“青森山田一強”をどう崩す? 高校選手権準優勝・平岡和徳総監督の思惑とは?
2021年高円宮杯プレミアリーグ・イースト王者・青森山田が前評判通りの強さを見せつけ、3大会ぶり3度目の優勝で閉幕した第100回高校サッカー選手権大会。10日に東京・国立競技場で行われた決勝で、絶対王者にシュート0本と抑え込まれたのが大津だ。
巻誠一郎、土肥洋一(山口GKコーチ)、植田直通(ニーム)という3人のワールドカップ(W杯)日本代表選手を輩出する熊本の名門を率いる平岡和徳総監督は、指導者生活初のファイナルで改めて厳しさを味わったという。
「4年連続決勝進出の青森山田とわれわれには『大舞台の経験値』で差がありました。4万5000人もの大観衆の中で戦える機会を一度、経験したことは大きい。ここからが本当のスタートです」
こう前向きに語る名将に、100回を数える選手権の現状と課題などを伺った。
国立競技場の芝生に大苦戦
――今回の決勝を振り返っていただけますか?
「ウチの選手たちは国立のピッチ状態に難しさを感じていましたね。国立では前日にラグビーの試合が行われていたので、芝生の長さが28ミリに設定されていた。でもサッカーは通常22~24ミリ。そこに水が撒かれて相当スリッピーな状態になっていたので、ボールを止める、蹴るが通常のようにできなかった。
青森山田は準決勝・高川学園戦を消化して、ピッチ状態を把握していましたけど、僕らは残念なことに関東第一の辞退によって、準決勝を戦えなかった。その差が出てしまったのかなと感じています」
――青森山田の黒田剛監督は「中1日と中5日のコンディションの差が不安要素だった」と話していました。
「確かにコンディションや疲労度はわれわれの方に分があったかもしれません。ですが、選手権は短期決戦。準決勝を勝って勢いに乗って決勝を戦うのか否かではどうしても違いが出ます。ウチの選手たちは『関一の分まで頑張ろう』とモチベーションを高め合っていましたし、僕自身もミーティングで『切り替えろ』と口を酸っぱくして言い続け、彼らを鼓舞しましたけど、ファウル覚悟と言ってもいいくらいの迫力を持って仕掛けてきた青森山田に飲まれてしまった。技術の優位性を出し切れなかったと反省しています」
松木選手はインテリジェンスを養って!
――青森山田の強さについては?
「それは素直に認めています。プレミア王者ですし、走力やパワー、リスタートの精度含めて群を抜いていた。1・2年時に準優勝に終わった松木玖生選手も『何が何でも優勝するんだ』という凄まじい気迫を前面に押し出していました。ウチのキャプテン・森田大智をファウル覚悟で後ろから削ったシーンなんかは象徴的でした」
――松木選手は将来性の高い選手ですね。
「確かにそうだと思います。ただ、選手権で活躍したからと言って、将来が約束されているわけではありません。過去にもスター扱いされた選手がプロで伸び悩んだ例は少なくない。僕の教え子を見ても、巻のようにイビチャ・オシムさんと出会って劇的な進化を遂げた選手もいますし、これからの環境と出会いが重要だと思います。松木選手はフィジカルの優位性を生かしながら、インテリジェンスを養ってほしい。そう願っています」
サッカーIQを引き上げることが勝利への道
――山城朋大監督も「ボランチの森田と薬師田(澪)は4年後、Jリーガーになって宇野禅斗(町田)や松木と勝負しなければいけない」と話していました。
「その通りですね。森田は早稲田大、薬師田は法政大に進みますけど、大学4年間で力をつけてプロになって成功する選手も増えています。彼らの今後には大いに期待したいですし、インテリジェンスの部分を磨いてほしいです。
卒業生の今後も楽しみですが、われわれは青森山田を上回らなければいけない。そのためにもサッカーIQを引き上げ、技術・創造性を含めてクオリティの高い選手を集めて勝つしかない。大津には『ビジョン・ミッション・パッション』という合言葉がある。ここからが本当のスタートなんです。今の2年生には191センチの長身FW小林俊瑛もいますし、186センチの1年生MF碇明日麻のような可能性ある人材もいる。さらに春に入学してくる新1年生も逸材揃い。新入生は僕が直々に鍛えるつもりです」
僕自身も国立で敗れた帝京時代の経験が生きた
――平岡監督ご自身も、帝京時代は2年時に準決勝で清水東に敗れ、その借りを3年時の決勝で返していますよね。
「そうですね。僕自身も高2だった83年正月に初めて国立の舞台に立ち、長谷川健太(名古屋監督)、大榎克己(清水強化部)、堀池巧(順天堂大学監督)の『三羽ガラス』と対戦。長谷川健太の一発に沈み、全国制覇できませんでした。でも翌84年正月の決勝で彼ら擁する清水東にリベンジを果たし、頂点に立った。そのエピソードは今回の選手権の間にも選手に伝えました。
実際、準優勝チームの方がより大きなエネルギーを持って次の年に挑めるのは確かです。それは過去2大会の青森山田にも言えること。僕ら大津は長い年月かかってやっと国立のピッチに立てた。その経験を生かさないといけないと強く感じています」
――平岡監督の恩師である古沼貞雄監督(現矢板中央アドバイザー)も、今大会中に逝去された長崎総合科学大学付属高校の小嶺忠敏総監督も、そうやって泥臭く進み続けてきました。
「そうなんです。僕は高校時代に古沼先生の指導を受け、熊本に戻って教員になってからは小嶺先生や鹿児島実業の松澤隆司先生から多くのことを学びました。決勝の時に『九州はひとつ』と自らしたためた横断幕をゴール裏に掲げましたけど、それも松澤先生が口癖のように話していた言葉なんです。
昭和・平成を駆け抜けた名将たちが現場を離れていく中、まだピッチに立ち続けている自分がつなぎ役にならなければいけないという思いはつねにありますね。僕より年上なのは前橋育英の山田耕介監督くらいで、尚志の仲村浩二監督、静岡学園の川口修監督、流通経済柏の榎本雅大監督ら、多くの強豪校の指導者が年下です。だからこそ、もっと強い自覚を持たないと。自分にそう言い聞かせているところです」
広告を出さずに行列のできるラーメン屋を目指す!
――公立高校の大津が今後も生き残っていくためには何が必要だと思いますか?
「僕が理想像として見ていたのが、男子バスケットボールの強豪・能代工業でした。2021年に学校廃合で能代科学技術高校となりましたが、地方の学校は少子化と過疎化の影響で統廃合の対象になりがちです。でも能代工業は加藤廣志元監督の号令の下、バスケの強化を進め、全国のトップに君臨し続けました。
われわれも町ぐるみでサッカー強化に取り組んでいますが、それが地域の大きな特徴になっています。学校がコミュニティの拠点となり、1つの特徴を押し出していくことは、地方になればなるほど重要。かつての南宇和や国見もそうでしたが、サッカーを柱に魅力ある学校を作れると僕は信じています」
――だからこそ、毎年のようにJリーガーを送り出し、W杯選手を3人も輩出できているんですね。
「そうですね。今は約200人のサッカー部員がいますが、地域や保護者、OBなどの力があってこそ、魅力ある存在になれた。大津は『広告を出さずに行列のできるラーメン屋』。『広告を出してお客を集めるラーメン屋』とは違った存在であり続けたいと思っています」
100回を数える選手権では、コロナ禍の難しさや試合スケジュール、遠征費の問題などさまざまな現状も浮き彫りになった。平岡総監督はそういった課題も解決していかないといけないと強調していた。高校サッカーの育成現場を熟知する指揮官の話は重い。ぜひともこの機会に耳を傾け、今後の方向性を真剣に模索する契機にしてほしいものである。