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東南アジアから久々のリポート タイ開国 コロナとの共存へ

阿佐部伸一ジャーナリスト
一日のフライトはこれだけ=10月18日、関西空港で筆者写す

 2021年10月18日、夜。関西空港は1軒の免税店と両替所を除いてすべての店が閉まり、巡回する警備員の靴音が響くくらい静まり返っていた。離陸したエアバス350-900型の乗客は13人、搭乗率5%だった。前回、東南アジアへ行ったのは2020年2月。行き先はベトナムだったが、すでに新型コロナの感染拡大を阻止しようと、空港や機内ではマスク着用が義務付けられ、取材先の寺院や病院などでは外国人であるということで警戒された。小生の帰国直後、ベトナムだけではなく東南アジア各国は出入国を厳しく制限し、飛行機もほとんどの便が運休となった。そしてロックダウン。厳しい都市封鎖で今年5月ごろまで感染拡大を抑えていたが、デルタ株の出現で爆発的に感染拡大。新規感染者は現在、緩やかだが減少傾向にある。

点景人物すら入らない関西空港=10月18日午後9時、筆者写す
点景人物すら入らない関西空港=10月18日午後9時、筆者写す

 一方、あたかもコロナで身動きが取れないことを見透かしたように、タイでは民主化デモの弾圧、ミャンマーでは軍事クーデターなどが発生した。また、コロナそのもので医療危機に陥り、遺体の処理も儘ならない国々もあり、一日も早く駆けつけたいという焦燥感だけが募っていた。そうしたなか今回、1年8カ月ぶりで東南アジア取材を敢行した。渡航するためには、事前にビザと入国許可証、PCR検査の陰性証明を求められ、手続きは簡単ではなかった。まず、ビザ(ノンイミグラント・シングル)の取得にはタイ企業からの招聘状とその企業の登記簿をはじめ、入国予定者の銀行残高証明や退職・在職証明書、日本側の保証人などを求められた。ビザ取得後、次に入国許可証をオンライン申請したが、往復航空券に加えて、政府指定のホテルとコロナ保険、入国後のPCR検査の領収書などを揃えなければならなかった。また、飛行機に搭乗するには、出発72時間以内のPCR検査陰性証明書も必要だった。普段ならば、現地に着いてから申請するアライバル・ビザで気軽に行け、LCCの直行便もあったが、コロナの世界的まん延で、まるで東西冷戦時代のように海外との往き来が困難になった。

入国するために求められた数々の証明書類。手前が入国許可書(COE)=筆者写す
入国するために求められた数々の証明書類。手前が入国許可書(COE)=筆者写す

 それでもインターネットが発達し、世界各地から写真や映像、記事が毎日のようにアップロードされている。便利な反面、ハンドルネームで発表されていたり、署名がなかったりする記事やビデオもあり、さらには伝聞や転載が多くて、「フェークニュース」と一蹴されても、強く反論できないことさえある。カメラだけではなく、暗室道具一式に電送機まで携行しなければ、現地から写真1枚送れなかった30年前とは隔世の感がある。だが、小生はこうした便利なインターネット時代だからこそ、愚直に「自分が見た、聞いた」という一次情報に、万難を排してでも拘り続けたく思っている。

 コロナ禍でなければ、1年8カ月の間に1、2週間ずつ3、4回は東南アジア取材をしていた。今回は取材できていないことが溜まっていて、1カ月で3本のテーマを考えている。できるだけ早く報じるために、1本目と2本目は現地で編集して公表する予定だ。

 関西空港を発った翌朝、シンガポール発プーケット行きの飛行機は、欧米人を中心にほぼ満席だった。小生と同じ考えで、入国直後のPCR検査が陰性ならば、ホテルに缶詰めにならず、プーケット島内を自由に動けるという『サンドボックス制度』を選んだ人たちだ。10月1日には島内隔離の期間も2週間から1週間に緩和され、2回目のRCR検査が陰性ならばタイ全土どこへでも移動できる。小生が入国した19日、タイの新規感染者は9千122人、死者は71人。タイの人口は日本の半分ほどなので、感覚的にはこの2倍となる。

 さて、まずはその1本目、タイ最大のリゾート地、プーケットから『タイ開国 コロナとの共存へ』をお送りする。奇しくも取材期間中の10月21日、タイ政府が「46カ国からの隔離なし入国を11月1日から認める」と発表。46カ国には日本も含まれ、11月を境に入国が格段に容易になる見通しだ。

ジャーナリスト

全国紙と週刊誌編集部、ラテ兼営局でカメラマンや記者、ディレクターとして計38年、事件事故をはじめ様々な社会問題や話題を取材・報道してきました。そのなかで東南アジアは1987年に内戦中のカンボジアへ特派員として赴いて以来、勤務先の仕事とは別にライフワークとしています。東南アジアと日本は御朱印船時代から現代まで脈々と深い繋がりがあり、互いに大きな影響を受け合って来ました。日本の人口減が確実となり、東南アジアの一般市民が簡単に来日できるようになった今、相互理解がますます求められています。2017年に定年退職しましたが、まだまだ元気な現役。フリーランス・ジャーナリストとして走り回っています。

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