関が判断された場合、Netflixが解任することもあるのでしょうか?
小沢 われわれが介入するというよりも、あくまで個人情報など機密性に関わることですので、弁護士などが間に入って解決しています。
『彼女』から導入されたインティマシー・コーディネーター
白河 ヌードやセックスなどのセンシティブなシーンがある場合のインティマシー・コーディネーターも、日本オリジナル作品の『彼女』に取り入れられたと聞いています。これはどのような取り組みですか?
小沢 アメリカでも本当にここ数年ですが、インティマシー・コーディネーターが導入され始めています。例えば、現場でキャストがヌードになるなどセンシティブシーンを撮る時、どこまで撮るのか、隠すのかが、明確でないまま現場に入ることが多いのです。
そうすると、現場でハラスメントが起きたり、不快な思いをすることがある。撮影前に、監督がどういう撮り方をするのか、どこまでするのかという確認作業を、コーディネーターが間に入って、両者合意の上で撮影に挑むのを理想の形として実施しています。
白河 監督は現場に入ってから変更したいと思うのではないでしょうか?
小沢 日本では監督がもっとやれと言ったら、現場でどうにでも変わっていってしまうので、そこに歯止めをかける。監督がこうしたいというのはあらかじめ決まっていないことが多いのですが、可能な限り両者の希望を引き出して事前に合意をする。駆け込み寺ではないのですが、何かあればすぐに現場で相談できる人がいることが安心できる運営になります。これもキャストの皆さんが安心して現場に臨める、演技に集中できる環境を作るために、われわれとしては大事なところです。
日本では現在、未発表の作品も含めて3作品にしか取り入れていないので、学びながら進めています。
白河 『全裸監督』にも入っていたんでしょうか?
小沢 いえ、「全裸監督」の撮影時にはまだ取り入れておらず、「彼女」という廣木隆一監督の映画以降に、アメリカで資格をとったインティマシー・コーディネーターの方に参加いただいています。インティマシー・コーディネーターはアメリカの専門機関で特別なトレーニングをうけ、ライセンスを取得した人が担当します。日本人でそのような方を雇っています。
白河 アメリカではちゃんと育成しているのですね。
小沢 アメリカの俳優協会では、インティマシー・コーディネーターを必ず入れるというような動きが出てきています。アメリカは訴訟社会のため、後から訴えられでもしたら大変な損害金額になる企業リスクもありますから。
キャストの方ばかり守っているように見えますが、実はそれだけではなくて、作品全体を守るということです。
白河 「面倒な時代になったよね」という反発もあるのでは?
小沢 そこは言わないといけない立場なのでていねいに説明をさせていただいています。われわれも試行錯誤しながら導入しているのですが、逆にこれがだんだんに当たり前になってくると、受け入れも進むのではと思っています。
誰も仕事をしなくてよい日を作る仕組み
白河 最後に労働時間についてですが、撮影と撮影の間に時間をとる「インターバル規制」のようなものを入れているそうですね。
小沢 われわれがお伝えしているのは、撮影は12時間までで、次の日の撮影まで10時間は空けてくださいということです。そして週1回必ず撮影を休むこと。これは7日間連続で撮影をせず、必ず休みを入れて欲しいということです。
休みでも仕事をしている人はどうしてもいるんですが、われわれからプロデューサーさんにお話しして、完全に休む、誰も仕事をしなくてよい日を作るような仕組みを作ってくださいとしています。
私も24時間ぶっ続けで撮影する現場を体験していますが、疲れが溜まってみんな体がもたなくなってしまいますし、若い人がやめてしまう。弊社としては「時間をお返しします」という言い方をしています。その時間で家に帰って家族とご飯を食べたり、皆さんの生活を取り戻して欲しいです。
白河 休日を設ける上で、適切な補助はあるのでしょうか。
小沢 基本的に月単位の拘束の場合は、休みの分も払っているので、ちゃんと休んでくださいねということです。その増えた時間分、コストもかかりますが、「絵」にお金をかけるというのは、技術的な面だけでなく、働く人の環境を安心安全にして、よい作品を作って欲しいという面もあるんです。
しっかり体を休めていただき、毎日毎日リフレッシュした気持ちで来て欲しい。それが良い作品作りにつながると思っています。
(了)